人魚の上と下と青空の果ての話をする
肉屋に並んでいる肉に、今日は『人魚姫』の立て札があった。若い女がそれを指差し質問する。新鮮なやつ?
「もちろん! 昨日捕まえたばっかの人魚さんさ。捌いたのはウチだよ。鮮度抜群さ」
「にしても、肉屋さんで買えるなんて変な話だわ。魚じゃないの?」
「人魚の上肉だからなぁ。下肉は魚屋だよ。地図、書こうか?」
「結構です。どうも。そろそろ息子の寿命を伸ばしておきたくて。私ももうちょっと若返りたいし。シワがいやなのよ」
「あんま食いすぎると息子のが歳上になっちまうべ、奥さん。流行りの人魚依存ッてやつだな」
「私はなにも小学生にまで若返る気はないわよ。ただ少し、肌のハリが……。女子高生の肌で女子大生の外見を選べならいいのにね。不便なもんだわ」
「人魚の肉は若返るだけだかんな。ま、そのうちカスタマイズ研究が進めば、年齢と外見操作もできるようになるさ」
「早くそうなって欲しいもんね。じゃ、人魚肉を500グラムお願い」
「あいよー。50万になりまさぁ、まいどどうも!!」
「クレジットで」
ブラックカードを取り出す、若い女に向けて、うらめしげな視線を注ぐ者がいる。古びた服を着て、年老いたふうていの女だった。年寄りがほとんどのなか、ほんの少し、妙に手慣れた少年やら少女やら、若者やらが町並みにまじっていた。
肉屋の主人がちいさく舌を打つ。若い女に、保冷バッグに入れた人魚肉を渡しながら、耳打ちした。
「見られてるよ。貧乏人ババァに。気をつけて持ち帰っときな」
「ありがとう。大丈夫よ。タクシーを使うもの」
保冷バッグを受け取って、ヒールをカツカツいわせて女は身をひるがえした。肉屋の主人がシッシッと手で老婆に合図を送る。
うらめしそうに、年寄りの女、まわりの年寄りたちもついでに、陳列されている100グラム10万円の人魚肉をチラリと見た。こうしたひとびとには、決して手に入らない、幻の肉であった。死ぬ間際にどうにか数グラムを買って生き延びる、そんな幻の肉であった。
「おらっ、散れ、散れ。商売の邪魔すんなら通報するぞオラッ!」
肉屋の主人が、サスマタを取り出しながら、取り押さえる準備をしながら年寄りたちを牽制する。年寄りたちは、妖怪みたいなうらめしい目をして散開した。
その人波を縫って歩き、小学生のように見える男の子が、ハイブランドの財布をポケットから出しながら肉屋に向かってきた。
男の子は、声変わりするまえの甲高い声で、「人魚肉1キロ」と単に呟いた。
「ハイ、どうもー! まいどありがとうございますよ!」
男の子は、無言で保冷バッグを受け取って、さっさと立ち去っていった。
人魚が発見されて、肉屋がいちだいバブル商売と化してから、そろそろ100年と50年が過ぎようとしている。発見当初は死亡率が大幅にさがると人類は大騒ぎになったものだか、150年を体験してみて、人類も気づいたころだった。
死亡率は変わらず、死者の数もたいして変わらず、富める者と貧しい者の差は、埋まらない。
むしろ、広がった。果てしなく。どこまでも。
青空みたいに、人魚の下肉の処理前のウロコみたいに青く、どこまでも。
END.
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