2023年という365日

 お久しぶりです。1日1日は長かったり短かったり。その繰り返しは振り返れば早いものです。今年は私にとって重要な年だったと思います。とはいえ、結婚、転職、引っ越し等の大きなイベントがあったということではありません。それでも、粛々と日々を過ごす中で「生きていく上で必要な確かなものの輪郭」を見出だしたと思います。自分の中でデッサンのように線を重ねては消してという感じですが、日に日に目の前の現実を生きる力が付いてきました。婉曲的表現はほどほどにして、もっと分かりやすく言い換えればそれは、「苦痛を自分の力で和らげる力」であり「立ち直る力」であり「希望を常に持つ力」です。まだまだ言い換えの仕方はありますがこれくらいにしておきましょう。私は、昨年2月に現在の会社に入りました。それから早くも2年が経とうとしていますが、昨年は人生の中でもトップクラスで辛い1年でした。振り返ってもその評価は変わりませんし、もう一度戻れるなら上手くやれるとも思いません。
そしてそこから、自分なりに抜け出して2023年は社会というものに一気に馴染んだ1年になったと振り返っています。できの良くない私でも時より、「成長」という言葉を使って評価してもらうことがありますが、私にとっては「もともとあったものが表出する感覚」に近いものがありました。別に言葉遊びをしたいわけではないのですが、成長というのはもともとあった能力が向上したり、元々なかった能力が備わった時にしっくり来るような気がします。なので、私は「馴れた」、「馴染んだ」という言葉がまずはしっくり来るということです。ただ、成長もしている実感はあります。それが、先に述べた「社会に馴れた」という要素の大きさによって目立たないだけで、成長もしています。やはり何事においても数をこなすことは効果的だなと月並みな言葉ですが思います。そして、数えきれない場数を踏んだ時に、ふと最初の数回しか経験していない自分を思い出すと、「ああ、こんなに変わるんだ」と感慨深くなるものです。こういう経験は、なにも考えなくてもできるのですが、美味しい料理を相手の話に夢中になりながら食べるのと、料理に目を凝らし、味わって食べるのと同じくらい違いがあると思います。つまり、一つ一つの変化や現実に目を凝らし自覚的であればある程、日々の色彩は鮮やかで濃いものになると思うのです。たかだか25歳で何をどっかの国立大の名誉教授のようなことを気取って書いて…と思わなくもないですが、この姿勢・思想は大学生の頃から大切にしており、そのことで周囲から見れば平凡かもしれない日常を、濃淡の激しいものとして過ごしていると思います。さて、抽象的な内容が多くなったここまでの文章ですが、筆の走りが良くなって来ました。ここからは具体的なことが書けるといいなと思うので、もう少しお付き合いください。
  2022年の大半は、とにかく辛く、片道32キロの車通勤は気づけば職場、気づけば自宅という感じだったかもしれません。音楽やラジオ、季節の移ろい、休日の予定作りなどを楽しむ余裕はなかったです。そこからの記憶は薄れて、気づけば2023年に入って、5月頃から「なんだかこの仕事をしている、この場所で働いている自分に違和感が失くなったな?」という感覚が芽生えました。あるいは、今の自分にしっくり来る感覚というか、一言で言えばこれが「覚悟が決まった」ということかもしれないなとも思いました。あれもこれもどうしよう、相談したいけど勝手に気を遣ってできない、利害関係のなかで外部と堂々とやり取りできない等々、文字に起こせば誰もが通る道なのかもしれませんが、非常に一つ一つが当時の私にとっては強敵でした。人に誇れるような努力家でもなく、多才でもない私は、その代わり目の前の現実を刮目して捉え続けて来たことは人に誇れるかもしれません。だから、私より人生経験が浅い人が悩んでいればそれなりに助言ができるだろうと思います。でも、母校からは1度も声がかかりません(笑)。どうしたものやら…
  冗談は置いておいて、ようやく学生から社会人へアップデートが完了しつつあるなという今日この頃な訳です。多くの反省とともに多くの収穫があった2023年も本日が最後です。行き当たりばったりな人生を送ってきた私らしく行き当たりばったりな文章で恐縮ですが、先日、中高の同級生の結婚式に参加しました。私にとっては同級生の第一号結婚式参加記録樹立!となったわけですが、本当に有り難い経験になりました。やはり、お金をいくら積んでも市場で変えない経験というのは素敵なものです。誘ってくれたK君には改めての感謝と御祝いを申し上げます。それにしても、私もいつか新郎になるのか…皆さん20XX年をお楽しみに。とにかく、こういう場所に参加する年齢になってきたんだということでもありますし、かといって必要以上に自分に当てはめることもないですし、着々と目の前の現実を生きていれば、自分が実現したい幸せの形も徐々に浮かび上がって来るでしょう。積極性や希望を肌身離さず持っておけばの話ですが…
 それと、そろそろ締め括ろうと思っていたところですが、2023年の特筆すべきことがありました。ゴールデンウィークに神奈川県にて実の父に約20年ぶりに再会し酒を酌み交わした夜があったのです。私が幼少期を過ごした厚木の町に宿を取ったのですが、なんと偶然にも父はその近くに住んでいるのでした。もちろん約束はしたうえで神奈川で飲むことになっていたのですが、縁があるんですよね。実はその後、お盆にも一人で神奈川に帰省したのですが、さすがに父には気を遣いこえはかけていません。その代わり、80代も後半に差し掛かろうという祖父(母方の父)の家に宿泊し、大きな温泉施設で背中を流しあったり、昼の老人スナックでのカラオケに付き合ったりといった祖父孝行を実現できました。さらには、会いたかった年の離れた友人とも池袋を舞台に朝まで飲み明かしました(これはGW)。ずっとやりたいと思っていたこと、ずっとやるべきだと思っていたことを自分の力だけではないにせよ、自分の意思と自分の「稼ぎ」で実現する経験を重ねた2023年という1年は、こうして改めて振り返るとお世辞抜きで有り難く、素晴らしい1年だったんだと思います。神奈川は私にとって特別な街です(小泉今日子かよ!)。仕事をしていて辛い瞬間も、家族と摩擦が起きた瞬間も、いま振り返ったような楽しい思い出のお陰で乗りきって来ました。来年もゴールデンウィークは厚木の宿をすでに4連泊で押さえてあります。
  皆さんも何かを糧に来年も強く、時には弱く、それでもまたわずかな希望を大きな炎に育てて生きていきましょう。
今年も関わったすべての皆さんには感謝しきれません。機会があれば少しずつ恩返しさせてください。私と日々関わりのある方は、私が調子に乗っていたら恩着せがましくして構いません。とにもかくにも皆さんのお陰で今があります。よいお年を。

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