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三千世界への旅/アメリカ21

古代ギリシャ・ローマとアメリカ


古代ギリシャとの比較


『ファンタジーランド』の終盤で、カート・アンダーセンはアメリカを古代ギリシャと比較しています。

それによると、約700年続いたいわゆる古代ギリシャ文明は、大きく超自然主義・非理性が支配していた第一期と、科学や芸術が花開いた第二期、占星術や魔術的医療、錬金術などが盛んになった第三期に分けられる。そのうち、ヨーロッパ文明の源流と言える、いかにも古代ギリシャらしい時代は第二期だけで、期間的には200年もなかったとのこと。

つまり後世の人たちが理性と科学の時代と考えているのは、非理性が支配する時代の中に訪れた例外的な一時期にすぎないというわけです。

これをアメリカの約500年に当てはめると、まずプロテスタントの理想追求や、地主階級のバカ息子たちによる一攫千金狙いの夢から始まった北米植民地開拓期は、いわば非理性の時代が約200年弱続いた。

やがて独立革命を実現した建国の父たちによって、啓蒙的で理性的、科学的な時代が始まった。

夢見がちで非理性的な力も、政治的・文化的に様々なかたちで現れたけれども、全体としてのアメリカはなんとか理性的・科学的・合理的な考え方・仕組みで機能し続け、約200年で世界の超大国になった。

しかし、繁栄の頂点に達したアメリカは20世紀後半から徐々に非理性的な価値観に侵食されるようになり、21世紀に入って、ついにファンタジーに乗っ取られてしまったといった感じになるようです。



古代ローマとの比較


一方、僕は前にアメリカを古代ローマにたとえました。

それは古代ギリシャ世界が、小国の分立と対立抗争に明け暮れて統一的な秩序を構築できなかった点で、むしろ近代ヨーロッパに似ているのに対して、ギリシャ世界から派生した古代ローマがギリシャから様々な技術や考え方、システムを学びながら、広大な帝国を構築した点はむしろアメリカに似ていると思うからです。

ローマ人は古代宗教を文明の基盤に置きながら、同時にギリシャ的な理性や科学を応用して、イタリア半島から地中海、現在のヨーロッパ地域に支配を広げていきました。ローマは古代的に非理性的でありながら、最初からギリシャ最盛期のように理性的でもあったのです。

アメリカ人も宗教を文化の基盤に置きながら、植民地建設の初期から大学などの教育機関を設立したり、ビジネスで利益を追求したりする中で、理性と科学による社会・経済活動を展開していきました。

非理性的なアメリカと理性的なアメリカは、最初から現在にいたるまでずっと対立しつつ共存してきたと考えることができるのではないでしょうか。

つまり、古代ローマとの比較から見たアメリカは、古代ギリシャ世界よりずっと巨大で、かなりゆるやかに時間をかけて、衰退していくのではないかと想像するわけです。



ローマと神秘的宗教


古代ローマをモデルにした場合、アメリカの衰亡というのはどんなふうに想像できるでしょうか?

ローマ帝国では、その絶頂期から後期にかけて、東方から様々な宗教が入ってきて広がったと言われています。その代表がミトラ教とキリスト教です。

ミトラ教はペルシャ、今のイランあたり発祥の秘教的・密儀的な宗教とされていますが、インドの弥勒信仰ともつながっているという説もあって、どんな宗教だったのか、今ひとつはっきりしないようです。

ただ、「秘教」とか「密儀」といった特徴から想像すると、私たちがキリスト教やイスラム教といった宗教からイメージするように、戒律があってそれを守って生活するとか、教会や礼拝堂に集まって静かに祈るといった宗教とは違っていたのではないかと思われます。

「密儀」とは外に知られないように密かに行う儀式のことです。「秘教」とはやはり外に知られてはならない秘密の教えを守る宗教を意味しています。つまり神秘的な魔術によって神あるいは神々と交信する、一体化するような、神秘主義の宗教です。

キリスト教も、古代ローマに広がった初期段階は、もっと神秘的・霊的体験を重視していて、礼拝は精霊と一体化して集団で陶酔する儀式だったようです。カトリックのミサにもその名残りのような、静かな陶酔がありますし、プロテスタントにもクエーカーやシェイカーのように、陶酔で体が激しく揺れたり震えたりする宗派があります。



非理性主導から理性主導へ


絶頂期を迎えた古代ローマにこうした神秘主義的な宗教が広がったというのは、何を意味しているんでしょうか?

そもそも中東からギリシャ・ローマなど地中海沿岸には、古くから没薬や乳香など人を陶酔させるお香を炊いて、神々の世界に入るタイプの古代宗教が広がっていたとも言いますから、神秘主義的な宗教はローマ人にとって初めてのものではなかったはずです。

しかし、ローマ人はギリシャ人と同様、一度そうした古代の原初的な多神教の世界から、理性や科学による新しい世界を作り出しています。

ギリシャ人は投票制による民主主義などの政治・社会制度や経済振興、科学や芸術・文化などに様々な革命を起こしました。しかし、古代ギリシャ世界は、こうした創造的な革新をもたらした一方で、統合的な政治的統治システムを作り出せなかったために、都市国家どうしの対立抗争によって衰退していきました。

ギリシャ人から様々なものを受け継いだローマ人は、貴族による議会政治、選挙で選ばれた執政官による統治という独自のシステムで、科学技術や法律などの社会制度を進化させ、武力で征服した国や地域に安定的な統治システムを拡げることで、新しいタイプの巨大国家を建設しました。

彼らは、文化的にギリシャ人ほど芸術的でも創造的でもありませんでしたが、領土拡大のための戦争の技術や、征服した国や地域の統治、その新しい領土を経済的に繁栄させるインフラや社会制度の開発・普及といった政治・社会分野では、ギリシャ人よりはるかに高度な能力を発揮しました。

広大な領土を安定的に統治する科学的・社会的な技術こそ、ローマ人の科学と知性が生み出した成果だと言えるでしょう。



再び非理性主導へ


この領土が最大化して、ローマ帝国という巨大国家を構築するまで、ローマ人は古代世界の中で異例と言っていい科学的で理性的な民族でした。

しかし、ギリシャが科学と理性の時期に移行して文明の絶頂期から非理性的な秘教・魔術的な時期に移行し、衰退していったように、ローマも帝国成立から数百年のあいだに、科学的・理性的精神が衰え、衰退していきました。

秘教的・密儀的な宗教が広まったから衰退したのか、それともローマ人の中に拡大・成長の原動力だった科学的・理性的な原理に対する信頼が、領土拡大が限界に達したあたりから揺らぎ始めたから、非理性的な宗教に傾く人たちが増えていったのか、そのあたりは判断が難しいところです。

しかし、どちらにせよローマ人が科学と理性の原理によって拡大した帝国が、その原理への信頼が弱まっていったことで混乱し、活力を失っていったとは言えるでしょう。非理性的な精神の広がりは、科学と理性の原理に対する信頼の衰えの一面、あらわれ方のひとつだったということでしょうか。



アメリカの理性主導と非理性化


この古代ローマの革新的な科学・理性による帝国建設の時代と、非理性による衰亡の時代への移行を、今のアメリカの状況に当てはめることはできるでしょうか?

色々混乱はあったにせよ、国家・社会・経済の成長拡大という観点から見れば、アメリカの科学と理性は、植民地建設から18世紀の独立・合衆国建設から西部開拓を経て、二度の世界大戦と、戦後のスーパーパワーとしての世界秩序構築、ソ連崩壊とグローバリゼーションまで、一貫して機能し続けてきたと言えます。

しかし、カート・アンダーセンは『ファンタジーランド』の中で、1980年代あたりからアメリカが非理性的な価値観や感情によって動かされるようになってきたと述べています。

奇妙なことに、それはコンピュータの普及や進化による情報化が一気に進んだ時代であり、金融がサービス化して資本の調達が容易になったり、消費市場が急拡大したりして、経済のグローバルな成長が加速するようになった時代と重なっています。



技術の高度化がもたらす非理性


ITも金融資本主義も、科学と理性の産物のはずですが、IT化によって現実とバーチャルの区別はなくなり、金融主導の経済は金融バブルがノーマルであるかのような価値観をもたらしました。つまり、それまで科学的・理性的・合理的な考え方で動いてきたものが、非理性的な価値観に侵食されるようになりつつあるのです。

さらに、第二次世界大戦後、アメリカの主導の下で成長・発展してきたと見られてきたグローバル経済も、信頼が揺らぎ始めています。

中国はアメリカの支配下から脱して対等な超大国になることをめざすようになり、グローバル経済の敗者になったロシアは軍国主義へ傾斜し、中国との間に紛争地域を抱えるインドは、ソ連時代から続くロシアとの密接なつながりを維持しながら欧米先進国と経済連携し、中国包囲網に加わろうとしています。

つまり世界中が20世紀後半のようにアメリカの言うことを聞く時代は終わりつつあるわけです。

影響力が衰えつつあるアメリカは、自国優先主義が台頭し、かつてのように世界秩序維持に貢献する超大国であり続けるのは難しくなっています。

アメリカが非理性化したから弱体化したのか、ソ連崩壊でグローバルな社会の頂点に立った時から衰亡の可能性が見え始めたから、アメリカ人のあいだに不安が広がり、非理性的感情が顕在化してきたのか、これも卵が先かニワトリが先か的な話ですが、とにかくアメリカが帝国的な成長拡大期を過ぎて、衰亡期に入りつつあることと、非理性が人と社会をより強く動かすようになってきたことは、どちらも同時並行的に進展してきた事実だと言えるでしょう。



もっと三千世界らしいアメリカの旅へ


こんなふうに理性と非理性について論じていると、「人類史まとめ」や「自分を知る試み」のときみたいに、絶対的な真実を追求しようとしてしまい、いろんな領域を自由に旅するという「三千世界への旅」の趣旨からどんどん離れていくので、このくらいにしておきます。

僕は科学的・理性的・合理的な考え方だけに偏ることに懐疑的ですし、むしろ神秘主義や宗教の根底にある力を評価しているので、この領域はまた別の三千世界のひとつとして訪問し、掘り下げてみたいと考えていますが、せっかくアメリカという領域を旅しているわけですから、ここから先はアメリカの別の領域を訪ねてみようと思います。

それは音楽や映画、文学、食事といったものから僕が体験してきたアメリカです。

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