ベジタリアンの罪

知る、知らない、罪の別れ道とされる。生まれたての赤子や、子どもが大人よりも価値があると現代人はみなすが、それはまだ子らが「知らない」からだ。

なにも知らない。
「穢れ」がない。

知らないから、子らにはなんの罪もなく、また罪もまだ犯していない。知ってしまえば、そのうえで生きていること、それ自体が罪になりえる。

現代にベジタリアンが増えていくこと、それそのものが、証明するのでは?
ベジタリアンは知っているから、選択的に「食べない」を決めた。
知っているから。

しかし、それすらも罪となり得る事実が近年、明らかになった。植物の苦味は「敵に食われないようにするため」であるとする、学説がメインストームに乗ってきた。

そうなると、食べていいものは、罪を知るものの末路として、最悪なものをご提案できてしまう。

「人間を食べること」

それがいちばん、罪がない生き方なのでは?

動物も、植物も、食べられることを嫌がって意思があって罪がない。
しかし、人間は、食べないと生きていけない。

……食べられるものが、食べてもいいものが、あるとしたら。それは、私たちがバケモノであることを、自ら認めて、それらしい生き方をすること。

それすら、思えますが、異常者ですかしら。


END.

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