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エゴからの脱皮Ⅱ

引き続きエゴについてです。エゴがエゴに食らいつきですね。
しかし、ここは私の中で、ここの仕組みというかカラクリを知りたいがための探求です。

知ってどうなるか?わかりません。

日々、瞑想しつつ内観しつつ、目を閉じてポクポクポクとやってるとふと「閃いた」と気づいてしまうことがあるんです。あるもんなんです。

エゴの件についても『閃き』訪れましたので考察です。

その閃きとは…⁉︎

期待しないでお気軽にどうぞ。後半ほぼ仮説です(笑)


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『気づき』の正体

先日、頭の中で私ワールドの住人たち『エゴの皆さん』が大規模なデモをした際に「こんなご時世に過密すぎるエゴの騒乱ぶり」とオロオロと見てる私のほかにもう1人、傍観している何ものかがいるようだと書きました。前々回の記事で書いたなぞの傍観者さんです。

私は今だかつてチャネリングらしきも、体外離脱も、松果体開眼も、一瞥体験もしたことがありません(と思ってますが)

何か試したんですか?って話しですがハイ、もちろん試しましたよ!

宇宙人とチャネリングしたくて遠くの空に話しかけてみたり、体外離脱してみたくてヘミシンク聞いてみたり、松果体活性化したくておでこにピップエレキバン貼ってみたり(あほ)一瞥体験してみたくて無意味に電車に揺られてみたり。

もちろん、そうそう簡単にできるとも思ってませんが、そんな現象があるのか!と知れば試したくなるサガなのですね。

モヤモヤしたのが嫌なんです。心の中にあるモヤモヤは二重スリット実験の如く、観察してしまえば物質化してボトッと落ちるんじゃないか?と考えているので、とにかく日々内観、ひたすら内観、それが日課。むしろこの数ヶ月はそれだけが生き甲斐のようにそこに執着しまくって内観してます。
矛盾をはらんでるのは承知の上で(笑)

で、その傍観者的の正体は何ものか知りたくて、もしやこれが宇宙人とかだったりして!あるいは守護霊さんとかその手の異次元存在だったらいいな!などと淡く期待してましたが。どうやら違うようです。

あれから、たまにうとうとしている時などにふとビジョンが浮かんだり、言葉が浮かんだりするすること度々。少し頻度が上がってきたようで、時々『閃き』みたいのが来るようになったんですね。『閃き』というか『気づき』みたいな感じです。

何度かそういうことが起こり、ある日「あ、これがもしかして『ハイヤーセルフ』っていうやつなんじゃないかな?」と気づきました。これもおそらくですが。

たぶん知らずに自分にチャネリングしたってことですね。

ハイヤーセルフと繋がるには執着外して波動軽くするのが条件のようだったんですが、今までは自分軸からブレまくっていたのでなかなかチャンネル合わなかったけど、ようやく周波数あったってことでしょうかね、めちゃ執着した甲斐がありました、と感涙です(?)

あの『閃き』『気づき』はハイヤーセルフの声だと思うんです。

ハイヤーセルフは『高次元の自分』って解釈で、これも知識でわかっててもどうも腑に落ちなかった。でももしこれがハイヤーセルフだとすれば『いろんな設定知ってる自分』てことですよね。だから『気づき』があるとき、何となく「あ、それ知ってたかも」って気持ちになるんでしょうね。

このハイヤーセルフが最近、ずばずば『気づき』『閃き』ビームを乱射してくるんです。その都度ガラスの仮面北島マヤちゃんの「ウォーター!」みたくなるんです。そしてスッキリ!

しかし、先日のダイアリーで書きましたが、気づいちゃうと、浦島状態に陥り『しまった!これからどうしよう!』となる場合もあります。

映像で表現するなら、さっきまでものすごい勢いで活動していたエゴ集団が時を止めたようにピタっと動かなくなるようなイメージです。気づくと静止画になる。

でも消えてはなくてそこにある。その固まったエゴたちも困ってしまってて「で、この後どうすれば?動き再開する?消えてく?変身する?」みたいにこちらをチラチラ見て指示待ちしてるような状態。
中にはぎこちなくまだ動くエゴもいるし、消えたらしいエゴもいるし、勝手に変身したエゴもいるようです。

とりあえず今は静止画のままで上等なのではないかと思ってそのままにしてます。

ハイヤーセルフからは『間(空間)』をつくれってアドバイスだったので、次の段階はエゴ片付けってことですね。

ちなみにハイヤーセルフのイメージですが、私の場合はなぜか女優の天海祐希さんみたいな感じです。雰囲気がね。サバサバして。



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エゴは創作物

エゴって創作物なんでしょうね。しかも本当の自分といわれる『魂』と分離した状態の身体側についている一番めんどくさいオプションです。

肉体に思考と感情をセットして魂にかぶせたところ、思考と感情が勝手にコラボして組んず解れつしながら肥大したのがエゴ。

何でもラベリングして妄想して怒って後悔して不安がって好き放題。

「でも」「だって」「だから」「べき」「しなくては」つきのラベルついたらだいたいエゴ。後からくっつけただけ。

このエゴが創作物だと理解した上で、ちょっと解体してみたくなりました。

『私』というラベリングに必要だったひとつのエゴを観察すると、どうやら何層にも折りたたまっているようです。顕在化してる部分では「私ブランド」がありその下に「だってこうだからラベル」が何層かあり、さらにその下に「そうあるべきラベル」が何層かあり、この辺りから潜在化しているようで普段は見えてない、というか自分では気づかない層に入っていくんです。

その下に潜ったくらいから、他のエゴのブロックとも連動し始めるようです。ああ、このエゴはこっちと紐づいてるのね、みたいな感じで横にも繋がっていきます。

その都度ほかのエゴに構ってるとその層で終わってしまうので、それらはあとで構ってあげることにして、さらに下に潜ります。だんだん自分で「封印していた深層心理」が垣間見えてきます。

これは私の解釈ですがエックハルト・トール氏のいうペインボディというのがこの辺りのことなんじゃないかな、とも思います。漠然とした解釈ですが。

このペインボディ層の下のほうで複雑に絡み合った糸が解けてきて、どうやら核心に近くなるようなんです。

で、わかっちゃう。見たくないもの見ちゃう。ここで驚愕するのが、結局そこに本当の自分(魂)がいるんですよ。

うわ、マジで⁉︎ってなりますよ。元を手繰ればエゴの元は自分自身が発信してたという事実。本当の自分はピュアで純粋な魂だと信じてたのに、こんな面倒くさいエゴを創り出していたとは。

うわぁ!自分で生産し続けてだなんて!

まるで故障だの不良品だのさんざんクレームつけといて、じつは自分がスイッチ入れてなかっただけでした、みたいな感じです。しらーっとしたムードです。ほんとお騒がせしてすみません、お呼びでない?こりゃまた失礼いたしました!なオチです。

でもそれ知ったところで、これからどうしよう⁉︎になるわけです。おそらくひとつひとつエゴを解体して、やっぱりね、という確認作業をして腑に落とすしかないのだろうけど。

いま私は、バラバラにしたエゴが床一面に広がってていて、それを眺めながら「困ったな、これどうやって片付けようかな」と頭ぽりぽりしている状態です。

前にも書きましたが、エゴはなくならないし、全部が不要だとは限らないからです。ありすぎはよくない。なさすぎもよくない。適量をお守りください、なのです。

エゴ全般が悪いわけではなくて、なんていうかダークサイドのエゴだけじゃなくてブライトサイドのエゴもいるわけなんです。だから頭ぽりぽりになっちゃうんです。

ちなみに顕在化しているネガティブな思考感情も下層部分では真逆な場合が多いです。

劣等感が顕在化していたけどペインボディ層の下に入った時じつはそれは優越感だった、とかです。



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宇宙の本能

これも(ハイヤーセルフによる?)気づきで閃いたことなんですが、どうやら宇宙の本能と私たちの魂の本能ってシンクロしてるようなんです。

そりゃそうですよね、もとは同じ意識体なわけですし、意識体に遺伝子があるかどうかはわかりませんが、同じ遺伝子を存在する全てが持ってるわけですよね。波動として。

私たちも本能的な部分で①自分の存在を確認したい ②成長、拡大、進化、したいという気持ちがあります。それと③協調と調和。

成長、拡大は種族の繁栄ですよね。人間に限らず動物も植物もそうやって進化してきました。

環境に応じてある植物が変容し進化したならそれに合わせて昆虫も変容し進化する。拡大したいのは種族を繁栄させたいからです。

一方で③調和の本能では、自分たちの種族か全体の調和として不利益になると悟った場合自滅の道を選ぶこともあります。それが大きな種として有益になる場合、自然治癒的にそうなるようです。そういう協調・調和の形をとることもあります。

そして肝心なのが①自分の存在を確認したい

ビッグバンは何もない意識体だけの『無』だけど『在り』な空間に光として広義での愛の波動のまま無垢な状態で漂っていたところに「ん?」と何か気づいてビッグにバン!したわけですよね。で一瞬にして全てを本当に全てを創り上げて、今私たちもその一瞬の中にいるわけです、おそらく。

で、この「ん?」がずーっと気になってた。なんで急に「ん?」なの。

見渡す限り完璧なそこで、何の問題も障害もなく平穏なそこで、なんで「ん?」なわけ。

それもハイヤーセルフが教えてくれました。とは言っても勝手に私が想像しただけかも知れませんし事実はわかりませんので、以下の文章は仮説としてエンタメ的にどうぞ。

宇宙が「ん?」となった理由。

『点(粒)』があったんです。小さい小さい点。

それに意識を向けて「ん?何これ?ハッ!てかここどこ?私だれ?」になったんです。自分の中にあった『点』に気づいて。異変が起きたんです。

あれですよ、美白完璧でケア万全だったのに、ある朝小さなシミができてることに気づいたらパニくりますよね。なんでなんでなんでなんで?になります。あの感覚に近い…かなぁ、ちがうかな。

話し戻して、この『点』これ本当はほっといてよかったんです。

宇宙が完璧なのは、その点が観測者のような役割をしてくれてたからなんです。気づかない程度に。無限の膨大な光と小さな点。宇宙は「これ何」のほかに「わたし何」の自我も同時に気づいてしまったわけです。

一点のネガティブな点(その当時、ネガティブなものだったかは不明)の正体がわからず不安になります。同時に自分がそれまで完璧であったことを自覚します。『愛と怖れ』二元性の発生です。もともと自分の中にあったんだからそれごと自分という認識でよかったのに、その時の宇宙ときたら、

何これ、こんなの前からあったっけ?あっていいものだっけ?どうする?これ何?気持ち悪いけど興味あるう!

で『点』の中身を知りたくなりました。不安と恐怖な気持ちを持って。

そこで気づいといてほしかったなあ。この点があるからこその美を。黒子があるからこそのセクシーさを。そして個性を。その『点』もあって、私は完璧なんですよ、と。そういう意味での『点』なだけなことに。

だから消そうとかしなくていいのです。

同じ本能、遺伝子をもっている私たちも元々のネガティブ感情ってこのくらいの点だったんです。その点に気づいて不安だから取り除こうとしてどんどん拡げてしまったんです。肉体持つとどうしても執着がでて、同時に不安要素って膨らみます。

ネガティブに見える感覚も『点』程度に持っててよくて、ネガティブとして観察するからその『点』はネガティブとなってるだけ。本当はだだの点。あんまり意味はなくてその粒である『点』がぽちっとあるから無限で膨大な『光』が光り輝いてるんです。でないと本当にただの愛ある虚無になってしまう。だからお互いが観測者ってことなんでしょうね。

ただの『点』をネガティブという意味づけをするからネガティブとして存在している。そんな感じです。

でね、その『点』の中って、じつはまた宇宙があるんです。その宇宙にもまた点があり、その中にもまたその中にも。開けても開けても無限にです。


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広がる虚無

ネガティブとかエゴは作りものでそれに振り回されてただけと気づくと虚無感きます。なあんだ、そういうことか…。で?

もちろんこれが真実とかなんて誰にもわかるはずもありませんが、ハイヤーセルフらしき閃きが教えてくれた私の見たビジョンで私がそう思っただけかも知れません。それに宇宙が無限であって偉大であって、現状ここにいる自分があまりにも小すぎる存在であることに変わりはないんです。点以下。

物質的にみれば、とるにたらないし、存在意義などないような感覚がきます。もちろん自分だけじゃなく目の前の動いてるもの全部です。分離感も半端なく孤独感も虚無感もすごい。だったらはやくこのエゴの皮脱いで宇宙に帰りたい、などと思うんです。無意味だなぁこの世界は…と。やる気はゼロ状態。

これ落とし穴です。これじゃあ無意味にただ生きてるだけじゃん。ネガティブな感動をもってポジティブな光の感動へ、っていう理屈がわかったところで三次元がいきなり五次元になるわけでもなく相変わらず地球での生活があるんですから。

ちょっとバカらしくなってくるんですね。いやちょっとなんてもんじゃなくて、かなりバカらしい。特に時間を売って、魂を売って、頑張って労働してきたことへの虚しさ、無意味さにしばし心をやられます。それ意外の苦い経験、あの悲しみや苦しみはなに?と。目の前の現状は変わらないのに、その虚しさに気づいてしまうと、前みたいに頑張れない。また元の生活にどうやって戻るの、と。その答えが欲しくて、そのため瞑想したり波動上げに躍起になったりします。

というか、そうしたくなります自ずと。

とりあえずはそれでいいと思うんです。おそらくそれが今1番やりたいことなわけですから。

回復の目処。

波動は共振する、あれはおそらく本当です。これだけはスピリチュアル入門編(と検証癖)の私でも確信してます。引き寄せ的な運的な、目に見えないそういうの、本当にあるんですよ。この話しはまたそのうち。

話し戻します。なんだ、無意味だったのか。この虚無感は勝手に広がっていく最後のエゴの抵抗みたいなものだと思ってください。『点』の正体みたいなもんです。それすらも「なあんだ」なんです。

宇宙は完璧です。一瞬で『私』のすべてを作っているわけですから。その中に私たちもいる。逆にいえば守られてるわけです。無意味に存在しているものも、くだらないと思えることも、意味があってそこにあるのと同時にやはり無意味なんです。ああややこしい。

起こる出来事は、ポジティブに捉えようがネガティブに捉えようが現象自体は変わらない。

虚無感はあるけど、虚無感そのものも意味があって意味はないんです。

こういうこと書いてる本や記事も世の中にはたくさんあるけど、腑に落とすってなかなか難しい。

いろんな表現があって、あとになって「ああ、あの文章の意味はこういう感じか」と気づいたりするようです。

虚無感と無意味感きたら抵抗しないでぼーっと過ごしましょう。瞑想したり鳩に餌あげたり、チャネリングしたり、なんならスプーン曲げしたりしてもいいですし、やけくそになってビールとポテチと映画三昧でもいいですし、一日中眠っててもいいですし、気のすむままに世を儚むのもいいでしょう。意図的に現実逃避していいんです。だってそれも現実だから。

なんのために生きるのか、宇宙の自分探しのために生かされてるのか。わからなくなります。わからなくなったり、いやいや意味はある、と思い直したりを行ったり来たり。

わかることは、自分も自分探ししてるし宇宙も自分探ししてるってこと。とるにたらない自分も偉大な宇宙もやってることは同じ。だって本能も同じなんですから。


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それだって体験

もうひとつ、最近、気づかされたことがあります。

それは『他人は私の代わりに体験してくれてて、私も誰かの代わりに体験している』ということです。

少し前までの自分だったらいわゆる成功者や幸せそうな人をみては『どうして私はああはならなかったんだろう』『どこで選択肢を誤ったのか』『どうしてこんな風に生まれついたんだろう』とネガティブな思考クセがありました。

ああなればきっと幸せになれる、という条件つきジャッジですね。不足感から足りないものを補えば幸せになれる、と思ってたんです。

でも、ふと『あの人たちは自分の代わりに体験してるだけ』というメッセージというか気づきがふと頭の中に湧いたんです。

羨ましい幸せな生活している人も、困難な生活をしている人も『私の代わりに体験している』

ということは、停滞してしまって、ものごとを楽しめなくなったこの私も『あの人たちの代わりに体験しているだけ』

映画やドラマやライブ見て楽しめない代わりに、内観作業や瞑想を楽しんでいる。

旅行やテーマパークを楽しめない代わりに、心の中のエゴ解体や情報集めを楽しんでいる。

宇宙は完璧だから、すべてのデータを寸分の狂いもなく一括管理してます。どの設定でどの選択肢でアクションだったとしても全てが正解なんです。

繰り返すけど宇宙は完璧だから。幸せか不幸かは私たち本人が決めることであって、観念のひとつ。諸行無常であって、すべて始まりがあって終わりがくるというサイクルを繰り返してるに過ぎない。

その中でどうあるべきか、というエゴではなくどういう心の状態でありたいか、なんですね。

前に生き物の本質は『食う寝る遊ぶ』と書きましたが、この『遊ぶ』とは感情を味わいつくすということなんでしょうね。

喜怒哀楽のすべてを堪能する。さっきの『点』のようにそれがあるから『光』が際立つ。なければ結局虚無。

喜怒哀楽に理由は要らないんです。出世したから『喜ぶ』のも美味しいもの食べたから『喜ぶ』のも同じ。

〇〇したから『喜ぶ』のではなくてただ『喜ぶ』なんです。

同様に怒るのも哀しむのも楽しむのも。
味わうのだけが本質ってことなんじゃないでしょうか。
そのメリハリがあって虚無じゃなくなるわけです。好き勝手という意味ではないですよ、好き勝手してあとで後悔や罪悪感が来ない範囲でメリハリを楽しめばいいんです。

ちなみに、生まれたときから死ぬまで「ハッピー!ラララ♪」みたいな人はいないです。

もしそんな人がいたら間違いなく哀しみ知ってます。だからラララ♪してられるんです。

以前どこかでラララ♪を体験して知っているからです。

経験しているから起こる感情なんですね。

〇〇があれば、〇〇になれば、そしたら幸せになれるのに、
の〇〇こそエゴの表層意識であって、本当はそこが一番意味がないのだと思います。


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まとめ

心にようやくスペースができて、たまにだけどハイヤーセルフ?とも繋がって自分にとって価値ある気づきに遭遇することがあります。

宇宙は完璧です。波動の法則も間違いなくありますね。そこは疑いようもなく。

ハイヤーセルフというか、もそもそも宇宙に繋がっている部分の自分の意識なわけですから、自分にチャネリングで十分だなと思います。わかりやすく教えてくれるし。

頭の中にスペース『空(くう)』を作ること。その『空』の部分が本当の自分だと教えてくれました。探してもないわけです。そこにあったんだから。

同じ理屈で宇宙の自分探しってというか自分確認作業ってもう終わってると思うんですよね。あの『点』も「なんだ、シミかと思ったけどチャーミングな黒子で逆にむしろ美♡」と思っていることでしょう。あとはその黒子があること自体忘れてくれるといいんですけど笑

また、すてきな気づきがあったらまた書いていこうと思います。なんかハッと気づいても近くにメモとかないと忘れちゃうんですよね。まだ繋がりが薄いのかなぁ。


ではまた!

心の平穏めざして。



おわり

























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