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口は災のもと

言葉で感情を伝える事は意外と難しい。
好きとか嫌いといった両極端な事であれば、良いか悪いかで伝えわるのだが。
まあまあだとか、いいんじゃないといった内容だとボヤけてしまい、良い悪いのどちらにも転がってしまう。

よく昔から口は災いの元と言われるほど、言葉は慎重に選ぶ必要がある。
てな流れで、今回は鬼才テリー・ギリアム監督作品である「フィッシャー・キング」を紹介したい。

毒舌で人気のあるラジオDJジャック・ルーカスは、いつもの様に軽快な口調でリスナーを喜ばせていた。
そんな中、リスナーから相談された内容に、ジャックは軽はずみで軽率な言葉を掛けた。
もちろんジャックには悪気はなかったのだが、そのリスナーはジャックの言葉を鵜呑みにし、高級バーで乱射し多くの人々を傷付けて大惨事と化す。

この事件の発端は自身にあるとジャックが知ると、その日から生活が一変し、どん底の人生に陥ってしまう。

物語は三年後を迎え、事件前と比べるとジャックは荒れた生活を繰り返していた。
レンタル・ビデオ店を営むアンの家に居候(いそうろう)となり、昼間から酒浸りとなりヒモの様な惨めな人格となってしまった。

酒を浴びる様になったのには理由がある。
素面でいると事件の事が頭に過り、妄想や強迫観念に押しつぶされそうになってしまうからである。

ある晩の事、正気を失うほど酔い潰れそうになっていたジャックの前に子供が近づき、ピノキオの人形を手渡すのだ。
酒の酔いが悪い方向へと回り、ジャックは人形を足にくくりつけ埠頭から身を投げようとしていた。
しかし、不良少年グループがジャックに気づくと、少年らはジャックをホームレスと思い込み襲いかかる。

無抵抗のジャックに対し、不良少年らはガソリンを巻き火を放とうとした矢先に、変な格好で身を包むホームレスが近づくと、パリーと名乗ったホームレスは不良少年からジャックを助けるのだ。

その後、パリーと名乗るホームレスは寝泊まりしている場所にジャックを連れて帰ってくる。

翌朝、目を覚ましたジャックを眺めながら意味不明な事柄を並べる。
しかも自分は神のために働き、聖杯を取り戻す使命があるとジャックに言う。

唐突な話にジャックは戸惑いながらその場を去るのだ。

ジャックが去った後、管理人が近づきパリーに対し、客を連れ来ないようにと注意する。
実はパリーには不運な出来事が重なりホームレスになったのだ。
その不運な出来事こそ、高級バーで乱射した事件現場に居合わせていて、愛する妻を失ってからパリーは過去を封印するかの様に違う人格となってしまったのだ。
こういった経緯を管理人は察していたため、狭いボイラー室だが無償でパリーに与えたのだ。

後にジャックはパリーの住む場所に訪れた。
パリーは不在だったが、管理人と居合わせてパリーにまつわる事実を知る。
余計にジャックの罪悪感は募るばかりだ。
偶然に出会った人が、ましてや命の恩人が自身が犯した犠牲者だなんて…
思いも寄らない結果にジャックはパリーに対し償う事を決意するのだ。

しかし、パリーの記憶は戻らない。
むしろ幻想に悩まされ事実を余計に封印する始末。
それでもジャックは真っ向からパリーと向き合い、新たな友情が芽生える…かは本作を鑑賞してほしい♪

パリーを演じたロビン・ウイリアムスとジャックを演じたジェフ・ブリッジスの共演は実に素晴らしい結果をもたらした。
随所に笑えるシーンもあるが、この作品の要となるテーマは「再生」だと思う。
ジャックにとっての再生と、パリーにとっての再生だ。
もしくは「再出発」の方が適切なのかは判らないが、少なからず「復活」ではない事は確かだ。


特にロビン・ウイリアムスが出演している作品の中でも、この作品は個人的には上位に入る映画だ。
そしてテリー・ギリアム風のややこしさが低減され、より万人に向けたメッセージ性の強い作品でもある。

言葉は時に嘘となるが、常に言葉は実実なので、うやむやな発言は控えるべきだろう。

ふむふむ…



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