蛙と人頭魚足の見学会

蛙がぴょこぴょこと雨の日にはねているのを見て、『それ』は、前から蛙が気になって仕方がない。

ぴょこん、ぴょこん、と、一定のリズムで跳ねてそれは水辺へと帰る。
海に繋がる排水路があって、その前に貯水池がある。どうも貯水池の生きものらしい。季節は、雨が多くて湿気ていて、人間の言う六月とやら。ずぅっと海で生きてきた『それ』にはどうでもよい分類だ。

しかし、そのぴょこぴょこは六月に本当によく見かける。雨の日など、『それ』はわざわざ排水路を逆流してのぼってまで、貯水池まで顔をだし、彼らがげこげこげこげこげこげこげこげこげこげこと鳴くのを聞く。
これが、『それ』の楽しみだった。

そして、蛙は『それ』と『にんげん』の区別などどうでもよかった。蛙はカエルだった。ぴょこん、と道路を跳ねて横断したり、水辺で卵を産んでそれらを見守ったり、げこげこと鳴きながら自由に生きている。ある日、大雨の激しい道路に『それ』が身をのりだしてきて、池の水にぽちゃんとお邪魔して、間近でまじまじと蛙を見ようとした。
蛙どもは別にどうということもなく、げこげこと鳴き、ぴょこんと跳ねるものは跳ねて、貯水池にはオタマジャクシが泳いでいた。

『それ』は、ひどく喜んで魚足をばたつかせ、人頭は笑顔満面ににこにこさせて、うれしさを表現する。
蛙にはどうでもよいことだ。無視していつも通りの生活を送る。それもまた嬉しきことで、『それ』は、上機嫌に蛙たちの営みを見学して、それから排水路を流れ落ちて海へと帰っていった。

これもある種の異文化交流、である。
異文化交流は大成功だ。『それ』にすると。
仲間にもっと蛙を自慢しようなどと『それ』は思う。蛙にすると、どうでもよい話で、今日も明日も日々の営みに変化など、ない。『それ』は次の大雨の日を楽しみにする。蛙たちも、それは、楽しみにしている。やっぱり異文化交流は大成功だった。



END.

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