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エゴからの脱皮

先日は統合についてお話ししました。今日はぜひとも手放したい『エゴ』について、少しだけ掘り下げて考えてみたいとおもいました。

『エゴ』の皮を剥ぐことで、本当の自分が見えてくるといいます。

本当の自分に気づけば、迷いがなく人生を生きやすくなるといいますよね。

この件についてこの間、ちょっと不思議なことがあったので、今回はそれも踏まえてお話しします。



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エゴは頭の中で集会を開いている

エゴを手放したら、本当の自分が見えてくる。

おそらくそれは、その通りだと思います。

本当の自分?いま、手放したいエゴがたくさんあることに気づいたときが『本当の自分』なんじゃないの?

私もそう思っていました。でも、エゴって頭の中でおしゃべりしてる自分全員ぽいんです。

脳内会議なんてもんじゃなくて、脳内集会、あるいは脳内デモみたいな感じでうじゃうじゃいます。そこらへんの思いつき全てを巻き込んで、それについてあーだこーだ好き放題言ってます。

先日こんなことがありました。瞑想後にエゴについて思いを巡らせているときに、不思議な体感があったんです。頭の中で「こいつがエゴだ!」って思っていたヤツをさらにバッシングしたり正当化したりクールぶって評価しはじめたりするヤツがわらわら現れてきたんです。

ネガティブなことばかりじゃなくて、ポジティブなことをいうエゴもいる。というか、本当うじゃうじゃいっぱいいた٩( ᐛ )و

もう、頭の中は支離滅裂状態。

お前はだからダメなんだとか、いやいやそこが可愛いところとか、今すぐ死んだほうがいいとか、いや心のクリーニング続けたらなんか良いアイデア浮かぶから待ちなよとか、高次元宇宙から見たら些細なことだよとか、とは言っても三次元に生きてるんだから足下見ろとか。

初めはネガティブな思考を、本当の自分と思われるポジティブ思考が制御してるのかと思いました。まるで天使と悪魔。

そのバトルがだんだんエスカレートし、悪魔がネガティブな未来の妄想や過去の記録とか持ち出してつべこべ言い出し、天使がそれをポジティブな逆説解説で取り繕う。それがしばらく続き、埒があかない。

もうわけがわかんなくなったのでそれらのやりとりを、ぼんやり眺めていました。

そしたら、ちょっと不思議なことが起きたんです。

眺めているときに、ふとその『眺めている自分』に気づいたんです。

『あいつら、なんかうるさいなぁ』

初めはまた、新手のエゴが登場したのかと思いました。その時はもう、いくらでもニューキャラ登場するが良い、勝手にせい。みたいな気分でしたからいちいち驚きもしませんでした。

でもその時、フッと以前みた動画の内容を思い出したんです。

その方は、摂食障害で長年苦しんでいてカウンセリングや自己ワークやいろいろなことを実践して、ある時ポロッと『エゴがとれた』状態になったそうなんです。

『あり?今までの自分て自分じゃないじゃん?』

この方は本当の自分を見つけた瞬間、と表現されてましたが、おそらく宇宙に繋がったワンネス体験をしたんじゃないかな、とその時思いました。

そんなエピソードが、自分の頭の中で『あいつら、うるさいなぁ』と思っている超傍観者的な自分?と少し重なったので、そのままその傍観者的自分らしきものに聞いてみたんです。

『で?この頭の中のデモはいったいなんの騒ぎなのさ?』


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エネルギーが詰まってる

ここからちょっと不思議な話しになるんですけど、『うるさがってる傍観者的自分』とニュートラルな思考の自分が会話のようなものをはじめたんです(@_@)


以下、傍観者的自分を『傍観者』、ニュートラル思考の自分を『私』とします。会話といってもちゃんとした会話じゃなく雰囲気?みたいなものなので脚本風に仕立ててます。


私『エゴってどんだけあるのよ…、これじゃ本当の自分なんて見分けられないよ』

傍観者『そうねえー、ごちゃごちゃしすぎてるね』

私『そうおっしゃるアナタはエゴ?それとも実は私の本当の自分とか?』

傍観者『そうねえー、そうとも言えるし』

私『えっ、じゃあやっぱり、まさか回りくどい登場の仕方しといてアナタもエゴの一味とか?』

傍観者『……』

私『まあ、いいや。私、あの集団嫌いです。ほんとエゴの塊。その通りなんですけど(笑)誰かが何かいいだすと誰かが被せて抵抗してて埒あかないですよねー。敬語でいいのかな?』

傍観者『なんでもいいよ。あいつら騒がせといてもいいし、黙らせてもいいんだよ。好きなほうで』

私『黙らせたい。シャーラップ!って黙らせたい!どうすればいいの?また自分で考えろってパターン?ムリ!あいつらに殺される!』

さっきのエゴの脳内デモで、一時的に「お前もう死んじゃえよ」みたいな声を聞いたので怖くなっていたのでした。そういうエゴ持った自分がまだいることに気づいて。

傍観者『私にあんたを殺させたい?生かしたい?って聞きたいかも知れないね。あんたどう思ってるの』

私『わかんない。でも肉体を生かしとくためには私には今、生存願望エネルギーが足りてない気がする、怖くなってる』

傍観者『そうだね。エネルギーをアセ〇〇ムすればいい』

私『エネルギーをなに?セーラームーン?』

傍観者『アセ〇〇ム』

私『あせだく?』

アセなんとかまでは聞きとる、というか感じとれるんですけどよくわからない単語でした。ようやくどうやら『アセラム』(あってるか不明だけど)って言ってることがわかりました。

私『エネルギーをアセ〇〇ムすればいいの?って、アセ〇〇ムってなによ』

会話的なものはここまででした。

その後、いつものように統合ワークをすればいいのかなと思い、傍観者に『まだ離れないでよ』と願いながら、わらわら湧きでるキリのないエゴ集団を手放していく作業を始めてみました。



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エゴは左半身に棲息する

いつもだったら、胸の真ん中へんハートのあたりからネガティブな感情を出すんですけど、この時はちょっと違いました。

あんなエゴ、こんなエゴ、が次々と湧いてくるのはいつも通りなんですけど、このときはやたらと左半身が気になるんです。

エゴAが左の肩あたりとかエゴBが左の胸から背中あたりとかエゴCが左の頭から首あたりとか、とにかくやたらと左側。(※イメージ上)

あ。左脳ってなんだっけ、思考とか理性を司るほうだっけ?ふとそんなことを思い出しました。

『左脳にエゴが棲息しているのかな』などと思いながら次々と湧いてくるエゴを手放す、というか左半身のあちこちにヘドロのようにドロドロしたイメージのものを右手でせっせとえぐりとる作業をしていました。

私『これキリがない。でもとにかく左側なのね?左半身にエゴがこびりつくのね?んでこれがアセ〇〇ム?』

傍観者はとくに何も言わないんですけど、
なにか何にも見えないけどシャワーのようなもの左半身に流してる感じです。
いいから続けなさいと言わんばかりに。

私『これ浄化ってやつですかね?』

傍観者『そうともいう。詰まってるから流れてないんだよ』

私『アセラムって、左半身に詰まってるエゴをドロドロをえぐりとって、シャワーで流すこと?』

傍観者『シャワーとはちょっと違う。川みたいなのかな。とめたりしないから』

私『よく言われてる、光のエネルギーワークってこういうのかな』

傍観者『そうかもね』

この傍観者にとっては名称とかはどうでもいいらしいんです。なんか曖昧。

私『とにかくエネルギーの川の流れにエゴ見つけ次第放り込めばいいんだね』

傍観者『そうだねー』

私『エネルギーを循環させる、ってこと?』

傍観者『トーラスみたいなの想像してるね?その方がわかりやすいからかな?エネルギーは流れてるもんだと思えばいい。循環とかじゃなくて無限に流れてるもんだよ』

私『降ってくる感じもありますね』

傍観者『降ってるもいいね、落ちてるとかでもいいね、まあどっかから流れてるんだよ』

私『とにかく、それを左半身にいつもなんか流れてるのを意識しとけばいいのね』

傍観者『そう。まず手始めにそうしときなー』

私『で、アセ〇〇ムがなんなのかはなんとなくわかったのでもういいですけど、アナタはどなた?』

傍観者『?』

私『ああ、そうでしたね。物質をもたない意識って名前とか名称にこだわらないんでしたよね、でも人間て臆病者だから名前のない状態って怖いんです。名前教えて。なんかあるでしょ、バシャールとかアシュタールとかサナトクマラとか(ちょっと期待)』

傍観者『⁇⁇』

なんか本当に質問の意味がわからないみたいなので名前を聞くのはあきらめました。

私『じゃあ本当の自分ってことにしちゃうぞー?』

傍観者『……。⁇』

以上が、エゴとりワーク(←だんだん名称がいいかげんになってる?)を実践していたら起こった脳内会話でした。

これをチャネリングというかどうかはわからないけど( ̄▽ ̄;)

こういうの初めてなもんですから、ただの脳内会話だったのかも知れませんが、エネルギーの流れについて気づけたのは幸いでした。

もし、この傍観者とまた対話できるチャンスがあればまた色々教えてもらいたいものです。

妄想でもなんでもいいから、宇宙に関して少しでも知りたいです。

また会えたらいいな。

ちなみに伏線はっといてガッカリさせてしまうかも知れないけど、この時のワークでスパッとエゴがとれて本当の自分に気づいたとかではないです、そこが残念(;_;)


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エゴは消えない

人が思考している限り、エゴは消えません。

なぜなら、三次元で生きている我々が被っている人間の皮こそ『エゴ』そのものだからです。

これ脱がないとエゴは消えません!でも脱ぐと死んじゃうじゃないですか。

そう。ギリギリのバランス。

前回の記事で書きましたが、この肉体を保つために少量の『欲』をあらかじめ搭載して私たちは生まれて来ました。

眠いなとかお腹すいたなとかに気づくためです。

それがいつのまにか『思考』が『欲』を手伝ってああだこうだ工夫していくうちに『エゴ』が生まれてしまったんです。

で、そのうち『思考』でコントロールできなくなり『エゴ』はそこらへんの目に入ったものなんでも巻き込んで理由つけしたり判断したりするようになりました。

驚くことに自分自身まで罵倒して、否定するようにもなるんです。面倒くさいヤツですね。

はじめはマズローの五段階欲求でいうところの、生存の欲求だけだったのが『エゴ』がそこらじゅう食いあらして大きくなったためにだんだん帰属欲求や承認欲求まで出てくるようになりました。

その中でも『プライド』ね。

人からよく見られたい、賞賛されたい、優位でいたい。

それらが適度な方向に進めば、少しずつ目標に到達し幸福な道を歩み自己実現も可能となります。

それらが過度な方向に進むと、人の目が気になり、より優位に立とうと傲慢ななるか、勝手にジャッジして劣等感に苛まれるか。

だから『エゴ』は使いようなんです。消せないんです。

というか、少しだけとっといたほうがいいみたいです。

ただ、過度な『エゴ』が自分を苦しめるだけ。

私自身は、原因の多くは『プライド』な気がしてならないんですけどね。昭和育ちな物資主義のせいか本当に名称にこだわりすぎて…。

〇〇の□□が欲しいとか、△△であるべきとか、あってこそとか。幸せな状態にもいちいち名称をつけたくなるクセがあるんですよね。

名称があるから人に説明しやすい。するとそれなりの賞賛を浴びやすい。

逆の場合だってそうですよね。

友だちに「こういう感じのものがこういう状態になって私はこんな状況になってこう感じた」なんて名詞抜きで話されても何が何だかわからないですもんね。

『エゴ』はそういう名称や名前が大好きです。

よく、チャネラーさんで何かと繋がっているときに繋がっている相手が名前を教えてくれたとき、ほぼそれはその人自身の『エゴ』と対話していると言いますよね。

名前がついてるとか名前を気にするのは、物質的三次元に近い存在ということです。

意識体とかエネルギー体は名前なんて気にしてないです。一方的につけるしかないようです。

話しそれましたので戻します。

『エゴ』は少しだけ持っていても良さそうです。しかしほっとくとどんどんデカくなる。

千と千尋の神隠しの『顔なし』みたいに、食い散らかして大きくなりすぎると自分にとっての『毒』でしかない。

でも『あー?あー?』とか言って謙虚な分には何の害もない。わざわざ消すためにエネルギーを使う必要もなくて『ああ顔なし、そこにいたのね』(←エゴのことね)くらいの認識でいいんですよ、

とりあえず『エゴ』にあんまり構わないであげてください。

ましてや『ここ少し開けときますね』なんて言ってあなたの中に入れないでください。厄介なことになりますから。

もし、エゴに気づいたらさっきの傍観者さんから教えてもらったアセラム「左半身(思考側)にいつも浄化のエネルギー流しっぱなし」を思い出してエゴを洗ってくださいね。



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まとめ

今回は、珍しく自分自身におきたこんな不思議な話しをかきました。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

妄想かも知れないけど、私は当面この浄化エネルギーを意識しとこうと思ってます(´∀`=)

それにしても、名称ってとてもありがたいけど枠を狭めてしまうものなんですね。

状態や状況に名称があるって、なんて安心するんでしょ。ああでも、人間て小さいなぁ、名前がついてるものだけで生活しようとしてるわけだから。でもあると便利な『名前』『名称』

まあ、私はとりあえずこの『何らかのエネルギーの川というか滝というかシャワーみたいなのを左半身にずっと流れっぱなしなのを意識しながら、エゴの泥にまみれた体を浄化していく作業』しています。

ところで、何で左半身なんだろ?右半身は無事なのか?右半身が本当の自分と言うことなんだろうか?

ふと連想したのが『自分軸』という言葉。

今まであんまり意識したことはなかったけど、そういえば『あ、そうだ、あれやろうかな』と思いつくのは右側に電球マークがぴかっとついて、『ノーノー何言ってんの、あんたにゃムリ』ってダメ出ししてるのって左側の誰かって気がしないでもない。

で、自分軸というのはその中心にあると思う。

よく、センタリングとか自分からブレたら戻すとか言うけどイメージではなく本当に真ん中だ。

頭のてっぺんから、胸、みぞおち、丹田。つまりチャクラのあたりがエネルギーの通り道らしい。それが左半身にブレるとネガティブなエゴがわんさか湧いてくる。右半身はニュートラルなのかポジティブなのかよくわかんないけど、とりあえず真ん中の自分軸ラインを超えて、左半身エリアの何かが侵食してくると不具合が起こるらしい。

なので、とりあえず左半身をキレイにしとけばいいらしいのです。

起きてる時も寝てる時も歩いている時も常に左半身にシャワー浴びてて『エゴ』湧いたら流す、湧いたら流す、を繰り返すといいみたいです。

左半身がいつもキレイな状態で左右のバランスが良いときにまっすぐセンターラインが通って自分軸になってるみたい。

左寄りは他人軸ってことなんですかねぇー?

あの時の会話は何らかのチャネリングなのか一瞥体験なのか単なる新手のエゴとの脳内対話だったのかはわかりませんが、とりあえずワークは続けてみようと思います。


ではまた。

心の平穏めざして!















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