Vol.1 環境志向の道を歩んで:早稲田大学の教授が語るキャリアの選択と意義
「環境化学の研究者ってどんな人生を歩んでいるんだろう?」という疑問にお答えするべく、今回は早稲田大学創造理工学部にて、マイクロプラスチックについて研究をされている大河内博教授のインタビューをお届けします。
研究分野について──マイクロプラスチック
──最も気になるところなのですが、大河内先生がマイクロプラスチックについての研究を始めたきっかけを教えてください。
カンボジアのアンコール遺跡調査に行ったことがきっかけです。現地では観光客増加に伴う自動車排気ガスの増加によって大気汚染が深刻な問題になっていました。アンコール遺跡群に車で向かう際にペットボトルなどが道端に落ちていたり、プラスチックが適切に処分されず、穴をほって野積みされていたり、乾季にトンレサップ湖に行った際には低木林の上に花が咲いたようにプラスチックゴミが散乱しているのを目撃し、危機感を覚えました。道路や湖にこれだけプラスチックがあるのならプラスチックが紫外線によって劣化してばらばらにされてマイクロプラスチックとなり、風によって巻き上げられて空気中に浮遊しているのではないかと思いました。
日本に戻ってからマイクロプラスチックについて様々な文献を読んだり、海洋マイクロプラスチックの研究者に相談しながら、大気中マイクロプラスチックの観測を西早稲田キャンパス51号館屋上で始めました。最初は手探りで失敗ばかりでしたが、最初に大気中マイクロプラスチック研究に取り組んでくれた柳谷君が非常に熱心で研究が進みました。彼は学内の分析装置を自分で調べ、分析企業に直接相談に行ったりして共同研究を始めることになりました。柳谷君の研究を引き継いだ吉田君が研究を発展させてくれて、世界ではじめて大気中マイクロプラスチックの粒径分布を明らかにしてくれました。
現在、王君(D4)、谷君(M2)、小野塚君(M1)、熊君(M1)、小松さん(B4)、大島君(B4)が大気中のマイクロプラスチックに関する研究に取り組んでおり、徳島大学、東洋大学、大阪公立大学、日本女子大学、北海道大学、石川県立大学、広島大学、気象研究所とも共同研究を進めています。当初、マイクロプラスチック研究は雨水とエアロゾルだけでしたが、雲水、降雪、海水、波の花、土壌、植物葉、野鳥の肺、生乳を含む食品など、あるゆる環境を対象としています。外洋調査に出かけたり、父島、能登半島尖端の珠洲、豪雪地帯の松代、富士山などフィールドは陸、空、海と多岐にわたります。学生諸君が熱意をもって研究にチャレンジしてくれているからこそ研究が進展しています。
──マイクロプラスチック被害軽減のためにどうすれば良いのでしょうか。
まずは使い捨てのプラスチックを減らすことです。また、屋外利用を目的としたプラスチックは紫外線による劣化速度が速いので、できるだけ使用しないことが大切だと思います。例えば、人工芝、公園などに設置されている遊具などでプラスチックが使われていますね。プラスチックゴミがマイクロプラスチックになってから除去するのは難しいので、プラスチックの生産量、使用量をできるだけ減らすことが大切であると私は思います。消費者が多少高くてもプラスチックではない製品を購入する、プラスチック製品は使用しないという動きになれば企業側も変わるでしょう。企業としても、リユースしやすい製品、リサイクルしやすい製品を製造するという努力は必要だと思います。プラスチックは安価な高機能材料ですから簡単なことではありません。
現在、プラスチックゴミ問題解決のために生分解性プラスチックが開発されていますが、一定の条件下でないと分解されないんです。マイクロプラスチックの有害な点として、プラスチックを生産する際に使われる過剰な添加剤や、環境中の有害化学物質を濃縮しているかもしれないところにあります。これらの有害物質が体内に蓄積し、濃縮されて起こる健康被害は未知数です。
実際、微小なマイクロプラスチックが肺、血液、母乳、胎盤の母体側と胎児側から見つかっています。最新研究では、心臓からマイクロプラスチックが検出されました。マイクロプラスチックは身体中に存在していることになります。マイクロプラスチックの体内摂取経路はよくわかっていませんが、空気の吸入がもっとも多いという研究結果があります。PM2.5のマイクロプラスチックは肺の一番奥である肺胞まで運ばれてしまいます。マイクロプラスチックは飲食によって取り込まれても尿や便として排出されますが、肺に一度入ってしまうと取り除くのが難しいんですよ。大気中マイクロプラスチックによる健康被害は現在はまだ報告されていないですが、甚大な健康被害が起こる前に未然に防ぎたいと考えています。
大河内先生の環境への情熱の源泉
──学生時代では、どのようなことをされていたのですか?
幼児期は小児喘息でしたが、小学生で野球やサッカーなどを通じて体を鍛えました。中学のころ、担任の先生の影響でワンダーフォーゲル部に入部し、山を知りました。これが今の研究に繋がっています。
私の兄は3つ上なんですけど、すごく運動神経が良くて、100mとか11秒切るぐらいで走ってたんですよね。兄には運動では勝てないから、この時期から勉強に力を入れ始めました。高校ではサッカーに専念してましたね。結構サッカーが強い高校で、先輩の代と組んで神奈川県ベスト4まで行ったんですね。そのあと1年浪人して、早稲田大学に入りました。
浪人中に「水の地球化学」という分野の創始者にあたる、東京大学の菅原健先生の本を読んで、現在の研究を目指すようになりました。その時は理学的なことにすごい関心を持っていましたね。水の研究をしたかったので、大学4年生から名古屋研究室で酸性雨の研究を始めました。大学4年生の夏までは理工ボート部に所属していましたので、研究との両立は大変でした。
名古屋先生は酸性雨がご専門ではなかったので、卒論研究を始めるにあたり、自分で文献を調べたり、酸性雨の最先端研究を行っていた国立環境研究所の安部先生を訪問してアドバイスをいただき、卒業研究を行いました。自分で考えて研究を行うと研究はとても楽しく、「酸性雨の研究をもっと極めたい」と思い、理工ボート部引退後に勉強を頑張って東京工業大学大学院で一國先生に指導していただきました。一國先生は地球化学会の会長を務められた著名な先生で、地球化学の視点から酸性雨研究を展開されていました。
その後、博士課程進学を考えていましたが、一國先生が退官されてしまうため就職と博士課程進学を悩みました。結局、国家公務員試験、東京工業大学博士課程、東京農工大学博士課程を受験しました。東京農工大学には一國先生のお弟子さんである小倉先生がおられたからです。東京工業大学と東京農工大学の博士課程は受かりましたが、修士論文発表直前に神奈川大学工学部応用化学科井川先生のもとで助手の公募があることを一國先生から伺い、ダメ元で応募してみたら採用されて助手になりました。助手になってから6年間で東京大学で博士号(論文博士)を取得しました。
──就職の道は考えなかったのですか?
そこはちょっとキレイに言いすぎたかな、本当は就職も考えてたんですね(笑)。その当時はバブルの時代で、文系就職するのが流行っていて、証券いったりだとか、あとは銀行。すごくお金がよかったんですね、まあ狂った時代だったんで。
自分も一時期、高収入が欲しいなと思ってたこともあったから、そちらに目が眩んでいたこともありました。でもすごくお世話になった先輩と話す中で、やっぱり「自分が本当にやりたいことは何かな」と考えた時に、水の地球化学をやりたかったんだなって気づいて、大学院に行って勉強しようと思いました。
研究者としての道
──大学に残って研究を続けた理由は何ですか?
利益などを考えずに自分の好きな研究ができるからです。私はやっぱり大学で、自由度が高く、学生たちと楽しく研究することができるから続けています。環境研究じゃなかったら私は生き残れなかったんじゃないかなと思いますね。基本は自然が好きなので、自然の中で色んなことをやりながら研究してくっていう。それを学生と一緒にやるのが面白いなと思いました。
──どのようなときに研究のやりがいを感じますか?
研究は失敗することも多いですが、失敗を繰り返しながら思いがけない研究結果が出れば嬉しいです。
──「職業病」だなと感じることはありますか?
特にないですね。強いて言えば大学の先生は趣味と実益をかねて研究をやっていることが多いので、残業を残業とは思わず、時間の感覚がないのが職業病ですかね。
おわりに
──最後に環境に携わるキャリアを目指す方へのメッセージがあればお伝えください!
テレビや本で知るのも良いですが、実際に現場に行って現状を知って、体験してほしい。フィールドワークが大事です。現場を知ることで理解力や思考力がつくので、メディアやいろいろな人の話を鵜呑みにしないで、本当かどうかをしっかり確かめてほしいです。あと、早いうちに海外へ行って視野を広げるのも良いと思います。
編集後記
学生という立場からはなかなか想像のつかない、「教授」というキャリアに触れることができてとても有意義な取材でした。特に、学生時代にいろいろな経験をしておいた方がいいといったアドバイスを聞いて、学生という自由さを活かして新しいことにチャレンジしたいと思います。大河内先生の研究者としての心持ちや、いただいたアドバイスをもとに、今後の学生生活をより充実させていきたいと思います。
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