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三千世界への旅 魔術/創造/変革24 近代の魔術2 ナショナリズムの歴史


ナショナリズムの魔術


ナショナリズムの魔術的なはたらきについて考える前に、まずナショナリズムの定義について少し考えてみます。

ナショナリズムは「国家主義」と訳されたりしますが、この場合の「国家」はステートではなくネーションつまり国民です。

ナショナリズムを簡潔に定義するのはけっこう難しいんですが、ざっくり言うと、いわゆる愛国心のような感情によって、自分の国の利益を第一に考える国家・国民に対する非理性的な考え方・価値観といったことでしょうか。

柄谷行人は『世界史の構造』で、ネーションは外国と関わるときに意識されると言っています。

たとえば、外国から製品の禁輸みたいな経済制裁を受けたり、軍備拡大や軍事訓練やミサイル配備などで軍事的な威嚇を受けたりすると、そういうことをしてくる国のことを憎んだり怒ったりするといったようなことです。

ネーション、国民は近代になってから誕生したと考える思想家もいるようです。

たしかに王が宗教と結びついて神格化されていた時代には、王・支配階級に支配される「民」は存在しましたが、彼らには自分たちの国とか、国民としての自分たちといった認識はありませんでした。

王や支配階級が立派な神殿を建てたり、祭礼で神々を祀ったりするのを見て自分たちも神々を信じたかもしれませんが、自分たちと国家を結びつける意識がそこに働いていたわけではありません。


ギリシャ・ローマの国家・国民意識


一方、市民が兵士として戦った古代ギリシャやローマでは、市民は国家を意識していたように思えます。ギリシャ・ローマは古代の中でも、王政を廃止して市民が権力を握った時代だったからでしょうか。

ギリシャ・ローマの市民は、経済的な生産に携わる奴隷や解放奴隷、財産を持たない人たちを支配して国家を運営する支配階級の構成員でしたから、近代的な意味での市民とか国民とはまた違いますが、自分たちが国家に責任を持ち、国家を運営しているという意識が、彼らにネーション的なものを意識させたかもしれません。

ギリシャ・ローマは近代ヨーロッパ文明の源流と見られていますが、国民という面でも、近代ヨーロッパの先駆的な政治形態だったと言えます。


都市国家とギリシャ連合


古代ギリシャでは、アテネやスパルタ、コリントといったポリス/都市国家の市民という認識のほかに、もっと大きなくくりでギリシャ人というアイデンティティの認識もあったようです。

古代ギリシャは、オリンピックやホメロスの叙事詩のような文学・文化によって文化的な統一体を持っていましたが、政治的には都市国家が分立していて、互いに戦争したりしていました。しかし、ペルシャが侵略してきたときには、ギリシャ人としてまとまり、協力して敵を撃退しました。

このときは都市国家より大きなくくりでのギリシャ人というネーション的な意識が一時的にせよ生まれました。外的な脅威に対応するかたちでネーション、ナショナリズムが形成されたわけです。

こういうところがネーションの不思議さ、面白さかもしれません。


都市国家と帝国


古代ローマは元々ギリシャ的な都市国家でしたが、戦争で負かした隣国を同盟国としながら、ギリシャの都市国家同盟より堅固な統治システムで、新しい連合国家を拡大していきました。この連合国家は絶えず新しい同盟国や保護領・属州を獲得しながら、拡大していったので、ローマ人/ローマ市民も拡大していきました。そこにどんなアイデンティティや愛国心的なものがあったのか、簡単には言えません。

しかし、帝国へと発展していくローマの中で、首都ローマの名門貴族や、古くからの市民を頂点として、広がっていく国々や地域でローマ市民になった人たちも、それぞれローマの構成員としての意識があったでしょう。

それがどんなものだったのか想像するには、20世紀のアメリカの市民/国民と、グローバル化した世界の国々、特に欧米の政治や経済のシステムを受け入れて発展しようとしている国々の国民のナショナリズム、愛国心、民族意識がどんなものかを考えてみるといいかもしれません。

「帝国」は多重構造になっていて、それぞれの層ごとに違った国家・国民意識があるようです。


ジャンヌ・ダルク


時代は古代からくだって、中世末期のフランスがイギリスとの百年戦争で劣勢に立たされていたとき、農民の少女ジャンヌ・ダルクが現れてフランスの王・貴族を鼓舞し、戦況を変えたのも、それまで希薄だった国民の意識を芽生えさせた、あるいは明確化させることで、新しいパワーを生み出した現象と見ることができます。

こんな感じで、近代以前のいろんな時代にも、外国との衝突や危機によってネーションが意識され、理性を超えた作用をもたらすことはあったと言えるんじゃないかという気がします。


絶対王政から近代へ


中世の終わりから商工業が発達し、武力と並んで経済が政治的な統治の重要な要素になると、イギリスやフランスなどでは、貴族たちが支配し、各々独立性を維持していた小国群が、国王の支配によって統合されていき、いわゆる絶対王政の時代になります。

経済の重要性が高まったという意味で、時代はすでに近代に入ったとも言えますが、フランス革命後の共和制国家や、独立後のアメリカ合衆国のような近代国家が成立した18世紀末以降の近代と、国王の権力が強化された絶対王政の時代はかなり違います。そのため、この絶対王政の時代を中世と近代の中間的な時代と考え、「近世」と言ったりします。

イギリスやフランスのような絶対王政の国家では、次第に国家や国民という意識を持つ市民階級が形成され、これが革命を起こして近代国家へと移行していくにつれて、権力を握った人々が自分たちを「国民」として意識するようになり、ナショナリズムが生まれたと言えます。

あるいは、国民が政治・経済の主体になることで、古代・中世・近世まで、特殊な危機のときに作用していたネーションやナショナリズムが、よりひんぱんに意識され、作用するようになったということかもしれません。


非理性的な国民感情


僕が国家・国民について不思議に思うのは、世の中が科学や経済によって動いていくようになった近代で、なぜナショナリズムや民族主義のような非理性的な感情が国家や国民を大規模に動かし、他国や他国民を憎んだり、戦争したり、大量虐殺したりするようなことが起きるのかということです。

科学と理性と合理主義の時代なら、非理性的で不合理な憎悪や、残虐な行為などなくなっていいはずなのに、今も国家や国民はその国力が低下することを恐れ、経済だけでなく、政治的・軍事的な活動で他国・他の地域に影響力を持とうとします。

国家は巨大で複雑だから、いろんな国といろんな対立が起きるし、国民はそれに対して感情的になる。国家や国民というのはそういうものなんだと片付けることもできますが、そういう因果関係みたいなこととは違う何かが、国民とか民族といったものにはあるような気がします。


近代化の原動力としてのナショナリズム


さらに、ナショナリズムにはこういうネガティブな面だけでなく、ポジティブな面もあります。

たとえば近代という時代が始まったとき、ヨーロッパではイギリスやフランスのように、絶対王政による国家的な経済振興を経て、資本主義経済がより活性化しやすい民主制に移行した国もあれば、イタリアやドイツのように、中世的な小国分立が続き、国家規模での統一的な経済発展が遅れた国もあります。

そうした国が先進国にキャッチアップするために、まず国家の統一や国家規模での改革みたいなことをする必要がありました。それらの国々ではナショナリズムがイギリスやフランスなどより強く意識され、国家の統一、近代化による国力強化の原動力になりました。あとで少し触れますが、日本もそうした国のひとつと言えるかもしれません、

ナショナリズムにはこうした改革を推進するボジティブなはたらきをすることもあるようです。

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