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勉強の時間 三千世界への旅/アメリカ25 1960年代再訪



歴史解読


1960年代は多くの人にとってすでに歴史になっているかもしれません。歴史は資料を解読していくことで、その時代に何があったのかが初めて見えてきます。

当時10代の少年だった僕も、リアルタイムでその時代のことを理解していたわけではないので、自分の記憶をたどるだけでは、当時の世の中がどうなっていたのか見えてきません。

ケネディやキング牧師の暗殺、ベトナム戦争と反戦運動などは日々のニュースで知っていましたが、そうした事件にどんな背景があり、どうつながっていたのか等々は、もっと大人になっていろんなことを読んだり調べたりして、少しずつわかってきたことです。

当時、少年として感じたことが、ある部分はそのまま自分の中に今も生きていますが、勘違いや勝手な妄想もたくさんあって、その後だんだん修正が加えられてきたこともあります。



ジミ・ヘンドリクス再考


たとえば、ジミ・ヘンドリクスは超絶技巧のギターが一部のファンに今でも愛され、崇拝されているギタリストですが、ギターがうまかったという以上の何が、彼を伝説のアーティストにしたのかは、それほど理解されていないように思えます。

彼はシアトル生まれの黒人で、ベトナム戦争に行き、除隊後バンドを結成してライブ活動を始めました。斬新なギターの弾き方が注目されたものの、黒人系の音楽の枠に収まりきらないため、レコードデビューできなかったとのこと。

当時のアメリカはレコードレーベルにも人種差別があって、黒人は黒人専用のブルースやリズム&ブルースなどを手がける会社からしかレコードを出せなかったようです。

しかしイギリスでライブ活動をしているうちに、イギリスの白人ミュージシャンたちに推されて、白人のベーシストとドラマーと組みで ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンスというバンド名でデビューすることができました。

そのギター演奏は、エリック・クラプトンなど多くのギタリストに影響を与えました。彼以前にもビートルズやローリングストーンズ、アニマルズなど多くのバンドがあって、ギタリストがそれぞれのスタイルでギターを弾いていましたが、ジミ・ヘンドリクスと比べると、どこか古風で呑気な演奏に聞こえるから不思議です。

ジミ・ヘンドリクスが登場した1967年以後、エリック・クラプトンやジェフ・ベック、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジなどのギタリストがスーパースターになっていきますが、ギターのソロ演奏が際立つ、いわゆるロックの演奏スタイルは、ある意味アメリカ人であるジミ・ヘンドリクスによって創り出され、イギリスから世界に広がったと言ってもいいのではないかと思います。



ブラック・イズ・ビューティフル


彼は黒人として初めて、人種の枠を超えてスーパースターになったミュージシャンでした。

ジャズの分野では50年代からマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンなど、時代をリードする黒人アーティストがいて、白人のジャズ・ファンも彼らの音楽を愛し、尊敬していました。

リズム&ブルースにはジェイムズ・ブラウンがいましたし、ロックンロールを生み出したチャック・ベリーなどもスター的な存在になりました。

ブルースやジャズの女性歌手もベッツィ・スミス、ビリー・ホリデー、サラ・ヴォーンなど、多くは黒人でした。

しかし、ジミ・ヘンドリクスは、ただ音楽が評価されただけでなく、極彩色の衣装や、爆発したようなアフロ・ヘア、高慢にも見える言動なども含めて、そのカッコよさが人種を越えて多くの若者に影響を与えました。

彼はエンターテインメントの歴史で初めて、セクシーでカッコいい黒人としてファンを魅了したアーティストでした。

【↓↓テレビで演奏する初期のジミ・ヘンドリクス↓↓】

https://www.youtube.com/watch?v=2NKmD6_WbSA

もちろんそれはごく一部のファン層で、当時の人たちの多く、特に年齢の高い層は、彼のように派手な格好をして、大音量で演奏するミュージシャンを嫌っているか、まったく興味を持ちませんでしたが、それでも彼に影響を受けた音楽家や一般のファンが人種を問わず数多く現れ、世界中にブームが広がったことは事実です。

クールな黒人のスーパースターというのは、マイケル・ジャクソンなどを知っている今の人たちにとって、それほど違和感はないかもしれませんが、まだ人種差別が色濃く残っていた60年代には異例で、その分刺激的だったのです。

ジミ・ヘンドリクスがデビューする1年前、ブルース界のスター、マディ・ウォーターズと彼のバンドが1966年にテレビ出演したときの映像を見ると、彼らはまだいかにも当時の黒人アーティストらしい、黒っぽい背広に白いワイシャツ、ネクタイ姿でおとなしく椅子に腰掛け、ロックンロールからロックへの飛躍に大きな影響を与えた名曲『I Got My Mojo Workin’』を演奏しています。

【↓↓1966年のテレビで演奏するマディ・ウォーターズ・バンド↓↓】

https://www.youtube.com/watch?v=8hEYwk0bypY




『紫のけむり』再検証


ただ、ジミ・ヘンドリクスを超絶技巧のギターやファッショナブルな衣装や言動だけで片付けてしまうと、なんだか大事なものを見過ごしてしまうような気がします。

60年代当時から一般的な彼のイメージは、聴く側を興奮させるギターワークや、LSDやマリファナ愛用に象徴される自由で反抗的な言動、ドラッグが神経を弛緩させることでもたらされる、いわゆるサイケデリックな美といったもので構築されていました。

彼が作る歌は意味ありげな歌詞が魅力で、そこにはLSDによるトリップ体験が盛り込まれているとされていました。それを聴き手の若者はカッコいいと感じていたのです。

『紫のけむり』もドラッグ体験の歌だというのが、当時の一般的な理解で、ドラッグ経験のない10代半ばの少年だった僕や友人は、マリファナの煙が立ち込めるところを想像したりしていました。

しかし、もっと大人になって歌詞を読んでみると、「紫のけむり」が立ち込めているのはまわりだけでなく、頭や目の中だったりしていて、必ずしも物理的な煙のことを歌っているわけではないようです。

Purple haze all in my brain
Lately things just don’t seem the same
Actin’ funny , but I don’t know why
‘Scuse me while I kiss the sky

紫のもやが頭の中に立ち込めて
最近なんでも違って見える
わけのわからない変な動きをしたり
ちょっと待って、空にキスするから

今ネットで読めるこの曲の解説のひとつによると、紫のけむりは当時紫のカプセルに入れて出回っていた幻覚剤LSDのことで、この曲はLSDでトリップした体験を描いているとのことです。

しかし、それだけならたいして心に訴えかけるものがない歌詞ということになります。この曲がリリースされた1967年はすでにアメリカでLSDが大量に出回っていて、多くの人がこの手のトリップをすでに体験していたからです。

みんながすでに体験しているLSDのことを歌っただけなら、ただ流行りに乗ってミーハー受けを狙っただけの歌ということになります。

‘Scuse me while I kiss the sky は、当時カッコいいなと感じましたし、今曲で聴いてもオシャレだなと思いますが、それでもたいした表現ではありません。

これも最近のネット情報ですが、ジミ・ヘンドリクスがこの歌詞を書いたとき、1000語くらいの長編詩になってしまい、曲にするために言葉をどんどん削られて、最後には彼が表現したかったものとはまったく違うものになってしまったそうです。



想像と再構築


『紫のけむり』は、長編詩をレコードにするためにズタズタに切って、多くの言葉をカットしてしまったから、ありきたりのドラッグ体験を歌っただけの歌詞になったということなのかもしれません。

しかし、もっと先の歌詞をたどっていくと、ちょっと違うものが見えてきます。


Purple haze all around
Don’t know if I’m comin’ up or down
Am I happy or in misery?
What ever it is, that girl put a spell on me
Help me Help me

まわりに紫のけむりが立ち込めて
もう自分がどこへ向かってるのかわからない
おれは幸せなのか、それとも惨めなのか?
なんにせよ、あの女がおれに呪いをかけやがったんだ
助けてくれ 助けてくれ

Purple haze all in my eyes
Don’t know if it’s day or night
You’ve got me blowin, blowin my mind
Is it tomorrow or just the end of time?
No,help me Oh,no,help me

おれの視界に充満する紫のけむり
昼なのか夜なのかもわからない
おまえはおれをぶちのめし、おれの心をぶちのめし続ける
それは明日なのか、それとも一巻の終わり?
いやだ 助けてくれ 助けてくれ

ここまでくると、黒人のブルースでよく歌われる女との別れとか、女に傷つけられて酒やドラッグに溺れた体験を歌っているのかなという感じもしてきます。

ジミ・ヘンドリクスの証言によると、レコード用に削られる前の詩では、もっと自分の体験や世界観をトータルに表現しようとしていたらしいのですが、それをバッサバッサと削られて、よくある陳腐な内容になってしまったということでしょうか。

しかし、この曲を彼はデビュー当初から死ぬ直前まで、ライブで繰り返し演奏しています。彼のギターと合わせて繰り返し聴いていると、歌詞では十分表現できなかったものが、もっと壮大なかたちで見えてくる気もします。



社会の仕組みへの反抗


そもそも、どうして彼はこの歌の中で何度も「ノー、ヘルプミー」と叫んでいるんでしょうか?

女に逃げられて寂しいとか、それを紛らわすために酒やドラッグに溺れて苦しいといった歌詞なら、紫のもやが脳や目の中に充満して自分がどうなってるのかわからないという状態は、歌を聴いてる側にとって、そんなにエモーショナルでもなかったでしょう。

20世紀前半のクラシックなブルースで歌われた不幸、愛していた女に捨てられて、自暴自棄になって、酒や麻薬に溺れて死んでしまうといったストーリーは、その根底に奴隷解放後、教育も技術も経験もないまま社会に放り出されて、貧困と犯罪の中で生きていくしかなかった黒人の大きな不幸、国家や民族、歴史的なスケールの理不尽さがありました。

しかし、ジミ・ヘンドリクスの時代はそうした人種的な問題だけでなく、もっと人種を超えた問題がクローズアップされた時代でした。

東西冷戦や核開発競争、ベトナム戦争、人種差別など、具体的な問題は色々ありましたし、政治的な抗議活動も行われていました。

しかし、ジミ・ヘンドリクスなどの新しいロック・ミュージックを愛し、社会からドロップ・アウトして自由に生きようとしていた若者たちが反抗していたのは、当時の現代社会の仕組みそのものでした。

それは科学技術や経済によって社会を豊かにする仕組みであると同時に、理詰めで、人間的なものを失わせる仕組みでもありました。

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