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台風のしっぽ

秋風を感じるような、
天高く午肥ゆる日。



「いつものコーヒーが、
 シケた缶コーヒーになっちまった」



僕は悪態を吐いた。




それなのに、台風のしっぽは、
幾分機嫌が良さそうだった。



僕は面白くなかった。





遡ること半月前、
台風の通り過ぎた夜半過ぎ、

窓を開けた時に、家に
「台風のしっぽ」が入ってしまった。




「おれは、台風の、しっぽ」



台風のしっぽは、
カタコトの日本語を話した。




この夜以来、なぜか僕は、
台風のしっぽに寄生されている。





翌朝、
いきつけのコーヒーショップで

いつもの
マイルドブレンドを啜りながら、

僕は今週の予定を見ようと、
手帳を広げた。




「それ、すてちまえ」




台風の尻尾は軽蔑したように
手帳の上をクルクルした。




「捨てられたら楽だけど、
 現実はそうもいかないの」




台風の尻尾の話を聞き流して、
僕は手帳の上の風を手で払った。



「今週納期のwebページ、
 得意先のメアド調べなきゃいかん」



手帳片手にトーストを
かじろうとしたら、

しっぽは怒り出した。



「なんだ、それ!

 しるか!

 おれの、言うこと、きけ!」



昭和の頑固おやじさながらに
怒鳴り散らすと、

台風の尻尾は、
ブィーンと大きく広がって、

僕の胸から上をすっぽり覆った。




「ふがっ!
 な、なにほ、すふっ!」




乱気流が鼻と口をふさぎ、
目元で雷がピリピリした。




「くるっ、くるしひ!
 わかっは、はひ、はふ、はっ」



台風のしっぽは
シュルシュルと小さくなると、

僕の飲みかけのコーヒーに
ちゃぷんと入った。




そして、



「おまえ、言うこと、
 きくっていったな?」




と、ぐるぐるぐるぐる
ブラックコーヒーを渦巻かせた。




「いや、言ったけど、
 できるとは言ってない」




僕はまだフウフウ言いながら、
手帳を拾った。




「現実的ではない提案だ」



コーヒーの水面に
ピリリと電撃が走った。




「ん?」



気づけばまた乱気流が急速に膨らみ、
また僕の上半身は、ミニ台風に包まれた。



「ぎゃあ!」



ギュン!と、全身がしびれるように痛む
衝撃が走った。



何が起こっているのか
把握できないうちに、

もう一度、閃光とともに、
激しい痛みが体を打った。



「か、かみなり!」



落雷だ!



いや、落雷じゃない、
雷雲の真っただ中で、感電してる俺!




まずい、これ何度もやられたら、
マジで死んじまう!



「やめてくれ!
 
 わかった、
 手帳捨てるからやめてくれ!」






そういうわけで、

僕はすべての仕事を
キャンセルせざるを得なくなり、

今は毎朝、
こうやって公園の原っぱで
缶コーヒーを飲んでいるのだ。





体調不良と言い訳したけど、
世間はやさしくない。



使い勝手の悪いフリーランスに、
もう仕事は来ない。




台風のしっぽのせいで、
これまで築いてきた仕事の、
すべてがご破算になった。




最初は腹が立ったり、
やるせなかったりしたけれど、

諦めて現状を受け入れ出すと、

案外、
公園の芝生の上っていいものだ。



ただ草の匂いを感じて、

ただ流れる雲を眺めて、

太陽の傾きで時を知る日々。




あんなに徹夜を繰り返していたのに、
時間が出来た僕がしたいことは、

一日中、
空を眺めることだけだった。




最初は今後が気になったが、
十日を過ぎたあたりから、

そんなこと、次第に
どうでも良くなっていった。




あんなに
遮二無二働いていたけれど、

ただひたすら
こうやって空を眺めるだけで、

僕は僕を、
しあわせにできたのだ。




その事実の方が、
僕にとっては大事なことだった。



「失業って、
 こんなかんじかなあ」



「ちがう、おまえ、
 これから仕事、かってにくる」



台風のしっぽは、僕の周りの草を撫でた。




「おまえは、おまえの、
 心のひつようを、満たした。

 だから、
 さいてきな人生が、
 もうじき、くることになった」



台風のしっぽは、

僕の周りを
くるくるまわりながら上昇した。




「おまえ、しあわせに、いる。
 おれ、じゅうぶん、はたらいた。

 さらばじゃ」



台風のしっぽは、
急にグーンと上昇した。




「えっ!

 お、おい、ちょっと待てよ!」



急に携帯がなった。


僕の注意は削がれた。




その電話は、営業をかけ続け、
やりたくてたまらなかった企業の、
新規の大口受注について、だった。



今ぐらい余裕がなければ、

絶対に引き受けることができなかった案件、

だった。




(了)

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