五大竜の恋わずらい
鋼の帝国に君臨する五竜の一翼、ナボルのベンダルドが恋をした。うわさが秘かに広まっている。ナボルのベンダルドは崖上の野っぱらに棲んでいて、鼻先には大海原がいつもあった。どうやらベンダルドは海でそれに出会ったらしい。
羊や馬、熊、それに人間などの焼け焦げた骨を周りに転がしながら、その日もベンダルドは野っぱらの巣で丸くなって大翼と尾を畳んでいた。漆黒の眼球に真紅の縦長い瞳孔は、正面の海を見据えている。海を。
波は穏やかにおなじリズムを刻む。いつもこれを子守唄にするベンダルドであるが、今日は違った。約束の相手が現れるのを辛抱づよくまっていた。これは、国中が恐れ敬うあのドラゴンの姿であるのか、吟遊詩人がこの場にいたならば唄を創作することだろう。ベンダルドは荒波のような気性の持ち主であるが、凪いだ海の静けさをその瞳に光らせる。落ち着きばった漆黒真紅の双眸。
見つめる先に、ちゃっぽん、女があらわれた。
しかし人間の女であるのは上半身のみ。下半身は鱗に覆われて見事な魚の尾ビレをもち、魚類のメスだった。人魚である。
崖下の人魚はこうべを垂れて、めそめそとベンダルドに泣きついた。
「申し訳ありません。ベンダルド様。やはり、わたくし、ドラゴンにはしてもらえない。そんな大きな偉大なものになるのなら、わたしの心臓があと10個はいると魔女は言いました」
『人間になるには声だけの代償だったのだろう?』大気をふるわせて、気高きベンダルド。
『魔女。海にさえいなければ、わしの炎で焼き尽くしてやるものを』
人魚がめそめそしながら肩まで海に浸かる。そんな彼女を覗き、帝国の五大竜の一翼は、鼻をすうと広くてして、まばたきをした。鼻孔も目もそれひとつで人魚よりも遥かにおおきな、偉大なる巨大竜、凶暴なるベンダルドである。崖の上にいるのは。
ところが、ベンダルドはある提案をした。
『ならば、アメリアよ。魔女にこう告げるがよい』
次なる言葉は人魚のアメリアを心底、驚かせたし、海底の魔女だって狼狽えて悲鳴をあげてしまうほどの提案だった。だがそれは魔女の二つ返事で承諾された。魔女は信じられなさそうにアメリアを凝視した。
「アンタ、本当にドラゴンに愛されたんだな……」
「たまたま、歌っていたのを……。ずっとベンダルド様がお聞きになっていて……。すべては偶然です」
かくして、帝国すべての生き物に恐れられる五大竜は、四大竜となり、最も猛禽で獰猛なベンダルドはその日を境に行方をくらませた。煙のように消えてしまった。代わりに、海には鯨ほどの巨大なシーマンが突如現れた。黒い鱗と真紅の眼球をもった、巨大にすぎるオスの人魚は、歌声が美しいと評判のアメリアがコバンザメのようにしていつもくっついている。シーマンは声を失っており、雄叫びをあげることも、愛を囁くこともできなくなっていたが、アメリアはそんな彼にぴたりとはりつく。シーマンは海を自由に泳ぎ、帝国を後にした。
END.
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