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ダンスと競技

ダンスは競技にした途端、色褪せてしまう。これは私的感想。自分にはそう見える。
オリンピック競技になったブレイキング。超人的な身体能力による技に驚嘆したが、どうも音楽に合っていない様な…。そう思う事度々。因みに音を消して見ていると、全く音楽が感じられない。所謂ストリートダンスの古い動画は、音楽を消しても何となく音楽が聴こえる様な気がする。

ダンスは音楽あってのダンス。音があるから身体が動いてダンスになる。ダンスが出来上がるまでには、人々の生活があってストーリーがある。だからダンスは文化なのだ。
しかし競技になった瞬間文化は失われて、技術進化だけ一人歩きしている。そんな感じに思える。

自分もサルサ音楽が大好きで、ダンスも夢中になった時期がある。
音楽はメロディとリズムとハーモニーからなる。ラテン音楽はリズムが変拍子でメロディとやや合わない。これが独特で日本人には難しい。
日本人はほぼメロディしか聴かない。リズムに合わせて踊れない。結果メロディで踊る。その為、ラテンをルーツに持つ人とそれ以外の人では、音のとり方が違う。これは本当に微妙。
自分はキューバ人の先生にダンスを習った。彼は一所懸命にリズムのとり方を教えてくれた。しかし日本人には至難の業。先生も半ば諦め気味。しかし彼のダンスに憧れていた自分。とにかく馬鹿の様に、くる日もくる日もリズムを聴きながらダンスの練習。そのうちサルサバーで踊っていると、突然スペイン語で話しかけてくる人が。見ればラティーノ。ダンスを見てラティーノと勘違いしたらしい。まあ、見た目もそうなのかも。そんな事が重なる。そうなるとラテン音楽に益々ハマった。そして逆に日本人のダンスが、音楽に合っていないのが気になる。ある時興醒めてダンスはやめてしまった。勿論音楽は今でも大好きだ。
練習熱心な日本人はペアワークは優秀。決して下手では無い。しかし音楽との親和性が薄い。しかも多くの日本人は発表会とか競技が好き。となれば、益々ペアワークとか技にのめり込む。普通のラティーノやラティーナ顔負け。名人級だ。一方、音楽はそっちのけ。ダンスを踊っても、そもそもラテン音楽はあんまり聴かない。
今回のオリンピックのブレイキングで、この事を思い出した。
ダンスと競技は相性が悪いと思う。

柔道なんかも度々「あれは技としては有効かもしれないが、柔道では無い」と言われる場面がある。スポーツであって武道ではないと。剣道もそれを嫌って、オリンピック種目に手を挙げないらしい。武道とは礼に始まり礼に終わる。それが武道らしい。

ダンスも音楽の一表現で、音楽の一つの楽しみ方だ。競技であるのは無理があるような。
これはあくまでも私見。正解は無い。

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