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忘れちゃいけない。

ちょっとご縁がありましてね、福島に行ってきました。


*簡単には返事できないよ。

もう40年の付合いになる同級の友人がいます。
熱量が大きいオトコでしてね。立派な熟年なのに、いまだ真っ直ぐで骨太なヤツ。このオトコ、経済活動の拠点は静岡県なのに福島県でも何やら動いているようで、だいぶ前から『オマエもひと噛みしない?』とワタシに向かって発声していました。

で、活動しているのは福島の何処かって。
それは東日本大震災における原発事故で甚大な被害を被った双葉郡富岡町。

ひと噛みしろって言われてもさ、それが経済活動だったとしても復興事案でしょ?簡単な心持ちで合流できるような軽い案件じゃないよねって、なんとなく彼の声をよけてきたというか。

まずは現地に行って、現地の関係者から事情を訊いて、そのうえでお役に立てることがあるならば、そこからはじめて合流検討だと。そう思っていました。

6月はワタシが関わる色々な仕事が切替わるタイミング。ちょっと時間が確保できたので、よし!行ってみよう!と思い立ち、オジサン2人の1泊旅行を敢行したのであります。



*ヒトは忘れてしまうから。

2011年3月11日。

お勤め人だったワタシは、秋葉原にあるオフィスビルの8Fに居ました。揺れましたよマジで。窓から外をみると隣接するビル同士がぶつかって崩れるのではないか?と思えるほど揺れました。ひょっとしたら死ぬのではないか?とも思いました。

しかしあれから13年を経過して、多くの関東人のなかで震災の記憶は薄れています。ワタシもそうです。

今回の旅路で、先導する友人が真っ先にワタシを連れていった所がココ。

施設の正面です。

施設の正面に立った時、関東人のアタマはまだ寝ボケていましたが、入室するやガツーンと殴られ目が覚めました。

発電所着工の年にワタシは生まれたんだね。
(正確には1968年3月生まれだけど)
長い廊下の壁は年表になっています。
津波被害。
コレ、なんかショックが大きかった。

とても紹介しきれませんが。
場内を巡っているうちに涙ぐみました。

時間とともに平和ボケした自分の薄情さ。関東人の比ではない、東北の方々が受けた被害の大きさや悲惨さ。

この大震災は、日本人として決して忘れてはいけない災害だったと、改めて思い知らされました。



*そしてこれは事故だ。

伝承館を後にして、その日の夜は現地の関係者と合流。気づいたら午前2時を回るまで呑んで(ソフトドリンクだけど)食べて、ホテルまで送ってもらって。

翌日はまた違う施設に行きました。

東京電力の施設。

かなり衝撃的な映像や展示物があって、ワタシは撮影を忘れてしまい。

時の政権に対しては失望の念を禁じ得ませんでしたが、個人的に震災被害の観点で東京電力を責める気持ちは持ち合わせていません。あれは事故です。でもひょっとしたら、もう少し事故の規模を抑える事前施策があったのかもしれない。関東人には分からない事、きっと沢山あるのでしょうけど。

この施設には、そんな『事実と後悔』が有り体に展示されています。責めるつもりも庇うつもりもない東電ですが、これだけ正直に事象を開示して反省を表明しているのは立派だと思います。

そして東日本大震災は『地震と津波』、『原発事故』というふたつの大災害が並列で起こってしまったのだなと、今更ながら整理ができました。このふたつの事案を一括りにしてはいけないのだと。



*福島の人たち。

帰路、富岡町から茨城方面に向かって走っていると、道路脇にはまだまだ沢山の廃屋があって、でもその周囲の草木は無邪気に奔放に育っていて。

止まったままの時間(廃屋)と、流れている時間(草木)が視界に同居して、なんだか不思議な感じでした。

福島の方であっても、震災に対する肌感覚は世代によって違っているのかもしれない。あの日を知らない若者だっているのだから。

という現状を目の当たりにして。

安易な気持ちで関東人が復興に関わるべきではないと思いました。特にワタシのように力仕事においてはまったく役に立たないヒヨワなヤツとしては。軽薄に口だけペラペラ動かすなんてのは、もってのほか。

自分は『外部の人間である』ということを自覚して、被災された方々が望む事案でお役にたてるならば、謹んでお手伝いさせていただきたいと。そんなふうに考えました。

災害を乗り越え、逞しく生きる福島の方々からお声がかかったとき、それが音楽やオーディオに纏わる事案であったとき、スッとサンプルを提出できるよう準備はしておきます。

色々な事を忘れなければ生きていけません。
でも忘れてはいけない事は確かにあります。

仮にもし今回のご縁が実らなかったとしても、ワタシはまた時間をつくって訪問しなければならないと思いました。『止まったままの時間(風景)』が一刻も早く全部消滅して、現地の方々の痛みが少しでも軽減する日が早くやってくるよう、お祈り申し上げます。そんな光景をワタシも見たい。

福島の人たちと笑って楽しみながら一緒にできる事、あるといいな。

ではまた。

2024.6.12

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