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引き寄せ鈍ガメの傷だらけの追い上げ日記 #5 堂々巡りのわたし

私はこの時、村松大輔さん著「現象が一変する『量子力学的』パラレルワールドの法則」という本を読んでいた。

色々更に勉強して私も早く願う世界へ行くんだ〜!と目をギラギラさせて読んでいると、中に
兵庫県神戸市の鏑射寺(かぶらいじ)というお寺があって、そこは周波数が高いから自分自身も波動が整う、みたいな話が出てきて、これは行ってみたい!となったので、次の休みに行こう!と彼氏に話すと、

「それ、俺の育った施設の近くの寺だわ。そこの坊さんが施設に説法しに来てた」

と言うので、そんな偶然ある?!と驚き、何だか呼ばれた気がして早速2人で行くことにした。

道場(どうじょう)という無人駅に着いてそこから山道を登ることになる。
自然の多い静かな田舎町。川が流れて、目に入る緑も空気も綺麗で、聞こえる音は鳥の鳴き声くらい。

山道は44歳の私には結構ハードな傾斜だったけど、ハアハア言いながら

『これも、しんどくても頑張ったら必ずゴールに辿り着くという学びだな』
とか
『自然も人間もお金も宇宙のエネルギーの1つで、みんな繋がってるのだから私もお金の心配なんてしなくていいんだ』
とか
『きっと何か私の願いを叶えるためのヒントがどこかにあるはず』
とか、
『彼の育った場所に導かれたってのも何か意味があるはず』
とか、


もはや今思うとやかましわってくらい頭の中でごちゃごちゃ考えながら山を登っていた。

で、ふと彼氏を見ると、景色を見たり小川の冷たい水を触ったりして、「気持ちええなあ」とのんびり歩いていた。

ようやく到着した鏑射寺は本当に何か神聖な空気感が漂っていて、そこから見える景色も綺麗だったけど、それを感じ切る前に、変にやる気にかかってる私は叶ってないことのお願いをしまくって、お参りの後御朱印を貰いに社務所に行ってそこの和尚さんにお説教された。

御朱印というのは、本来は写経を納めてその証拠にいただくものなんですよ、
ちゃんと御堂に入ってお参りしましたか?と聞かれて、「いや入ってないです」と答えると、
御堂に入ってお参りしてくださいね、それが「堂に入る」という言葉の語源です。入らないのにやった気になって巡ることを「堂々巡り」と言います。
と聞かされ慌てて「もっかいちゃんとお参りしてきます!」ともう一度しっかり御堂に入ってお参りした。

お寺を後にして山道を下る間、私は、いいこと教えていただいたなと思うと同時に、ちゃんと出来てなかった自分と今までやった気になってた自分を振り返って恥ずかしくなってモヤモヤしていた。

すると彼が「ちょっと歩くけど、俺の育ったところ案内してもいい?」と言うので、もちろんそれも目的だったので連れて行ってもらった。

行ってみると本当に自然の中にある場所で、「なんもないやろ(笑)」とは言っていたけどなんとなくゆったりといい空気が流れていた。彼は歩きながらここで何して、こんな大変なこともあったけど誰と仲良くて、すごく良くしてもらって、と、楽しそうに話していた。

帰りの電車で「ありがとね、付き合ってくれて」と彼が言うので「いやいや、こちらこそ」と言うと、「なんかええ日やったな」とポロっと呟いた。

その時また私は自分への違和感がわいた。

私、今日も何か得なくちゃ!とか何かしなきゃ!と肩の力入れまくってて、頭の中でずっとごちゃごちゃ考えてて、彼みたいに今日を楽しめてたかな。
せっかくの山の景色とか、綺麗な空気とか水とか、ちゃんと心底気持ちいいなあって楽しめてなかったんじゃないかな。

今、ここ、この瞬間を純粋に感じとれてるの、彼氏の方やん。
「ある」に集中できてるのが彼で、まだ常に「変えなきゃ」「足りないんだから」「これじゃダメだ」ばかりに気がいってたの私よね。

まさに堂々巡りしてた。
これは本格的に、私が変わらなきゃ。

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