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居場所はどうやったら作れるのか


Twitterにて共感しかないツイートを発見してしまいました。

私の場合、イメージにすると、

①ネット上でめでたい報告を見かける。

わぉ、めでたい!!!

②僭越ながらお祝いに…とその人のところへ。

ワクワクどきどき

③しかし、すでにたくさんの人に囲まれているその人の姿が。


…。



いや、“スッ”じゃねーよ、お前も話しかけろ



って感じなんですが、あんなに素敵な人たちに囲まれているのに、今さら私なんかに話しかけられてもな…。

とひねくれた考えを持ってしまう自分がいるんですよね。

んで、そうこうしているうちにおめでとうを言う機会を逃してしまうという…。うん。超こじらせてる




ずいぶんまえに、居場所について記事を書きました。

改めて読み返してみて思ったのが、

居場所を作るとは、依存先を作ることだ

ということです。

“自立とは依存先を増やすこと”とよく言われますが、心の拠り所が増えれば増えるほど、私たちの心は安定します。

そして、心が安定すればするほど、新しいことに挑戦できるようになったり、ちょっとやそっとの失敗でもへこたれなくなります。

依存先と聞くと、なんだかよくない響きに感じられますが、

要するに依存先とは、

自分らしくいられる手助けをしてくれるところ

なんじゃないかと思います。

居場所と聞くと、どこかの施設や家屋を想像してしまいますが(もちろん、どこかへ行って誰かと会って話すことも大事ですが)

ようは、自分らしくいられればそれが居場所になるのではと感じます。

子ども家庭庁のデータに、居場所がないと答えた子どもに“どんな居場所を求めるのか”聞いたところ、

「悩み事の相談に乗ってもらったり、一緒に遊んでくれる大人がいる」よりも、「1人で過ごせたり、何もせずのんびりできる」、「好きなことをして自由に過ごせる」と答えた子たちのほうが多かった、とあります。

そのままの自分でいることが許される、認められるということが、どれだけ今の時代に必要とされているかがわかります。

たとえば、好きなテレビ番組を見ているとき自分らしくいられているなと思ったら、それも“居場所”になります。

趣味に没頭しているときも、その時間が自分にとって“居場所”になります。

もちろん、私にとっては思ったことを自由に書けるこのnoteが一つの居場所になっています。(noterさんたちとの交流含め)


たとえ実際の場所がなくても、そこに人がいなくても、自分がその瞬間に、

ああ、今自分らしくいることができているな…

と実感出来たら、それは居場所と言えるのではないかと思います。

なので、居場所とは、人でもモノでも空間でもなんでもいいのです。

生きづらさを抱えてしまっているときは、一度居場所の定義を見直してみて、

人やモノや空間の中に自分の居場所があることを実感できれば、また違った角度で目の前の現実が見えてくるんじゃないかと感じます。

本当は、生きづらさを抱えた人がホッとできるような居場所を現実世界で作りたいのですが、

今は自分の生活のことで精一杯なので、いずれ、何らかの形で居場所づくりに携われたらいいなと思っています。

(というか、まずは気軽に人に話しかけられるようになりたい…😇※冒頭に戻る)




あなたにとって心休まる“居場所”が少しでも増えますように…🌷



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