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「ぼっち・ざ・ろっく!」は時短文化へのアンチテーゼなのかもしれない。


1.はじめに


「ぼっち・ざ・ろっく!」に出会ったのは「ゆるキャン△」の移籍のために芳文社のWEBマンガサイトであるCOMIC FUZに登録し、その後、月額プランに入会した時だ。

COMIC FUZは当時、安価のライトプランで「週刊漫画TIMES」「まんがタイムきらら」「まんがタイムきららMAX」「まんがタイムきららキャラット」「まんがタイムきららフォワード」の5誌について月額480円でサイマル配信(発売日同時配信)を実施していたのだ。

※  現在のライトプランは「まんがタイム」「まんがタイムオリジナル」「まんがホーム」の3誌を加えた8誌+WEB連載を読む時のアイテムsilverメダル60個で月額780円の形に変更されている。是非入会して「週刊漫画TIMES」の、いや日本マンガ界の至宝である「解体屋ゲン」を読んでいただきたい。

そこで読める、いわゆるきらら作品は京都アニメーションの傑作である「けいおん!」を生み出した後もバンドマンガが続いており、今でもけいおん!直系である「けいおん!Shuffle」や「それでは、ステキなセッションを。」などが連載中である。

※ 少し前に終了したが「ハルメタルドールズ」もアニメ化されないだろうか……。


そんな中でも「まんがタイムきららMAX」に連載されていたぼっち・ざ・ろっく!は面白く、そして単行本の表紙のイラストは構図もキャラも楽器の描き込みも素晴らしく目を引いた。

※ 作者のはまじあき先生の絵だけでなく、毎巻フォントが変化しているのにまったくブレない装丁デザインも素晴らしいので注目して欲しい。

その時点で個人的にぼっち・ざ・ろっく!を「きららのエース」と呼んでいた。アニメ化されたゆるキャン△・まちカドまぞくの次にきらら作品を引っ張るのは間違いない。読みだした2年後にぼっち・ざ・ろっく!のアニメ化が決定したのは当然だった。そして……


2.ぼっち・ざ・ろっく!の宿命


もはや説明がいらぬ程の良いアニメ化だった。制作がCloverWorksと聞いてアニメ化は成功すると思ってはいたが、心配なのは音楽だった。

マンガは当然音楽は流れない。それをどう伝えるのか……ぼっち・ざ・ろっく!は歌も音符も描かなかった、だが唯一、演奏時に4コマの枠を外して大コマ+変形コマを使って演奏の熱量を伝える、ぼっちのギターヒーローへの変身を伝えるという手法を使っているのだ。4コママンガの弱点を逆にインパクトにしたのである。

最近はアニメ化された「RPG不動産」等でもこの手法はインパクトとして多用されており、きらら作品ではよくみるのだが、ぼっち・ざ・ろっく!はそれを多用せず「大きいコマは演奏シーンだけ」を徹底している(4コマでない伊地知姉妹の特別編『星に手向ける愛の花』を除く)。多用されないからこそ強いインパクトで音の無い世界で音楽の熱量を伝えていたのだ。

※ ぼっち・ざ・ろっく!はぼっちの陰キャからのギャグと若干の萌えとガチンコの演奏シーンのハイブリッドマンガであるが、そこの接合部に主人公であるぼっち、後藤ひとりのギターヒーローへの変身(バンド演奏の未熟さから本来の演奏力へ)という要素がある。簡単に変身出来ない、初期の帰ってきたウルトラマンのような縛りが変身ヒーロー物として読んでも素晴らしいのだ

そんな原作にどんな音を、曲を、詩を、歌をつけるのか。そして、さらにきらら作品の音楽アニメである以上は、当時音楽チャートを席捲したけいおん!の音楽と比較されるのは当然なのである。

正直言うと、OP曲の「青春コンプレックス」と「Distortion」ではバンド音楽に疎い自分には(PSG三和音時代からDTMやってるのに)、まだピンとこなかった。

※ さらに一話の序盤ではシンプル化された線もとまどった。でもデフォルメの多用のために計算されたデザインと理解して膝を打った。キャラデザのけろりら氏、凄いわ。


3.本物がきた


そしてやって来た5話の劇中歌「ギターと孤独と蒼い惑星」。ぼっち最初のギターヒーローへの変身が入るその曲は圧巻だった。放送直後に製作会社のアニプレックスがYouTubeでかなりの自信を持って公開したであろう、劇中ライブシーン、そしてフル音楽に歌詞とオリジナル映像を盛り込んだLyric Videoを観て、聞き込んだ。

※ 今日現在「ギターと孤独と蒼い惑星」のLyric VideoのYouTube再生数は1,345万回である。


「本物がきた」

もちろんアニメとしての面白さ、演出と絵からのスタッフの原作愛と熱量は伝わって来ていたが、心底圧巻の曲だった。「ぼっち」が書いたと言われてもすんなり納得する、キャラとシナリオをしっかり煮詰めた歌詞。ぼっちのテクニックと熱量がギンギンに右耳に伝わる曲とミキシングの妙。

作品に合致した劇中歌ならば個人的にはけいおん!以上にゾンビランドサガの各曲が素晴らしいと思っていた。ただゾンビランドサガの作詞・作曲は謎のプロデューサー巽幸太郎が天才という一点突破に感じた部分もあり(リリィ作詞設定の8話「To My Dearest」を除く)、作内のキャラクターが憑依してなお高みに描いたようなぼっち・ざ・ろっく!5話の「ギターと孤独と蒼い惑星」には心底驚いた。

この一曲でアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」の成功は約束されたのだ。


さらに6話でまずインストで、ギターとベースだけで路上ライブ演奏された「あのバンド」。個人的にベースという楽器が大好きなので謎の泥酔キャラ、廣井きくりがバチで弾く低音に酔いしれ、8話での結束バンド版「あのバンド」で歌詞が乗った時にはさらに度肝を抜かれ、またLyric Videoを観て聴き込んだ。

最終回の12話は(ABEMAの)リアルタイムを飲み屋のテーブルで、ささやかな宴会をしながら、スマホとイヤホンで視聴するという状況に陥り、カラオケの音量で曲があまり聞こえず、前の2曲に比べてインパクトが無いかも……と感じた。

だが、自宅で再度見て、特に「星座になれたら」に唸った。16ビートのスラップ。青春時代からフュージョンバンドのCASIOPEA、日本を代表する16ビートのスラップ(チョッパー!)ベースを聞き続けているオッサンには響き過ぎる曲だったのだ。

※ 「星座になれたら」はぼっちと喜多ちゃんの双方からみた眩しさを描いた曲なのだけど、個人的に脳内で星座=CASIOPEAから、『YAMAHAさんのコンテストで二年連続最優秀ギタリストになってギター(SG)貰って、ゆくゆくCASIOPEAのようにインストバンドとして欧州進出を計る』というぼっちの野望の曲として聞いていたりもする……

4.演奏を描く・ライブを描く


とにかく音楽は素晴らしかった。

原作のはまじあき先生が邦楽ロック好きで、原作自体にもinstant氏という音楽監修がいたコト、その作者たちが音楽作成にもしっかり協力しており、曲も歌詞もしっかりと結束バンドが生んだように統制されていたコト。

実際に下北沢で活躍していた人の作詞・作曲で、統制されていても結束バンド(というか作曲担当の音楽オタクな山田リョウ)が音楽的に幅が広く感じるコト。

楽器や機材がしっかりと描かれつつ、若干のオリジナリティも与えており、ギターやベース、アンプやエフェクターについての考察がYouTubeを中心に盛んにおこなわれ、使われた商品の特定だけでなく実際にその仕様を作ったり、エフェクターのかけ方、スイッチャーのPC設定、ペグの壊れ方考察などが色々と音楽畑、楽器屋の動画等で追及されている。

そしてそれと共に登場ギターは売れまくり、レスポールカスタムはもちろん、最終回で満を持して登場したPACIFICAは全シリーズがYAMAHAさん驚異の生産力でも間に合わないためにドコでも在庫切れという、けいおん!以来の状況となっている。

※ 主人公の機体が壊れ、そこに新たなる機体が来る、往年の傑作「マジンガーZ」の最終回ムーブなのだ。ぼっち・ざ・ろっく!の最終回は。


もちろん、その音楽に合わせた映像も素晴らしかった。モーションキャプチャによるCGをベースに手で描かれたという演奏シーンは、楽器演奏の手の位置はもちろんのコト、バンドとの視線とか演奏のための目線、マイクの使い方から準備までしっかりと描かれていた。もちろん増えまくる作画コストを若干下げる努力も見られたが、それ以上に熱量が伝わる画。

モーションキャプチャの時点でどれほどの打ち合わせをしていたのだろうか。監督、演出、CG担当の人たち、モーションアクターの仕事が凄い。

最終回の最期の曲となった「星座になれたら」。その演奏のラストで山田と喜多ちゃんが客に背を向けてドラムの虹夏を見る中で、ワウペダルを踏んで振り返れなかったぼっち。演奏に嘘をつかない画だったのだが、ぼっちのぼっちたる部分のための演出とも言える。普通ならば全員振り向かせる演出にしそうなのに。

ぼっち・ざ・ろっく!は初めて演奏と共にライブを描き切った作品なのかもしれない。今までも演奏シーンを描いたアニメは多数あるが、ライブ感をしっかり描けたシーンはあったのだろうか?6話のフックを上手く使ったファン1号・2号の8話の表情としっかり緊張で壊れた別に録音した「星座になれたら」の音源を流し、大雨の中の湿度の高い冷え切ったライブハウスの空気感を描いていたのもまた素晴らしい。


5.時短文化


世の中は時短文化だ。時短視聴・倍速視聴などという映像の見方がまるで当然のように話されている。

ストーリーだけを追いかけるならばそんな視聴方法でも良いだろうが、その見方で劇判(BGM)や効果音、細かな演出まで観られる?そう、時短での視聴は見るだけで観れない、観ていないように思えるのだ。

アニメの制作の人々が秒でコントロールして作る演出、ものによっては冷蔵庫のモーターの唸りまで演出に使用する効果音の素晴らしさ。それが捨てられる視聴方法だ。

もちろん、面白いかどうかを倍速で視聴して、当たりだけを通常再生するなんて使い方もあるだろうが、SNSとWEB配信で確実な当たりを後からゆっくり見られる時代でもあるのだ。いや、当然リアルタイムの感動には敵わないし、今の時代ネタバレを回避出来ないのだが。

観られない時短をもてはやし、それを良否の判断とする文化については個人的には納得いかない部分もあるのだ。

※ おっさんだから時短で見れないのだろうって言われそうだけど、マンガ単行本10分、ほとんどのハードカバーの小説1時間15分と大多数の人よりは若干速いので、本を読む分には案外とちゃんと時短文化を楽しんでいると思ったりする。


そして音楽では違う時短文化も発生している。「イントロいらない・ギターソロいらない」文化だ。そのあたりも若者の生き急ぎに感じる。

この時短が生まれた原因はグループアイドルが原因ではないかと思う部分もある。握手会商法なんて言葉が出来て、アイドルグループがチャートの上位を占め、バンドが消えた。商用音楽の中で波に流された普通の若者が「音楽の多様性」に触れる機会を失ってはいなかっただろうか。

男だろうが女だろうがアイドルが主体であれば、いや、昔だってアイドルや演歌については楽器演奏者にはあまり光があたらなかったのだけど、フォークブームやビートルズの時代、その後のベストテン番組が流行ったころには今よりはランキングに多様性があった気がする。

そしてイカ天こと「三宅裕司のいかすバンド天国」でブーストがかかり、けいおん!も生まれ、バンドの楽器奏者にも光が当たる時代が来ていたはずなのだ。

でも、現在は完全に歌手・ボーカル主体な気がする。本当は歌手主体に「戻ってしまった」というべきかもしれない。そして楽器演奏の人気は無くなり、歌詞とメロディだけあればいい、イントロもギタリストが前に出て来るギターソロもいらないなんて普通に言われる時代になったのではなかろうか?

※ フュージョンばかり聞いていたのでギターソロ8小節とかでもとっても短いと思ったりしている。あと、ギターじゃなくベースソロならいいのか~と。ベースが聞けない・聞こえないという人も増えているからダメか。爆風スランプの傑作アルバム「Jungle」なんかギターソロよりもベースソロのほうが多かったんだぞ……ほーじんさん、がんばれ(涙)


6.時短文化と「ぼっち・ざ・ろっく!」


そんなこんなで時短文化と音楽の相性は悪い。時短で見る人には音楽アニメほど相性が悪いものはないのではなかろうか。そんな文化のある中に出て来たのがぼっち・ざ・ろっく!である。

音楽アニメ。そしてボーカルではなくリードギターのぼっちが主役。最大の見せ場はギターソロ。最高に時短文化との相性が悪い作品だ。でもヒットした。大ヒットだ。いわゆる円盤、Blu-rayとDVDは累平で2万枚ペースで動き、結束バンドのアルバム「結束バンド」はCDとデジタル販売で15万枚を超えたようだ。Spotifyの月間リスナーは100万人を超えている。

8話でぼっちのアドリブソロからのイントロ、12話で喜多ちゃんの渾身の8小節バッキングからのぼっちのギターソロ。つくづく時短文化に対抗しているのだ。ぼっち・ざ・ろっく!は。

アルバム「結束バンド」は捨て曲がないアルバムだ。CDの時代になって、気に食わない曲は飛ばすのが容易になり、PCやスマホなどのデジタル端末になってからはイヤホンをタッチするだけで好きな曲だけ聞ける。それこそそれも時短文化のひとつだろう。

だが「結束バンド」はバリエーションのある全ての曲が素晴らしい。アニメで使われていない曲もあるが、それも全て結束バンドの手によるものとして聞けるのだ。そこに時短は発生しない。

アルバム「結束バンド」はミキシングでぼっちのギターを右、喜多ちゃんを左にきっちり分けているのでとにかく「誰の、どの楽器の音」がしっかりわかる。いつもよりもちょっと音量を上げて聞いて欲しい。それによってぼっちの、ギターヒーローの熱量が右耳にガンガン入ってくるのだ。

楽器側の話ばかりだけど、声優さん全員の歌が巧い。ボーカル喜多ちゃん役の長谷川 育美さんは曲ごとの声も凄い。8話のライブ版ダメダメバージョンの「ギターと孤独と蒼い惑星」は一発録りだったという話だが、ちょっとにわかには信じられない。凄い歌の演技だ。


とにもかくにもぼっち・ざ・ろっく!は時短をさせない、許さない。アニメもアルバムも。それも制作・製作スタッフの熱量の高さと、その方向性が一体となったものだったからであろう。


7.おわりに


さらに実写をふんだんに使ったギャグの昇華、原作を大事に使ったシナリオ、特に虹夏を大天使にしたアニメーターの力。斎藤監督の元、素晴らしい傑作となったアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」。

原作のほうは5巻まで発売されており、アニメ二期分までの道筋は出来ている。だが、一期と同じレベルの曲を揃えて丁寧に作られる二期の放送は、かなり後の話になりそうだ。

早くしないと、特にぼっちざ・ろっく!に不足している『めがね』成分が充当されないのだ。二期の宿敵、あの実在バンドのボーカルの化身であるキャラクターの貴重な変身解除後である、作内屈指のメガネっ娘が。

公式サイトのSPECIALの11話のアフレコ台本?そうだよ、一番の美少女だろ、『めがね』成分は必要なんだよ!!

※ あとは変なサングラス掛けたぼっちぐらいしか……あ、1巻85ページのぼっちと2巻50ページの山田……

とにかく、なるべく早く、熱量が薄れないうちに一期を超えるようなアニメ二期が観たい。そして原作のはまじあき先生には何卒『めがね』成分の増量を願いたい。

あと、キーボードにも光を……


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