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見捨てられる命を考える       京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから

#ノンフィクションが好き

安藤泰至、島薗進編著

川口有美子、大谷いづみ、児玉真美 著   晶文社

生と死の問題の本です。
コロナパンデミックにより、命の緊急性が現実として突き付けられたのは、「トリアージ」と「人工吸気を誰につけるか」という時です。
誰を生かして、だれの治療を優先するか、という映画やテレビドラマでよくみられることが現実に行われることになったわけです。
これは日本だけでなく、海外でも同じでした。

しかしヨーロッパの国の中には、高齢者施設の人にはそれ以上の治療を施さないことろもあり、イギリスなどは高齢者施設の患者は、カウントさえされなかった。
国によっても、考え方はいろいろで、まるで映画「PLAN75」のような選択を突き付けられた場面も、実際にはありました。
年齢により、治療をするかしないか、高齢者に対してどのような判断をするかということです。

コロナだけでなく、現実には、「安楽死」「尊厳死」と言う言葉が、京都ALS嘱託殺人事件で大きく取り上げられました。
日本では「安楽死」と言う言葉がありますが、海外では「尊厳死」と言う言葉が使われることが多いようです。

以前、「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家の方が、「自分が認知症になったら、安楽死させてほしい。」という発言をして、話題になりました。
でも実際、認知症になったら、彼女はどう言うでしょうか。
「死にたくないよう。殺さないでくれよう。」とか、他の認知症の方のように言うのでしょうか。
そしたら、介護者は、「でも、あなた死にたいと言ってたんだから、死にましょうね」って言うんでしょうか。
実際にオランダでそういう事件がありました。
認知症になって死にたくないという人に、以前に安楽死を希望していたからと、コーヒーに薬を入れて飲ませた「コーヒー事件」です。

そもそもなぜ、認知症になったら、死にたいんでしょうか。
みっともない姿をさらすのが嫌だからでしょうか。

高齢者介護の仕事を長い間してきましたが、肢体不自由になられた方が、
「こんなみっともない姿になってしまって、車いすでなんか外へ出られない。」と嘆く方が多くいらっしゃいました。
そういう方たちは、体が不自由であるのはみっともない。
認知症はみっともないという認識をもって生きてきた方なのでしょう。

人間てそんなにかっこよくなければならないものなのでしょうか。
よろよろ、ぼやぼや、のろのろ、はてな、なんて感じで生きてちゃいけないのでしょうか。

さてこの本では、尊厳死の問題と同時に、出生前診断について書かれています。
死ぬ時の尊厳死には批判があるが、良い子供を産みたいための、出生前診断はどうなんだろうか。不妊治療と治療と名がつくのはなぜだろうか。という問題にも取り組んでいます。

「不幸な子どもを産まない運動」と言うのを実際に行っていた県もあるし、ある県の教育委員長は、「うちの県では、不幸な子どもを産まないようにしていきます。」と言ったことがあります。

終末期に苦しまないよう、安楽死したい。
不幸な子供を産まないようにしたい。

健常児として、健やかに生まれ、きれいに死んでいきたい。
これが人間の願いなのでしょうか。
不幸でないってことなんでしょうか。
海外では、尊厳死が認められているところもあります。

尊厳死、安楽死をテーマにした映画もあります。
「海を飛ぶ夢」2004
「ミリオンダラーベイビー」2004
「母の身終い」2012
「92歳のパリジェンヌ」2015
「世界一嫌いなあなたに」2016
「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル最後に死ぬとき」2018
「ブラックバード、家族が家族であるうちに」2019

続々と作られています。スイスへの自殺ツーリズムが描かれているものもあります。
どの映画も、家族と本人の葛藤が描かれているのですが、批判的ではないラストになっています。
これが、時代の流れでしょうか。

もしかしたら、みっともない体で、知的に障害を持ち、ゆるゆる生きているのは、今の時代にそぐわなくなってきているのでしょうか。
もしも、障害を持っていたとしても、パラリンピックの選手のように輝かなければ、認めてもらえないのでしょうか。

ゆるゆる、ボロボロ、絶望に絶望を重ね、体中が不調で、気力もなく、肢体不自由で、難病で、息も自力ではできなくて、脳に障害があって、家事も満足にできなくて、仕事もできる方でなくて、不器用で、不器量で、カッコ悪い人はどうしたらいいのでしょうか。

生きていいのです。
かっこ悪いまま生きていいのです。
障害を持って生まれてきていいのです。
認知症になっていいのです。
苦しみ悶え、汚らしく死んでいってもいいのです。

じゃなきゃ、だれが生きていけるのですか。

そう思えば、生きづらさも少しは減ります。
私はカッコ悪い障害者の母として、じたばた生きていきます。

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