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俯瞰し続ける覚悟 = f(事実と意見の切り分け)

「あなたとは違うんです」。辞任会見のラスト、そう言い放ってステージを降りた首相がいる。福田康夫、第91代内閣総理大臣だ。彼の為人について詳しく知りたい方は他をあたってほしい。彼が当時、自民党総裁で総理大臣だったということさえ知っていれば、今はそれで構わない。彼の残した言葉はその年の流行語大賞にノミネートされるまでになった。でも彼が本当に叫びたかったのは、もしかしたらこんな事じゃなかったのかもしれない。令和二年初の投稿がこれでいいのか。記念すべき第十弾。 / やまびこ恵好

※先に断っておくと、これは特定の政治的主張やイデオロギー、宗教、その他集団とは関連のない、純粋な哲学的思考に基づいた主観と客観にまつわる思考実験である。


正負の二面性

年始、大勢の親戚に囲まれて過ごした。煩わしいと思う反面、一族がこれだけ元気で活発に交流しているのもなかなか運の良い話だ。

人が集まるところには自然と食べ物が集まる。こう見えて一般よりは大食いな方なので、元旦は特にごちそうをたらふく腹に詰め込む羽目になった。これもけったいな話なようで、まったくありがたいことだ。

世の中はできごとは大抵、こんなふうに二面的に存在している。おめでたいような、煩わしいような。芸能人の結婚報道でテレビが賑わうのも、年始にかけて毎年のことだ。

今回の被害者のひとり、霜降り明星の粗品氏は年始早々、生放送で「せぇへん!」と断言していたが。彼女と同棲はしているようなので、まったくその気がないというわけでもなさそうだ。

フライデーにすっぱ抜かれる程には一流芸能人として上り詰めてしまったのだなと、どこか寂しい気持ちになる。どうやら言質がとれているのは「(彼女のことを)真剣に考えている」という部分だけで、結婚云々は周囲が勝手に騒いでいることだとか。

やっぱりこの手の話題は、芸能界だろうと田舎の親戚の集まりだろうと迷惑千万である。


事実と意見の切り分け

事実と意見がごっちゃになった言説は、しばしば人を不幸にする。世の中に情報を発信していく立場の一人として、主観と客観の区別は常にはっきりとしておきたいものだ。

主観と客観。哲学書からビジネス実用書まで取扱いのある普遍的なテーマだが、明確に区別がついている人はどのくらいいるのだろうか。

主客二元論を考える上で、公の発言を引用するべき人物と言えば、この国では福田元首相をおいて他にいない。彼は2009年の辞任会見の最後、中国新聞の記者と下のようなやりとりをした後、表舞台を去った。

記者:総理の会見は国民には他人事のように聞こえるという話がされてきた。今日の会見を聞いても率直にそのような印象を持つ。安倍総理に続くこのような形でやめることが自民党を中心にどのような影響を持っていると考えるか。
首相:順調に行けばいいが、私の先を見通すこの目のなかには決して順調ではない可能性がある。またその状況の中で不測の事態に陥ってはいけないと考えた。他人事のようにとあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです。そういうこともあわせ考えていただきたいと思います。

当時多くの人が首を傾げたことだろう。この捨て台詞だけがひとり大流行する一方で、彼個人にはとにかく批判が殺到した。

前職の安倍氏に続いて約1年で政権を放棄したことに対し、無責任であるとか逆ギレだとか説明不足だとか、メディアも言いたい放題だった。

実際、会見の中で自ら挙げていた辞任理由は、

・大連立に失敗して、ねじれ国会の中で審議がスムーズでない
・これまで放置されてきた様々な問題に直面した
・辞職するにあたり解散総選挙で政治空白をつくらないため

というものだった。

これまで参院で過半数割れを起こした与党はことごとく政権を追われてきた歴史がある。それだけ、参院割れのねじれ国会は野党にとって嫌がらせのしやすい構造になっているわけだ。

とはいえ、「しんどい目に遭ってやめたいけど国民に迷惑をかけないために解散しません」というだけの理由であっさり退けられるほど、内閣総理大臣の椅子は軽いものなのだろうか。説明不足という批判に関しては、あながち不当であるとも言い難いのかもしれない。

少し調べてみると、彼の辞任については大きく二つの与太話がまことしやかにささやかれていた。ひとつは公明党との軋轢から生じた「福田おろし説」。もう一つは米国の圧力から逃れるための「救国ハラキリ説」だ。

公的声明や文書記録に基づいたものではないので、大筋のイメージだけラフに図解しておく。解釈は各々自由にやっていただきたい。


福田おろし

スライド1


救国ハラキリ説

スライド2


さて、ここで重要なのは真実がどこにあるかということではなく、真実は誰にも分からないということだ。

彼が何から誰を守ろうとしたかに関わらず、「客観的に見ることができる」彼が、どうして会見の中ですべてを説明しきれなかったのか。ここに客観性という考えの限界がある。


客観性の正体

哲学の世界でも主観と客観についての激しい論争が続いてきた。一定の解答を出した近代哲学者の一人にカントがいる。

カントの「純粋理性批判」の中では、私たちが認識しているものは「現象」に過ぎず、主観から独立した客観をそのまま得ることはできないとされている。

現象を観測している私たちの認識形式は有機的で絶対のものではないからだ。すこし砕いて言うと次のようになる。

目の前に赤いリンゴがある。これを「赤いリンゴ」がそもそも存在していて、我々がそれを認識しているとするのは難しい。なぜなら、人によって、タイミングや環境によって、「赤さ」というものの捉え方が変化するからだ。ある者にとってそれは「まだ青いリンゴ」かもしれない。つまり「赤いリンゴ」はある特定の現象に対する個人の見解、すなわち主観に過ぎず、私たち人間が現象を生み出す本体を直接認識することはできない。

私たちの「客観的」という概念認識すらも主観の産物にすぎない。言い換えれば、客観的に客観的であるものは存在しえない。なぜなら客観的だと判断しているのは他でもない主観だからだ。

もしあなたが自分のことを客観的な人間だと信じて疑わないのだとしたら、それはあなたの主観が生み出した幻想なので、早々に捨て去るべきだろう。


分析的思考≠客観的思考

これはデータに対する向き合い方にも同様に表れる。

大学入学からこっち、分析的分野に身を置き続けてきてしばしば行き当たる主張にこういうものがある。

「データはウソをつかない」
「仮説はデータを足掛かりに立てた方がよい」

確かに一見すると、数字で記録されたデータは不変で、ウソをつかないように見えるし、世の中の事象をそのままくり抜いた誠実なもののような気がする。

しかしそもそも、データとは極めて恣意的な枠組みの中で、意図的に収集された手がかりの断片だ。アンケート調査はその母体がリーチする範囲の人間の感想しか掬えず、国勢調査も税収の管理という明確な意図のもので行われている。

データに誠実に向き合う分析的思考は、自分を客観的だと思い込むこととは程遠い。真に分析的なのは、自己と自ら集めたデータの主観性を認めた上で、その中からより多くの人間の主観に寄り添う妥当性を探る思考のことだ。

事実と意見の切り分けとは、主観と客観のことではなく、多くの人間にとって妥当な主張と、そうでない部分の切り分けという点が重要だったわけだ。


自分を俯瞰し続ける覚悟

自己の主張が人々にとって妥当であるかそうでないかを切り分ける。

言葉にするのは簡単だが、この妥当性を担保するためには、逆説的に、自分以外の視点、すなわち客観性が求められる。

ただしこれはあるデータや主張を絶対的な事実だと信じて疑わない客観性とは意味が異なる。個人の主観が相対的であるが故に相容れないということを理解して、自己との相対的な距離で物事を多面的に捉える客観性のことだ。

絶対的客観と相対的客観と言い換えてもいい。

相対的客観を養うには自己を俯瞰し続ける努力が必要になる。もう一度言うが、私たちの認識は体調や時刻、空間その他の環境要因によって容易に変化する。自己の内面ですら、在るがままを絶対的に捉えきることは不可能だ。

故に自分を俯瞰するという行為も事実上不可能に近い。しかしそれを試み続けることでしか、我々の主観に基づく相対的客観は妥当性を帯びてこない。


あるいは福田元首相は、この境地に達していたのかもしれない。達したうえで、自らの「本音」が国民にとって必ずしも妥当ではないと判断していたとしたら。

しかもその中で被爆地の記者の”心無い”質問をぶつけられていたとしたら。


あのやりきれなさのこもった「名言」も、もう少し深読みの余地がありそうなものだ。



今日の関数:

俯瞰し続ける覚悟
= 0.2*お腹いっぱいのごちそう + 0.8*2009年09月01日のできごと

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