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「何もしなかった日=悪いこと」って誰が決めたの?

少し前に「空白恐怖症」という言葉を耳にした。
下記のように定義されていて、2018年には新語大賞を受賞した言葉だそうだ。

空白恐怖症
スケジュール帳に空白が多く、予定が記入されていない状態に不安を感じること。そういう気持ちになることを病気の症状になぞらえた言葉。
https://kotobank.jp/word/空白恐怖症-2094663

私はこの空白恐怖症には当てはまらないけど、一日中なんにもしなかった日は後悔することが多かった。「あ〜1日無駄にした〜」と。
同じように後悔する人はたくさんいると思う。

1年前に仕事を辞めてからというもの、私には予定のない日が普通になった。
最初こそ、今日も無駄な1日を過ごしたと後悔する毎日だったけど、最近そうでもなくなった。それは、考え方が少し変わったからだと思う。

「何もしなかった日」なんてない

そもそも、「本当に何もしなかった日」なんてものは無いのだ。
私は今日も何も予定のない1日を過ごしているが、朝起きてから今に至るまで、まず朝ごはんを食べてTwitterを覗き、お風呂掃除をして昼ごはんを食べ、ベイスターズのキャンプ配信を見ながらこの記事を書いている。
…なんて行動的な1日なんだろう!

とまあこんな感じで、何も予定がなくても何かしらの行動はしてるよな〜と考えるようにした。それからは、1日1日を楽しんで過ごすことができるようになったと思う。

「何かした感」をより高めるために、数日前から日記をつけ始めた。
食べたものや見たテレビの感想など雑多に書き留めている。
これは《書く習慣》という本を読んだことがきっかけだ。
この本の中で作者はこう述べている。

平凡な毎日が言葉で「ラベリング」される
言葉で定義することで「なにもなかった日」が「なにかあった日」になる
いしかわゆき 書く習慣

つまり、全ては自分の捉え方次第、ということだと思う。
人から見れば何もしていない日でも、自分が何かしたと思えば何かしたのだ。
人の言うことなんて無視です。無視。

「何もしなかった日」は素晴らしいこと

散々「何もしなかった日」なんて無いということを書いてきたが、それでも寝て起きて寝て起きてを繰り返して終わってしまった1日もあると思う。私はあった。
飲み過ぎた次の日は大体そんな1日になる。

そんな「何もしなかった日」も全然悪いことなんかじゃない、と私は思う。

《ぼくのなつやすみ》というゲームがある。
生まれも育ちも都会の小学生「ボクくん」が夏休みの1ヶ月間だけを田舎で過ごすことになり、プレイヤーは「ボクくん」を操作して夏休みを擬似体験できるという内容のゲームだ。
毎日何をして過ごすかはプレイヤーの自由。ボクくんは毎日その日にあったことを絵日記に書いて眠りにつく。

ゲームの中では一応毎日イベントが用意されていて、そのイベントを発生させることができれば、絵日記の内容はそれに応じたものになる。
が、何をするかは自由なので何もしなくてもいい。ただ走り回っているだけで時間は経過する。
そんな走り回っただけの日もボクくんは絵日記を書く。
その日の絵日記の内容はこうだ。

きょうはなんにもない すばらしい一日だった

そう、ボクくんは何もしなかった日を「すばらしい一日」だと思っている
ただの良い一日ではなく「すばらしい一日」と。
本人が素晴らしい一日だと思うのなら、それはそうでしかない。

私は心の中に「ボクくんマインド」を住まわせている。

「何もしない日」を大切に

4月から再び働き始める。今に比べると「何もない日」は激減するだろう。
残り少ない「何もない素晴らしい日」を大切に噛み締めながら過ごしていきたい。


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