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自然体でイこう

武道葡萄武道葡萄武道葡萄。
学生時代はアメリカンスホツーの
ハスケトホールを
八村塁もとい八年間ヤてきたので
ワイもスホーツをそこそこヤてきたのだが
BUDOはかじッてこなかった。
BUDOにAKOGAREみたいなものがある。
日本のBUDOはパワーで
押し切るだけでは勝てず
しなやかさがモノを言うのがポインツォである。
例えばJUDOの試合を観ると
頂点に立つ人はすごく落ち着いている。
一方で頂点に立てない人は
自分の顔をバシバシ引っぱたき
うおりゃー!みたいな
勢いで突っ走る試合をしていたりする。
カラダが硬直しているようにも見えて
落ち着いている選手にひょいひょいと
結局しなやかにヤられるわけである。
コレは全てに通じることだ。
全身の力を抜いて力まずに
スッと戦いの場面に入る。
例えば大事なビジネスでの場面や
人生を賭けた勝負になる試験なども
同じことが言えるだろう。
力んだら負けなのだ。
自然体と全集中。
規定された筋肉の動き。
規制された珍肉の動き。
妄想された慢肉の動き。
自然な呼吸。
最大のパフォーマンスは
絶頂自然体から発揮される。
私はBUDOKAになりたいのかもしれない。
スーパーサイヤ人にAKOGAREはない!
しかし根源的怠惰ニスト
超現実珍談士サルバドール・ヱビが
道場へ通うのはいささかハードルが高い。
いささか先生!
道場どうぞ同情どうぞ同上どうじょ!
武道を思い葡萄酒を飲めば
酩酊するにしたがい
武道への思いは慢肉への思いへと
シフトしていくことだろう。
私は自然体のまま全てを受け入れ
鼻汁と白汁をダラダラと垂れ流し
相手の攻撃をかわすだろう。
珍肉剣で応戦だ!
慢肉からの攻撃は
『交わす』ことでかわせっ!
珍肉と慢肉の攻防戦を想起すれば
すなわち慢肉が
武道そのものであることがわかる。
つまり『慢肉ソーセージ』であり
コレは超現実的意識の表れなのだ。
SODA!カンディンスキーと
感電しながらスキーをしよう!
OH NO!BUDOよ。
ランボルギーニ僧侶
織田無道はもうこの世にはいないんだよ。
諸行は無常なり。

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