秘密と未来の話をする女子高校生ら

マイノリティーである、それは、それだけでリスキーだった。

春香(はるか)は春の暖かさからイメージして名前にしたの、と昔、母が言っていたものだが、今の春香にすると常に春はリスキーで危険で怪しいものだ。春香は同性愛者といつから気づいたか。いつの間にやら、クラスメイトや先輩の女子に憧れ以上の情念を傾けてしまうようになった。

性的指向を知ると、進学は億劫になった。好きな人と離れるさみしさもあるし、また新たに誰かを好きになったら……。

いつか告白してしまいそうで怖い。

しらけた眼差しをされるのが怖い。

拒絶が怖い。

だから春香は誰にも知られないよう、好きの気持ちを封じることに誠心を注いで学生生活を送って来た。ところが。

「ハルカちゃん、キスしよっか」

先輩の宮川さんは、口角をあげて猫なで声で春香の耳元にささやく。美術部でふたりきりになると、これがはじまる。最初こそは否定したが、宮川さんの受験が終わって卒業がちかづくころになると、つまり、春が近づいてくるにつれて、春香も焦り始めた。

ここで否定しつづけて我慢して、好きじゃないです、キスなんてしません、強がりになんの意味があるというんだ。

春香は、かばんに画材をしまう手をとめて、赤面しながらうつむいた。下向きの顔を掬うように宮川さんが唇を押しつけた。くちびるの肉を触れ合わせるだけ、浅いキスだが、春香は宮川さんのキスしか知らないから、これだけで血管が破裂しそうにふくらんだ。

真っ赤になる春香の顔をよく見て、宮川さんはにやにやしている。

「苫目大、ハルカちゃんも進学してね。そしたらもっと自由にやれるし。苫目に進学するのアタシだけだから。誰も気にしなくていいよ」

「は、……い」

めろめろ、と音がつきそうなほど、春香は両目を充血させる。こんなに胸がいっぱいで切なくて、でも満たされてる気持ちは、はじめてだ。堀川さんは頭をなでてきて、あっちでも仲良くしよーねー、なんて、言う。

「……はい」

胸がつまってうまく返事ができない。

堀川さんの進学先にある未来が、春香にはまだよくわからない。堀川さんに遊ばれているだけのような気もする。でも、堀川さんは、キスをいつもしてくれる。

目玉をうるませて、春香はおずおずして、たずねた。

「苫目に進学したら、せんぱいともっと、会えますか?」

「うん? うん。てか、遠いからルームシェアしてもいいよ。どうかな」

「!!」

目をひんむき、声を失う。また頭をぽんぽんされる。実は春香はこれをやられるとムカつくけれど、今はべつだ。堀川さんなら、うれしいのだ。

堀川さんは薄く笑って、下校時間の過ぎた美術室の机に腰をかけて、夕焼けを半身に浴びている。きらきら。きらきらして、でもこの関係はまるで人魚姫の恋のようで。

いつ泡になるかもわからない、あやふやで不定形の謎な感情が行き来しているだけのものだ。今までは少なくともそうだった。

しかし、

「い、いきます。堀川せんぱいのとこ、ぜっっったいに行きますから」

「そか。オッケー、まってるよ」

堀川さんは軽快な声色で春香に答えた。ちょっとした魔女みたいに。魔性の女のように。

でもそれが、高校に進学してからずっと、春香を翻弄しては心酔させてしまってきた、堀川みゆきという名の女の子だった。堀川さんは腰をおろして、リュックを肩にひっかける。じゃあ一緒にかえろ、と、これまた気軽に春香を呼ぶ。

はい、はい、はい、春香は頬を紅色に染めてやまびこみたいに繰り返した。男子高校生みたいに、美貌の先輩にくらいつく。夢みたいな時間。桜の花が散るまでの時間みたいな、残り時間の感覚が、胸をチクリとした。

堀川さんの進学先は偏差値が高い。勉強しなくちゃ。あっさりと手を握られながら、ますます顔面をほてらせながら、春香は呪文を再三に渡って言い聞かす。勉強しなくちゃ。勉強しなくちゃ。

実際、それは性欲をもてあました男子生徒がやるような心頭滅却のやり方によく似ている。

握ってもらえた手が指先まであつい。頭蓋骨のなかが沸騰する。

……勉強しなくちゃ。勉強しなきゃ。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。