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植物と猫さまの下僕として生きる

先日の合宿で受け取ったことを元に、いろいろと言語化していきたいと思う。まずは、紆余曲折して結果的に植物の下僕になるという流れを自分の振り返りも含めて。

メディアとメディスン

植物の香りがもつ癒しの力を不思議に思い、学び始めたのがアロマセラピーだった。それが1995年。

その後、アロマセラピストとして仕事をすることになったが、その仕事には二つのラインがあった。一つは人間に向き合うこと、もう一つは植物に向き合うこと。

そして、それらの間をつなげていき必要な変化を起こすことが仕事だった。

そう考えれば、人間と植物の香り、というだけではなく、人間を動物にも置き換えられるし、植物の香りをいろいろなものに置き換えることができる。

何かと何かをつなぐメディア。
その感覚がずっと大事にしていることでもある。


植物療法

植物の学びも、たとえば精油の成分を分析して、それらの持つ生理作用を知り、成分を見れば、だいたいの精油が持つ効果と安全性を予測できるようにはなった。そうした物質的なところを知っていくことも興味深く面白かったが、それ以上、細かく探求するようなマインドを私は持ち合わせていないので、あまりにも成分に偏った効果を考えることには興味がわかなかった。

医療現場で使えるかどうかという話になると、エビデンスが安全性の面でも効果の面でも必要になってくる。アロマセラピーの一部は医療の場面で活用されはじめ、それはよいことだと思った。でも、私はもっと、精油のもつホリスティックな効果に関心があったので、一時期、医療関係の方にアロマセラピーのことを伝える機会を得ていたけれど、そこには徐々に興味を失っていった。

当時ちょうど、バブルもはじけてストレスフルな社会へと向かう入口の時期で、「ストレスケア」にテーマを絞り、アロマの研究や実践を行ってきた。心療内科や精神科などの活動もしてきた。

一方で、植物が持つ力を全く別の側面から言及しているものとして、占星術などに心ひかれた。同時期にハーブとタロットを合わせたものを発見し、その翻訳をする機会も得ることができた。

しかし、ある植物がある天体とどのように関係しているのか?また、ある植物があるタロットカードの一枚とどう関連しているのかを理解することは、興味深いことでもあると同時に、非常に困難なことでもあった。雰囲気として、な~んとなくわかる、ということがあっても、それ以上でも以下でもなかった。

『ハーバルタロット』はちゃんとしたハーバリストの人がつくっているので、一般的な植物療法としての使い方と、スピリチュアルな効果というのが併記されていることが自分にとっては魅力的で、そこをもっと深めたいと思った。

植物がもつスピリチュアルな側面は、人間の見えないエネルギーや魂に働きかけるフラワーエッセンスなどが、とても良いヒントとなった。

ボディワーク

私のもう一つの核になっているのはボディワークだ。当時はソマティクスという言葉も今ほど普及していなかった。もみほぐせばよいという単なるマッサージはあまり面白味を感じず、身体感覚を通して内的なところに働きかけ気づきを促すというソマティック・エディユケーションに心ひかれた。

なので、アロマテラピーのオイルマッサージからエサレンマッサージに関心が移った。そして、動きを通して自分に気づくことを促すフェルデンクライスメソッドを学ぶ流れになった。その間、身体と意識の関係性を探求する中で古武術やオイリュトミーも学んだりした。手技療法的にはリフレクソロジーやエドガーケイシーのオイルマッサージなど、ちょこちょこ興味のあるものを学んだりしていた。

結果的に、フェルデンクライスメソッドのトレーニングの中で、自分の変化のプロセスを通して学んでいったことは、瞑想やエネルギーワークの学びと実践に繋がっている。

エネルギーワーク

ボディワークをしていると、物質的な身体だけではなく、何かあると感覚で感じられる。エネルギーのことと魂のこと、人間のより本質的なことを学びたいと思い、ついにそこにも手を出したか・・・という感じで学び始めた2015年。いまだ終わった気がしない…。


人間の意識の進化とそれを助けるもの

振り返ってみると「人間とは何か?」「人間の意識の進化とは何か?」そして「それを促すものは何なのか?」を探求してきた。

セラピーや癒しというと、何かマイナスからゼロにしていく感覚があり、もっとその先に行きたかった。

人間は誰もが何かしらの潜在能力を持っている。その宝物を探し当てることは誰にでもできるし、ただ、方法や課題が人によって異なるものなので、ひとつの型にはめられるものではない。

なんでも効率よく、というか「楽をしたい」という怠惰な気持ちがずっとあるので、何か法則性を見いだそうとする自分がいる。法則性を見いだそうと勤勉に学んだ結果(笑)、法則性はあるにはあるけれど、絶対的な法則は宇宙の普遍法則だけで、地上世界においては、ある程度は法則はあれど、個別の変化に応じて対処するしかないという結論にたどり着いた。

物質世界において絶対はない。
色即是空とあるように、移ろいゆくものだから。

ひとりひとりにあったプロセスが見いだされ、世界が調和し平和が地上に実現することが自分の中の大きなビジョンだ。

ゲーテ・シュタイナー的植物観察

そんなこんなで、ゲーテ・シュタイナー的な植物の見方があることを知った。自分が感じていた植物療法に対する違和感が一気に解決した。ただし、これもかなり奥深く、学びが必要なものだけれど、知りたい欲求が勝り、コツコツと糸口を探し続けてきた。それでシュタイナー教員養成講座+美術教員養成講座で合計5年間学んだ。しかしそれは、単なる始まりに過ぎないのだった。

植物の下僕としての覚悟(;^ω^)

いろいろやってきたけれど、結局、自分は植物に戻るんだなということを何度も繰り返してきたので、もうあきらめてここに集中しようと思っている。自分は植物と猫さまの下僕であれば幸せだ。

植物との対話の方法、その対話から何を学び取ったらいいのか? それが人間の進化をサポートする可能性がどこにあるのか?そして人間が植物に対して、または地球に対してどう貢献できるのか?

それを整理して、実践につなげていくためのパズルのピースがだいたいそろってきたことを感じたのが、先日まで行っていた植物との対話合宿だった。それを整理していくのに、しばらく関連投稿が続くと思う。

もっと学びは必要だけれど、今までの蓄積をもって、貢献できるところにはやりつつ、学びを続けていこうと思う。

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