子どもは親を幸せにする“義務”はない
ちょっと語気が強めのタイトルになってしまいました。
決して親であることの尊さを否定したいのではなく、
苦労した親を見て育った子どもは、ついつい自分の幸せよりも親の幸せを優先してしまうよね、というお話です。
そして、結論から言うと、
子どもは生まれた時点で親への責務は果たしている
親を愛せないことに罪悪感を持つ必要はない
という理由から、子どもは親を幸せにする義務はないと思っています。
子どもは生まれた時点で親への責務は果たしている
カウンセラーの根本裕幸さんによると、
苦労してきた両親を見て育った人は、以下の状態に陥りやすいとあります。
自分より親の幸せを優先した状態でいると、自分軸で物事を考えたり決断することができず、
“自分の人生を歩んでいる”という実感がイマイチ得られない状態になってしまいます。
その背景には、親の“疲弊”があります。
自身の親との不仲
夫婦間でのすれ違い
子育ての悩み
仕事でのストレス
こうしたことから、親は疲弊し、ときに子ども以上に子どもになってしまうことがあります。
そんなとき、
何かしてあげなきゃ。
支えてあげなきゃ。
そんな思いから、子どもはなんとか親に幸せになってもらおうとします。
そしてその関係が、子どもが成人した後も続いてしまうことがあります。
しかし、相変わらず子どもの中の最優先事項は“親の幸せ”になっているので、
自立=親が悲しむ、不自由な思いをさせる
となってしまい、親の元を離れようという発想を持ちにくくなってしまうことがあります。
しかし、私は
子どもは生まれてきた時点で親への責務を果たしている
と思っています。
つまり、子どもとして誕生したことが、もうすでに親孝行になっているのです。
逆を言えば、『親孝行しろ』、『育てた恩を返せ』と言ってくるような親は100%毒親だと思って間違いありません。
子どもがいかに尊い存在か知っている親なら、子どもに何か望むことはしません。
ただ生まれてきてくれたことに感謝し、それ以上のことを子どもに望むことはないからです。
親を愛せないことに罪悪感を持つ必要はない
疲弊して余裕のない親を持つ子どもは、親から愛されないことで深く傷つきます。
しかし実は、親から愛されなかったのではなく、親を愛せなかったことのほうがダメージが大きいと言われています。
親から愛されなかった悲しみよりも、親を愛せなかった悲しみのほうが何倍も心に傷として残るのです。
そして、親を喜ばせられない、親を幸せにできない自分に、罪悪感を持ってしまうのです。
私はこの概念に出会ったとき、雷に打たれたような衝撃を受けました。
そうか。私は親から愛されなかったから苦しかったんじゃなくて、親を愛せなかったから苦しかったのだ。
そう思うと、重苦しかった肩がフッと軽くなった気がしたのです。
しかし、当然ながら、
親を愛せなかった過去があるからと言って、人間失格なわけではありません。
疲弊した親に、子どもの愛を受けとめるほどの余裕がなかっただけなのです。
ただ子どもが愛したいように、愛させてくれなかっただけなのです。
子どもは、親に対して申し訳ないと思う必要は全くなく、実は愛させてくれなかった親の方にこそ、問題があったということを知るべきなのです。
親が子に伝えるべきこと
本来、親がメッセージとして子どもに伝えるべきことは何でしょうか。
それは
“生まれてきてくれてありがとう”
ということと、
“あなたは人を幸せにする力がある”
ということだと、私は思っています。
自分の誕生が祝福され、自分の誕生によって家族に幸せをもたらしたこと。
そして、自分は誰かを幸せにする能力が備わっているということ。
この2つを家族から教えられることで、人は健全に育ちます。
大人になってうまくいかないことに遭遇しても、この2つの教えがあれば、自分の力を信じて乗り越えていけます。
逆を言えば、この2つを教えてくれない親は、親としての務めを果たしていないことになります。
そして、心に余裕のない親は、真逆のメッセージを子どもに送ってしまいがちです。
“あんたなんか生まなければよかった”
“あんたのせいで不幸になった”
ここまで直接的ではなくても、余裕のない親を見て子どもは、
自分がいることで親に負担をかけているのではないか、自分が親を不幸にしているのではないか、
そう思ってしまうことがあります。
そして、親を幸せにしてあげなければと責任を感じ、自分の幸せを二の次にして、なんとか親を喜ばせよう、幸せにしようとしてしまうのです。
自分を幸せにする力があることに気づく
そもそも、“幸せ”とはいったい何でしょうか。
親の幸せは、いったい誰が決めるのでしょうか。
それは親自身であり、子どもではありません。
子どもが、親の幸せを背負う必要はないのです。
親のトラブルは、親が招いたものです。
親の課題と自分の課題は、分けて考えなくてはいけません。
親は親で自分自身の課題と向き合い、自分自身の幸せを自分で獲得していかないといけないのです。
そもそも、
人は本来、一人ひとりが自分のために幸せな未来を切り開いていく力を持っています。
その力は、どこかから探し出してきたり、後から獲得するものではなく、私たち一人ひとりにもともと備わっている能力なのです。
それを曇らせて見えなくしてしまうのが、家族からの
“あんたなんか生まなければよかった”
“あんたのせいで不幸になった”
という言葉であり、
逆に、より一層輝かせてくれるのが、
“生まれてきてくれてありがとう”
“あなたは人を幸せにする力がある”
という言葉なのだと思います。
親を支えなくては。
親を幸せにしなくては。
と思う心理には、“人は自力で幸せになれない”という考えがあります。
あまりにも頼りない親の姿を見てきているので、子どもである自分が親を幸せにしてあげなくてはいけないと、思いこんでいるのです。
また、そんな子どもは、親に対する影響力を心のどこかで過信している分、自分自身の幸せを第一に考えることができず、主体的に自分の人生を生きることができません。
しかし、人は他人の幸せまで背負うことはできません。
たとえ家族だとしても、人の幸せを引き受けることはできないのです。
子どもがすべきことは、親は自力で幸せになれるということを信じること、そして、親の幸せの責任を引き受けるのをやめること、
そしてなにより、その力が自分自身にも備わっていることに気づくことなのです。
“自分がいないと親は幸せになれない”という考えを突き詰めていくと、
実は、“ダメな親を支える自分”というアイデンティティーに、ほかならぬ自分自身が依存していたという事実にたどりつきます。
子どもは無理に親のそばにいなくていいのです。
子どもがいなければいないで、親は親で好きにやっていきます。
そして、子どもは子どもで、自分のために生きていっていいのです。
親を愛せなかったという罪悪感は、決して持つ必要はありません。
なぜなら、私たちはこの世に誕生した時点ですでに、親孝行を済ませているからです。
子どもは、自分やまわりの人を幸せにする力が自分の中にあると信じて、好きに外の世界に出て行っていいのです。
そこでいろんな人と出会って、いろんな絆を結んでいき、豊かな人間関係を好きに自由に築いていくことができるのです。
子どもは、自分の幸せを犠牲にしてまで親の幸せの責任を引き受ける必要はありません。
どんなときも自分の幸せを第一に考え、優先して生きていっていいのです。
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