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テレフォン彼氏と15歳の夏

高校一年生、当時15歳だった私には付き合って半年になる恋人がいた。

部活が終わってもまだ外は十分に明るい夏の夕方、市営バスに揺られて下校する。横浜駅に着くと「今日も電話するやろ?」ちょうど届いた彼からのLINEに短く返事をしながら地下鉄に乗り換えた。彼は、大阪の人だった。

ここ数日ずっと家にこもっていて時間を持て余しているせいか、ぼうっとそんなことを思い出していた。もうあれから7年も経ったらしい。

彼とは付き合ってから今日まで、ただの一度も会ったことがない。

なんとなく靄がかかったような思い出の中で、だけどきっかけはLINEのグループだったことははっきり覚えている。あるアーティストのファンを見境なく招待して自由に語り合うグループがあり、その中に彼もいた。メンバーの繋がりはそのアーティストが好きという一点を除いて他になく、面識もなければ住む地域もバラバラ。今ではそんなLINEグループは想像もつかないかもしれないが、LINE勃興期ともいえる当時はmixiとか前略プロフィールもまだまだ流行っていて、とにかくまあネットリテラシーも穴だらけのそんな時代だった。

いきなり個人チャットで絡んできた彼は、抜群のユーモアと笑いのセンスを持つちょっと不真面目な男の子だった。すぐに電話をするようになって、毎晩私は飽きるまで笑った。「関西人って本当に面白いんだねっ。」ああ、いつもこんなことを言っては私も彼を喜ばせていたんだろうな。初めて触れ合うカンサイジン。聞きなれないカンサイベン。ちょっと強引な男の子に惹かれがちな思春期の女の子にとって、少し乱暴なニュアンスのある関西弁は妙に性壁に刺さるところがあったのでした。

日に日に彼に惹かれていく私と同じように、彼もよく笑う私を好きになって、そうして付き合ったのはとても自然で、そうなるべくしてなったと今でも思う。

お互いの顔は写真を送り合ってなんとなく知っていたし、毎晩電話して笑い声に満ちて、お互いを大切に思う気持ちが確かにそこにあって、一縷の違和感も感じることなく私は満たされていた。

たぶん、そうだった。

時々、大事にしまったお菓子の箱をそっと覗くように、記憶の蓋を開けてみることがある。かけがえのない私の大切な思い出を一つ、そっとつまんで眺めてみるけれど、穴があくほど見つめてもそれがどんな風にその形の結晶になったのか思い出すことはいつだってできない。

どうして会ったことのない彼と触れたことのない彼とあんな風に時間と心を共有できたんだろう。

どうして別れてしまったんだっけ。

私たちは確かに恋人だったけれど、私は誰にも彼のことを話さなかった。きっと理解ない言葉が返ってくるとわかっていたし、理解してもらいたいとも思っていなかったから。

誰も知らない記憶だから、こんなにもふわふわしてきらきらしているんだとしたら、私は宝物を一つ今日までこっそり育てていたみたいだ。


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