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スピリチュアリティ教育で重要視される道徳と倫理

心理学の知見に「エリートほど自己中心的」という調査結果があるそうです。興味深い調査です。というか、そうなるよね、という感じかな。


今、学んでいるラージャヨガは王者のヨガといわれていて、リーダーが学ぶべきものだ(だった?)そうです。いにしえの叡智は、人間とはこうなりやすいものなので、そうならないように何を学ぶべきかを熟知し、そのような教典ができたのだろうなと思います。現代では、王者やリーダーじゃなくても学んだほうが良い内容だなと思います。


自分の心が外からの刺激に対してどう反応するかを認識し、どのように内面を秩序立てたらいいかということが、ほんとに合理的に示されています。


他にもシュタイナーや秘教を学んでいますが同じことを言っています(別に倫理や道徳を学ぶためにそれらを学んでいるわけじゃないんですけどね)。


道徳的、倫理的なものをどのように養うかは、自分が子供の頃は、昔話の教訓や、周りの大人からなんとなく学べる環境があったけれど、現代は道徳や倫理はどこへやら、と探し出さなくては見つからない世の中になっていると感じます。


経済や物質が豊かであればそれでいい、というグラマーやイリュージョンが根強すぎる。そこから、お金を持っていて高級な車に乗っていれば、自分がえらくなった気分になり、何をやっても良い感覚になるのでしょう。


これからの子どもたちへの教育や、歪んだ環境にある大人への癒しに、何が必要なのかをいつも考えてしまいまふ。

「過去に与えられた霊的な指導の多くが美徳の育成と弟子になる資格のための規定を定め、自己統御、寛容、非利己性の必要性を明言してきた。しかし、これらは初歩的な段階であり、この論文を学ぶすべての人はこれらを当然のことと見なすべきである」
(『秘教心理学』第2巻)

霊的教育の中では、この初歩的段階を「見習いの道」とよび、次の「弟子の道」は建設者の仕事と言われている。つまり、自分の中の高位我(魂)と低位我(パーソナリティ、物質界の自分)の架け橋を建設し、地上に天国を建設することが弟子の仕事です。

人類は、長年にわたり善き質を発達させてきてはいますが、今一つ高位我と低位我の架け橋ができていないので、それは、まだまだ当面の目標なのかと思います。

世界の平和と紛争の根源的な原因のひとつでもあるでしょうね。

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