親孝行の意味
父の戒名には「唱(うた)」を入れた。
オペラを歌う事が何よりも好きだった父を想い、母と私で話し合って決めたものだ。
十八番は「帰れソレントへ」―。イタリア・ナポリの有名な民謡だ。
昔から防音も無い部屋で、何度も大声で歌っているのを聞いては「うるさい!近所迷惑!!」とクレームを付けた。
おかげでイタリア語なのにすっかり覚えてしまった。
父は7年前、75歳で急逝した。
趣味の歌唱教室でオペラの練習をしている最中に心臓発作を起こし、私の職場の近くの病院に搬送された。
すぐ近くの距離に居たのに、親の死に目に会えなかった。
母が様々な手続きをしている間、部屋に私と、横たわる父だけになった。
「亡くなった」事がどうしても信じられず、瞼を触って開き、瞳孔を確認し手を握った。
暫くしたら起き上がって「お父さんが居なきゃ困るだろう!?」と言うんじゃないかと、半ば本気で思っていた。
しかし、何度確認しても冷たく、固まって動かなかった。
ショックで取り乱していた母は、葬儀社の人と、冷たくなった父の身体と共に車で家に向かった。
人数制限で乗車出来なかった私は、電車とバイクで帰宅した。
帰宅しながらも現実味は無く、夢想の様な状態だった。
しかし、バイクに乗り人気が無くなった処で、ふいに激しい感情に襲われ、わんわんと大声を上げて激しく泣いた。
涙で前がよく見えなかったが、エンジン音で泣き声を掻き消すように、スピードを上げて父の遺体が待つ家へバイクを走らせた。
仕事とプライド
父は商社で畜産関係の輸入販売業務をしていた。
父は自分の仕事を愛していた。
新規事業で海外に赴任していた事もあり、仕事に絶対的な自信とプライドを持っていた父だが、それ故に忘れられない嫌な思い出もある。
家族で外食をする時は、牛肉を食べに行く事が多かったが、料理が来ると決まって父の肉質等級チェックが始まる。
「これはオージービーフとメニューに書いてあるけど、どう見ても違うでしょう? オーナーと話をしたいから呼んできて」などと店員に言うのだ。
毎回周囲から「あの人何者?」と見られていた。
「これはフィレ肉じゃない」
「焼き方はウェルダンだと言ったのにミディアムだ。肉の焼き方も知らないのか」と文句を言いながらも全部平らげるので、外食する度に家族から疎まれていた。
子供心ながら「こんな大人になりたくない」と思った。
そんな見栄っ張りで偏屈な処があった父だが、私が6歳のとき東京本社から福岡に異動になった。
仕事のことは一切家庭に持ち込まず、母にも詳細を話すことはなかった父。
だいぶ後になって、父の仕事上の友人と母が話す機会があった。
聞いた話によると「父の部下だった社員が数千万の損失を被るミスを犯し、上司である父が責任を負った」という事があったそうだ。
つまり「左遷」だったのだ。
幼い私は友達と離れる事が嫌で「なんで引っ越しをしないといけないの?」
としきりに尋ねていた事を覚えている。
当時の父の心境を推し量るといたたまれないが、この話を母から聞いた時、内心父のことをとても誇らしく感じた。
理想の結婚相手
「結婚するならお父さんみたいな人がいい」と娘に言われたら、父親としては本望だろう。
父が生きていた頃は「そんなことありえない」と思っていたが、今となってはしっかり父の影響を受けている事に気が付いた。
父は「立場と権力」を盾に振りかざす様な人間に頭を下げて、媚びへつらうタイプではなかった。
自分にとって利益のある人には良い顔をし、本音と建前をうまく使い分けられるような器用な人でも無かった。
そのため、父を嫌う上司もたくさん居たと思うが、後輩には慕われていたようで引退後もよくゴルフに行っていた。
私が勤務先の上司の愚痴を言うと「そういうヤツはいるんだよ」「悪いヤツが上についたらどうしようもない」とよく賛同してくれた。
ただ、自分の同僚の事を悪く言うと「自分のレベルが低いから、同レベルの人達としか働けないんだ」と叱られた。悔しかったが、この考えには深く同調した。
上司に取り入る事が最優先で、上司の意見には全て賛同し、他人を犠牲にしてでも「出世」にこだわる人も居る。
それは一種の才能でもあるが、私は「不器用でも一生懸命に仕事をし、他人を思いやれる人」の方が好きだ。
それは「理想」であり、家庭を持っている人にとっては、なおさら「綺麗事」に過ぎないかもしれない。
それでも自分が結婚するなら、同じ様な考えを持っている人がいい。
「そんな事を言ってるから、いつまでも結婚出来ないんだ!」と父の声が聞こえてきそうだ。
宇宙に還る
父は宇宙について学ぶことも好きだった。
遺品の整理をしていた時に「生きて死ぬ智慧(ちえ)」が出てきた。
生命科学者が般若心境を現代日本語に訳し、当時話題になったベストセラー本だ。
文中にこんな一節がある。
父が亡くなる前日は大潮の満月だった。
月はいつにもまして天高く、丸く大きく輝いていた。
白く強い光が、眩しい位に夜の住宅街を明るく照らしていた。
父は「こんな月は珍しい」と、観劇用の小さなオペラグラスを持って涼しくなった秋夜の外に出て行った。
この時「父の横で一緒に月を眺めれば良かった」と、今もずっと後悔している。
父を追って一緒に眺めることに「小さい子供じゃあるまいし」と、恥ずかしさを感じ、ついて行くのを止めたのを覚えているからだ。
あの夜、1人満月を見た父が、何に想いを馳せたかは知る由も無いが、月の持つ引力に引き寄せられ、「父も宇宙の一つになったのだ」と今は思う。
後悔しない孝行を
「親孝行」は何の為にするのだろうか?
私は「自分が後悔しない為」だと思う。
両親が先に亡くなるとは限らないが、亡くなった時に「もっとああしてあげれば良かった」と自分が思わない様に行動することが、私なりの孝行だ。
この先も、老いた母が望むことは出来るだけ叶えてあげたい。
残された家族が元気で幸福に過ごすことが、父の最大の望みだろう。
今度の休みはお仏壇に、父の好物のドーナツとコーヒーを供え、敬愛していたオペラ歌手・パヴァロッティのCDを大音量で流してあげよう。
曲はもちろん、「帰れソレントへ」だ。
父は帰らないが、宇宙と一体になったその身体で、きっとどこでも好きな場所へ行っている。
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