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ある生まれたての子猫の命

目が覚めて、呆然とした。

ベッドの上に一度起き上がり、しばらく座って目を閉じていたが、なんとか思い出そうと、猫のように体を丸めて掛布団の上に顔をうずめた。

思い出せわたし、思いだせ。あの男性の名前を。

今さっきまで、眠りの中で見ていた夢の内容ははっきりと覚えている。

でも、その夢の中に出てきた彼の名前がどうしても思い出せない。

彼は確か、20年以上前に数年間仲良くしてた友人で、当時の私は東京都練馬区に住んでいた。

彼と出会ったのは駅の近くのスポーツジムで、通っているうちに自然と仲良くなったジムの数人の仲間たちの中の一人で、その時、お互い一人暮らしで住んでいた住居が、徒歩3分のご近所さんだったことから、

時々、一緒に帰宅路を共にしたり、彼のアパートで鍋をつついたり、音楽について熱く語り合ったり、私の詩を歌にしてくれる相談をしたり、そして時には、恋の話をしたり、共通の友人の心配をしたり、打ち込んでいる趣味の話題に深夜まで熱中したり、

お金はないけれど情熱と夢に溢れて全力で生きていた若かりし日々のかけがえのない思い出を、ともに作った友人であった。

共通の友人からは「あんたら付き合ってるの?」なんて疑われるほど親しげに見えていたのだろうけれど、その時は彼は他に好きな女性がいたし、私は当時モテていたので特定な人はいなかったけれどデートする相手はたくさんいたし、お互いまったく恋愛の目線では見ていなかった。

なんてことだろう。そんなにたくさんの思い出のある彼なのに、どうしても名前が思い出せない。

彼の大きな丸顔も、すっとした高い鼻も、小さくて薄い唇も、のっぺりとした薄い髪も、ごつごつとした指も、むっくりとした大きな背中も、笑うと無くなる細い目も、何か話しを切り出すときに頭をサッと素早く動かす仕草も、一般的に言うハンサムではないけれど、100%善良な人柄が丸出しの顔つきと雰囲気も、まざまざと鮮明に思い出せるというのに、名前だけが出てこない。

私よりも確か5歳くらい年上だった気がするので、基本的には〇〇さん、と呼んでいて、ふざけているときだけは〇〇ちゃん~!と気安く呼んで、こづいたりしていた。

そう、呼んでいた時の私の口調も、自分の声の響きもまだ覚えているのだけれど、なぜだか、肝心の彼の名前だけが私の記憶の中からすっぽりと切り抜かれて存在しない。

なんだか、履いた靴下の踵の部分が足の甲に来てしまって、ちょっと居心地が悪いときのように、もやもやと気持ちが悪い。

私が外国に無期限の旅に出たことで、彼のご近所から離れてしまってから、まめなタイプではない私と彼はほとんど連絡しなくなり、当時はインターネットがあまり栄えていなかったから、海外からメールを送るのも見るのもインターネットカフェに行かなければならなかったので、旅人だった私は今ほど簡単に日本と連絡を取ることができなかった。

だから、喧嘩別れをしたわけではないのだけれど、なんとなく連絡をしなくなって自然と疎遠になって、それきりだった。

そんな、名前が思い出せない〇〇さん(顔はバッチリ見えるのに!)の名前の代わりに、彼と過ごした日々の思い出を、私は今日一日、回想している。


ここからは思い出話。

あの年の夏、数人の友人達と一緒に飲みに行った帰り、自宅が近い彼とは帰路が同じルートなので、二人で駅からぶらぶらと歩いていた。

夏の名残がまだ悪あがきをしていて、夜の風が少しだけ肌の熱を安らげてくれる夜だった。

私たちは解放感の中、まだほろ酔いで心地よく、きっとさっきまで一緒だった仲間たちと話していた話題の続きや他愛もないことを話して歩いていたのだと思う。

そしてふと、彼が立ち止った。

「どうしたの?」

と私が聞くと、彼は何も言わずにおもむろにしゃがみ込んで、私たちのすぐ脇にあった草むらに向かって、すっ・・・・と、腕を伸ばした。

私は言葉もなくその彼の奇異な行動を、大きく目を開いて見つめていた。

彼が草むらに伸ばした片手を引き寄せた時、その掌は何かを掴んでいた。

彼は立ち上がって、その片手をわたしの目の前に見せながら、眉根を寄せ、悲しそうな顔をしていた。

「あ・・・子猫・・・!」

こうして私たちは、この殺風景な住宅街の草むらで、小さな小さな白くて汚れた子猫を保護した。

子猫は弱っていて泣き声らしい声が出ず、草むらからのほとんど呼吸音のような悲鳴を、彼は敏感にキャッチしたのだ。

わたしには、聞こえなかったというのに。

そしてその夜から、私たちはその子猫を、彼の部屋でお世話することにした。

子猫は女の子で、白い毛が汚れてボサボサに乱れていて、かなり衰弱していて、声を出そうと口を開くのだけれどもうまく声にならずに微かにヒャー・・ヒャー・・・という呼吸音となる状態、そして、まだ開いていない目にはとにかくたくさんの目ヤニや汚れがこびりついていた。

排泄の仕方もまだ知らず、本来なら母猫がしてあげるのであろう役割なのだろうけれど、パンパンに膨れ上がったお腹を、私たち人間の手で押してあげて、やっとおしっこが出てきた。

それほど「生まれたて」だった。

その日の夜、私たちはできるだけ温かく安全に子猫を包んであげ、私は自宅へと戻り、彼は枕元に子猫を入れた洗濯かごを置き、それぞれに子猫を想いながら眠った。

次の日に彼は、哺乳瓶やら、ミルクやら、栄養剤やら、お薬やら、たくさんの子猫グッズを購入してきて、私は彼の迅速な動きと、子猫を想う心の温かさに驚かされた。

彼女はとにかく衰弱していて動かずに息をしているだけだし、目やにも依然としてひどく、ほかの病気もありそうな気配があり、私たちは心配で心配で、早く元気になって欲しくて、できる限りの時間をその子猫に注いで一生懸命お世話をした。

私は彼の部屋の合鍵を貸してもらい、彼が仕事の時間帯は私、私が仕事の時間帯は彼が子猫のそばにいるように、できるだけ彼女が一人ぼっちになる時間が少ないようにスケジュール調整をして、交代で代わる代わる面倒をみた。

少しでも、彼女に元気になってもらって、里親を探そう!と、ふたりで話していた。


保護してから数日がたち、彼女は少しずつゆっくりと元気になっていき、これまで呼吸音のようだった声も、少しずつかすれかすれだけれども鳴き声らしくなって、ヨチヨチとでも数歩だけ歩くことができるようになり、

わたしたちは、まるで新米パパとママのような気持ちで、懸命に生きようとする彼女を見守りながら、彼女を通して感じること、学んでいること、不安なこと、感動することなど、いろんなことを語り合った。

「こんな、目も見えなくて、おしっこも自分でできなくて、歩くこともままならない、生まれたての赤ちゃんを、平気であんな草むらに捨てるやつ、俺、絶対に絶対に許せない。

 この子は、草むらから俺に助けを求めてたんだ。泣き声なんて聞こえなかったけど、なにかを俺は感じとったんだ。

 俺、子供の頃から、こんなふうに、何匹、捨てられた動物拾ったかわからない。

 みんな、俺に助けを求めてくるんだよ。俺はそれを感じるんだ。

 この子も、誰にもみつけられず次の朝になれば、カラスに生きたままつつかれて殺されてしまったかもしれない。

 この暑さの中、歩くことも、水を飲むこともできず、干からびて死んでしまったかもしれない。

 そんなの、たやすく想像できるのに、それでも、こんな無防備で純粋な命を捨てる人間、俺は絶対に許せない。」

絞り出すようにそう途切れ途切れに言葉を紡いだ彼は、顔を伏せてヒクヒクと泣いていた。

それを聞いていた私も、彼の気持ちが痛いくらいに感じられて涙が出た。

子猫は、私の手のひらにすっぽり入り、それでもまだ余裕があるほど小さかった。

強く握ってしまったら、あっけなく潰れて死んでしまうのではないかと思うほど、とても小さく、細く、はかなく、弱々しかった。

もちろん、人間が捨てたのだとは断定できない。

野良猫の母猫が不慮の事故にあって、子猫はひとりぼっちになったのかもしれない。

私自身、その彼の言葉を聞くまでは、まさか人間が捨てたのだ、とは思っていなかった。

でも事実がどうあれ、この小さな命から刺激されて、彼が流した涙はとても純粋で、私はその美しさに触れて感動した。

私の純粋さも刺激されたのだろう。

私は彼のむっくりした丸い背中に手を当てて、彼はうつむき胡坐をかいた両足を見つめ、呼吸するごとに不安定にゆらゆらと揺れている横たわる子猫を挟んで、私たちは泣いた。

ある生まれたての子猫の命2

子猫は、私の胸の中で眠るのが好きだった。

彼のごつい胸よりも、私の柔らかい胸のほうが安心するのだろう。

そして、心臓の鼓動が聞こえ、その振動が感じられるその場所が、落ちつくのだろう。

私は、彼女を胸に抱き、誤って潰してしまわないように、彼の布団の隣に敷いた掛布団にくるまって眠った。

彼は寝具を一組しか持っていなかったので、私が泊まるとき、身体の小さな私は掛け布団に包まれ、体の大きな彼は敷布団と間に合わせのバスタオルや上着などを掛けて寝ていた。

一つの布団に二人で寝る類の、行き過ぎた親密さは私たちには無かったし、子猫の面倒を見る時間の中で、そういったものが生まれることもなかった。


本当に少しずつだけれども徐々に元気になっていった子猫は、私たちに、喜びと微笑みをくれた。

哺乳瓶からミルクを飲む仕草。

片手のひらに子猫をあおむけに乗せ、哺乳瓶を口にあてがうと、彼女は両手(あるいは両足と呼ぶのか)で、哺乳瓶をまるで抱き抱えるようにして、半開きの目でうっとりと、ゴクゴクと喉を動かしてミルクを飲んだ。

時々、ゴフッ!と飲みきれないミルクを噴出し、私たちの手や袖がミルクまみれになるのだが、ミルクをちゃんと飲んでくれていることが嬉しくて愛しくて、その都度、顔を見合わせニコニコと微笑み合った。

よちよちと歩いている姿が本当にコミカルで、ほんの数歩だけ歩いては、コテッ、と転び、そして、また数歩ゆらゆら進んでは、コテッ、と崩れる彼女のかわいいチャレンジを見るたびに、私たちは弾けたように笑い、喜びを分かち合った。

無邪気さを取り戻していく子猫に、私たちは喜びを与えられ、希望に溢れ、命の強さと尊さを信頼し始めた。


ある日の朝、

私の自宅から子猫がいる彼の部屋に行き、小さな彼女の様子を見に行った。

洗濯かごの中に、タオルに包まれて眠っている彼女は安らかに目を閉じていた。

うん、大丈夫眠っている。

安心した私は、慣れたように彼の部屋のソファに座り、バッグから仕事の書類を出して広げ、最初の一枚に目を通し始めた。

が、

ん?まてよ。なんか、変。 なにかが、違う。

もう一度、子猫が眠る洗濯かごのところに行き、顔をさらに近づけて良く見ると、

動いてない・・・・・・。

指で彼女の顎を軽く揺らしたり、首筋のあたりを撫でても、タオルに包まれた彼女からはなんの反応も無い。

呼吸すると動くはずの胸のあたりも、まったく静止状態だった。

私は凍り付くように胸の中に冷たいものを感じ、小さい彼女をそおっと両手ですくい上げて、撫でみたり胸に抱いてみたり何度も呼びかけてみても、なんの反応もない。

でも、まだ、彼女の身体は温かかった。

私は掌の中の彼女の温もりを感じたまま、どうしようもないほどの虚脱感に襲われ、しばらく彼女を胸に抱き、悲しみと喪失感で泣き崩れた。

悲しすぎて、ドロドロと身体のパーツすべてが流れてしまうかと思ったほど。

涙があとからあとから止まらず、嗚咽が苦しすぎて、立ちあがることもできなかった。

もう動くことのない彼女の身体をつぶさないように抱きしめながら、彼女の身体の温かさを涙で追いすがっていた。

私はその後、数週間立ち直ることができず、仕事を少しだけ休み、沈んで過ごした。


私たちはもっと最善の方法で彼女を救えたのではないか、という問いかけが私と彼の心に残された。

もっとこうしてあげれば、もっとああしてあげれば・・・、悲しみと喪失感と後悔が私と彼を襲った。

でも、それは無駄なことで、私たち自身の悲しみの痛みを、より一層深める自傷行為だ気づいた。

そして私たちは、白くて小さな彼女に感謝をするという方法にたどり着いた。

心から感謝することが、喪失感と後悔の海に沈んでいた自分自身を救った。

子猫ちゃん、私たちに微笑みをくれて、どうもありがとう。

そして、私たちと過ごした時間が、少しでも、生まれてきて幸せだと感じる瞬間であって欲しいと願う。

私たちとの時間が、私たちがそうだったように、彼女にとっても喜びでありますように。

彼女はいなくなってしまったけれど、三人で過ごしたあの短い期間、彼女が幸せであったことを心から祈ることで、私たちは自分たちで作った苦しみから、自分を救いあげ、

彼女との思い出が、後悔と悲しみと苦しみではなく、私たちの人生に喜びを与える経験だったのだ・・・と、人生の思い出記録帳に残した。

「感謝すること」は、「許すこと」であり、許すことは苦しみから自分を救いあげる方法のひとつなのだ、と学んだ。

子猫ちゃん、愛をありがとう。

命の尊さと美しさと喜びを教えてくれて、ありがとう。


そして、心の優しい彼のことを、いま思う。

ここまで回想しても、残念ながらまだ!名前は思い出せないのだけれど、彼とのたくさんの思い出が蘇ってくる。

彼の幸せも心から心から祈っている。

いつまでも、思い出のアニキとして、私の心の中に居続けるだろう。

※探したらこの子猫の画像が残っていて良かった。







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