命の足の話をしてみる

生き物は己の価値を知らないもの。勝手に自ら決めるものもあるが、真なる価値は誰かが決めるか、あるいは、自分自身で覚悟したときにくる。

その価値に、なる。
その価値が、ある。

前者と後者入れ違いになり、ときにバラバラになり、交差しながら入れ替わって前後が逆になったりする。迷宮のなかに取り残されたみたい。人間の自分探しなんか、他人が必要になるし、自分で自分を決める覚悟もないから、ダラダラと長引きがちである。そうしたものは、老いて疲れてやがて、ここまでやったからもういいだろう、自己満足するなり諦めるなりして覚悟もないまま、浮遊するかに地に足つかぬ道を進むことになる。

一方、産まれたときから、己が価値を知る者もいる。
信じる者もある。
そうした者は、こちらもこちらで、勝手に突き進む。

マーメイドなる生き物を空想したり、キメラなるものを創作したり、この世にない生き物を手当たり次第にクリエイターに発注を出したり。

進み、進み、歩む。

人間は葦(あし)であるという。

しかし、人間は、足こそ命と言う者もここにいる。
私とか。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。