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強がりは心の傷の“応急処置”にはならない


大人になって、何か悲しいことに遭遇すると

ついつい、強がってしまうことがあります。

心の中では

痛っ!

と思っていても、

“たいしたことなかった”、“そんなに痛くなかった”と、

痛くないフリをしてしまうことがよくあります。


強がることは、一時しのぎにはなります。

心に傷ができたら、とりあえず何か適当なもので表面を覆っておきます。

“別にそこまでじゃないから”

そして、やりすごそうとします。

けれど、適当な応急処置では、かならず限界がきます。


私はこれまで、たくさんの強がる人たちを見てきました。

自殺した姉も、そのうちの一人でした。

そして何より、自分自身が強がってきました。

しっかり・・・・傷ついているのに、たいしたことないという風に振る舞ってきました。

代わりにその弊害として、人前で手が異様に震えたり、

乗り物に乗った時にパニックになってしまっていました。

強がることは、自分を守るようで、ときとして深刻な問題を引き起こします。

傷ついたことは傷ついたこととしてきちんと処理をしないと

大変なことになるのです。


けれど、

どうして私たちは強がってしまうのでしょうか。

痛いなら、痛いと言えばいいのに。

つらいなら、つらいと言えばいいのに。


痛みを無視しても強がりな人はつきまとってくる


私は、両親が離婚したことや姉が亡くなったことにたいして、

きちんと・・・・傷つくことができていませんでした。

“もう成人したんだし、子どもじゃないんだから”

“私が今さらどうこう言ったところで、何も変わらないし”

そんな気持ちから、傷ついていた自分を“無視”していました。

そしていつしか、平気なフリをすることが当たり前になっていました。

けれど、そんな状態でいても、自分の傷が癒されることはありません。

傷を見ないことで、あたかも傷がないかのように振る舞ってきましたが、

人は、自分が傷ついているという事実から、逃げることはできないのです。

それはなぜかというと、無理して強がっていると、同じように強がっている人を引き寄せてしまうからです。


振り返ると、今まで出会った人たちはみんな、どこか強がっていました。

そして私は、そんな人たちにイラッとしてきました。

“一人で抱え込まないで、もっとまわりの人を頼ればいいのに”

“なんでもかんでも自分一人でやろうとしないで、もっとまわりの人を信用すればいいのに”

けれどそれは、自分が強がっていたことから来ていました。

強がることで、自分の傷を見ないようにして“自分は傷ついていない!”と思っていても、

結果的には、同じような人たちしか引き寄せないように、人生はなっています。

強がっていても、それはかならず“行き止まり”にしかたどり着かないのです。


強がってしまう心理の根底にあったもの


強がってしまう心理にあるものはなんだろうか。

これまでの自分を振り返ってきたときに、見えてきたもの。



それは、自分は弱い存在だと思い知らされることへの、強烈な恐怖心でした。


“自分は弱い存在だ”と、いったん認めてしまうと、

まるで自分がなんの装備もない、布一枚の服さえ着ておらず丸裸でいるような、

とてつもなく不安な感覚に陥るのです。


そんな状態では、ちょっとした刺激ですら激痛に感じてしまいます。

自分がか弱い存在であることに対する不安、恐怖、脅威、心細さ。

そんな強烈な感情に、一気に襲われてしまったような感覚になるのです。


よくよく考えてみると、

人間というのは、とても弱い存在です。

SFの世界と違って宇宙人に侵略されることもなく、他の生物に生命をおびやかされることもなく(流行り病はありましたが)

他の生物を支配する絶対的な存在として君臨していますが、

ちょっとしたことで、人はすぐ亡くなります。

人は、とても弱くて脆い生き物なのです。

それなのにどうして私たちは、自分たちが弱いという事実をこうもかたくなに受け入れられないのでしょうか。




私が自分の弱さと向き合ったときに、浮き上がってきた感情。

それは、

“負け” “敗者” “屈辱” “恥”

といったものでした。


自分が弱い存在だと認めるということは

自分が何かに負けて、敗者であるという恥や屈辱感を受け入れることだったのです。


私は、強がりを武装・・することによって、

これらの感情を引き受けることを、拒否していました。

けれど、これらの感情をまるごと受け止めないと、

本当に強くなることはできなかったのです。



自己肯定感のない人にとって弱さは凶器だった


“弱さを認める”と検索すると、ある本が検索結果に出てきました。

それは、ブレネー・ブラウン氏が書いた、『本当の勇気は「弱さ」を認めること』というものです。

ブラウン氏の書いた本を読む代わりに、“ブレネー・ブラウン:傷つく心の力”というタイトルのスピーチ動画を見ました。

このスピーチで、自分の心のもろさとうまく向きあえている人とそうでない人の違いについて、彼女はこう述べています。

強く愛されているという感覚を持つ人と、愛や関係性に苦しむ人とはあるひとつの点で違っていました。それはこういうことです。深い愛情や関係性を感じている人は、自分が愛されるに値すると信じているのです。それが違いなのです。自分には価値があると信じているのです。

TED ブレネー・ブラウン 傷つく心の力

小さいころから、“深い愛情や関係性を感じている”環境にいなかった人は、

恥や心のもろさを、“悪”とみなします。

“悪”どころか、自分の存在を脅かすものにさえ思えてきます。

なぜなら、自己肯定感の低い人は“心のセーフティネット”がないから。


後ろは崖なのです。

愛されて育った自覚がない人たちは、みんな崖っぷちに立たされている状態なのです。

そんな中で、自分が弱い存在だと知らされたら。

それはもはや、海に飛び込むことを強要されているようなものです。


弱くてもいい。

完璧じゃなくてもいい。

そんなことを言ってくれる人はいません。

愛されて自己肯定感が十分にある人と比べて、

自己肯定感の低い人は、不完全な自分を受け入れてくれる人がどこにもいないのです。

だから、いつでも崖っぷちにいて、すぐ後ろがもう海のような心理状態なのです。


自分たちの心をもろくするものこそ、自分たちを美しくする

TED ブレネー・ブラウン 傷つく心の力


自己肯定感の低い人は、上記のような発想をなかなか持てません。

弱くてもいいんだよ。

完全じゃなくていいんだよ。

そんなメッセージを、愛する人からもらってこなかったからです。

心のセーフティネットが、うまく作られてこなかったからです。



弱さを認めることが“死”や“無”ではない


ここで、発想の転換が必要になってきます。

自分の弱さを認めることは、“恥”や“負け”を意味するものではありません。

ましてや、“死”を意味するものでもありません。

弱くていいのです。完璧でなくていいのです。

なぜなら、私たちはただの人間でしかないからです。


ただ立ち止まって、こう言うのです。なんて素晴らしいんだろう。この心のもろさを感じることが、生きていることだから、と。そして最後にもっとも重要だと考えるのは、この自分で良いんだ、と信じることです。

TED ブレネー・ブラウン 傷つく心の力


私たちは、その自己肯定感の低さから、自分から強さやたくましさを取ったら、何も残らないと錯覚してしまいます。

けれど、そうではないのです。

私-強さ=無

ではなくて、

私-強さ=人間らしさ

なのです。

私たちは、自分たちが弱い存在であることを認めることで、

自分の可能性をより広げることができ、より他人に寄り添えることができるのです。

人として、より強くなれるのです。

弱さを認めることは、“死”や“無”では、決してないのです。



おわりに


私はずっと、誤解していました。

強がることを“原動力”にして、今まで生きてきました。

けれどそんな生き方では、かならず限界が来ます。

強がりは、心の傷の応急処置にはなりません。


自分の弱さを認めること。

自分の弱さを受け入れること。

自分がより自分らしく、より幸せに生きて行く秘訣は、

そういったことから始められるのだということに、気がついたのでした。




“完璧でないことが完璧なのだ”

という概念に出会ってから、もう5年以上たちます。

そしていまだに、実感として取り込めていないところがあります。

それが正しいことはなんとなく頭ではわかるのですが、

いまだに、完璧でない自分が好き!と、心から思えないのです。

けれど今回、いろいろと調べるうちに、

自分だけの悩みだと思っていたものが、そうではないことに気がつきました。

自分の弱さや心のもろさについて、悩んでいる人が世界中にいるのだ。

そして、

自分の弱さを認めた先にあるものは、恥や喪失ではなく、充足感や“赦し”にも似た“癒し”でした。

私は、いまさら自分が育ってきた環境について、あれこれ言うつもりはありません。

ちょっと勘違いしていただけ。ただそれだけなのだ。


自分の弱さと向き合うことは、より実りのある人生をもたらしてくれるものでした。

そしてその弱さを受け入れることは、自分が無力で無能な人間だと思い知らされるということではなく、

自分のみならず、他人に対して優しく温かいまなざしをむけることができるようになることなのでした。





以上です。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました🍀




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