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引き寄せ鈍ガメの傷だらけの追い上げ日記 #10 父の教え

本に書いてあった「オールを手放す」ってのはどういうことかと私なりに説明させてもらうと、

本当はあるべき完全な(願いが叶った状態の)自分っていうのは必ず行く先にあるんだと。例えば私の願いで言うところの「お金に困らない私」「お店が毎日繁盛してる私」「モテモテの私」「食べても飲んでも太らない私」「文章を仕事にした私」などなど、が本当の私だと。

で、この物質世界でそれにそぐわない現象が起こった時に不足とか不快を感じるらしい。ズレを感じるから余計に願望が出てくるし強くなる。
だからその感情が出てきた時には、
「本当はあるべき自分」「そっちが当たり前の自分」に気づいたってことだ。

用意されている本来の自分に気づいたら、もう安心していい。
そこに川は流れていくから、ボートに乗ってオールも手放してリラックスして流れていけば辿り着く。

それなのに無理っぽい事案に出くわして「このままのんびりしてたら無理じゃね?!」って焦ってジタバタしたり、早く行かなきゃ、上手にやらなきゃ、とオールを握っておりゃー!って漕ぎ出すと、流れに逆らってしまい、叶わない方向へ行ったり止まってしまったりする、

というのだ。

ああこれ似たような事聞いたよな…と思ったら、子供の頃自転車の乗り方を教えて貰っていた時の父の言葉だった。

その頃から運動神経の無い私はなかなか自転車に乗れなかった。最初父が荷台を持って走ってくれているから前を向いて走れるけど、手を離すと途端に不安になってすぐにグラグラして転んでしまう。

そこで父が言った。

「行く先をまっすぐ見るんだよ。マイコは下を向いたり自分の足を見たり、不安になってすぐ危なそうな方を向くからそっちに行ったり転んだりする。
お父さんが手を離しても、安心して自信を持って、行きたい方を向いて、力まずに走ったら自転車はそっちに進むんだよ」


今では当たり前のように自転車に乗れるし行きたい方向に行けるけど、
一番初めはこうして何度も転んでいた。
父の言う通りまっすぐ前を見るのは怖かったけど、やってみると思いのほか体も自転車も軽く前へ進んだ。

本が言う「オールを手放す」というのもこれに近いのかなと思った。
進まない時は、私自身がその場にある心配や、未来への不安とかばかりを見ていた気がする。
流れに逆らっていたんだなと思う。

願いと逆のことが起こったり、嫌なことを言われたりしても、
「なんでこうなの!?」「そんなこと言わないで欲しい」「やめてくれたらいいのに」「こんなこと嫌だ」
と考えているうちは、オール握っちゃってるし流れに逆らってるし、
嫌な方に注目しちゃってるから行く方向がそのマイナスに持っていかれている。

私がやらなきゃいけないことは、自分の気分を「本当はあるべき自分」の方に寄せること。そっちだけを見る。
抗って嫌な事と戦おうとすると、どんどん流れが止まってしまう。

とにかくオールを手放す感覚。
父が教えてくれた自転車の乗り方。

これはとても気持ちが楽になる考えだった。私はすぐジタバタするから(笑)

ジタバタしなくていいのか、と思うと心も体も凄くホッとした。安心した。

『なんだか分からないけど大丈夫だ』

いい意味のあきらめ。
仏教で言うところの「あきらめ」は
真実を明らかにするという、
「明らめ」から来てると聞いた。

これが上手くいくかいかないかとかは知らないけど、心が楽だ。
肩の力抜いて、リラックスして、その時を待てばいい。

時間はかかるかもしれないけど、自転車に乗れたように、当たり前に人生乗りこなせる日が来るんだろうな。

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