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朱色さす夕べ、花石榴の下で

あばら屋

そんな言葉が
頭に浮かぶ

やっているのか
しめているのか
分からない
店の色あせた看板が
ずっと並ぶ路地のその奥

流れのゆるい川辺に
朱色の石榴が咲いている

「ひとごろし」

蛍光カラーのペンキで
殴り書きされた
崩れそうな壁

色とりどりの
それを見て
ここは廃屋などでなく
君が住み家だとわかった

蝉の声が遠い

夕方になって
なお蒸し暑い

僕はネクタイのゆるめ
額を手の甲で拭う

がたり、と音をたてて
斜めになっている
玄関の引き戸があいた

色のあせたワンピース
その色はもとはきっと緋色
薄い肩には大きすぎる
君の趣味ではないのだろうと
勝手に僕は確信した

夕日が差し込んで
まぶしいのだろう
目を細めた君が
僕に気がついた

表情のない
ガラスの瞳が
僕を見据える

君は黙ったまま
庭とも呼べない
玄関横の草むら
そこだけ綺麗に
手入れされた
寄せ植えの鉢を
持ち上げた

水やりかい?

と話しかける

一瞬、間をおいてから

夜になると
踏み潰されて
しまうんです

と短く君が言った

腕の中の鉢を見た

オレンジ色の
手鞠のよう

百日草です
しってます?

君から話しかけてくれた

知っているよ

母も庭に咲かせている

いつもまでも変わらない心

そんな花言葉を
幼い頃教えてもらった

君は鉢を抱えたまま
家の中には戻ろうとしない

重いだろう

僕が手を伸ばす
君は黙って首を振る

こうやって

崩壊しそうな家に
描かれた
悪意の花を君は見た

夜になるとひとが来るんです
でも、あたしが外に出ると
逃げていく
だから、こうしていれば

言葉を切って君は
僕の後ろの石榴を見る

その石榴は
実をつけないんです

そんな石榴があるのかい?

花を楽しむだけの木なんです

父が好きな花でした

うつむいた君の言葉は
すこし震えていた

帰って下さい

僕を見ないまま君が言った

僕が逡巡している間に
君は叫んだ

ここに来て、この家を笑って
あたしたちを笑った
それで満足なんでしょう?

なにもないんです
最初からなにもないんです
父も、母も
あたしもなにも
あなたたちにさしあげられるものは

なにも

君は急に糸の切れた
人形のように
うなだれて
口を閉ざしてしまった

夕日のオレンジ色が
君を照らした

暑いだろう
僕は帰るから
君も家の中に入って

君はまた黙って首を振る

蝉の声がふとやんだ気がした

家の奥から
抑えきれない
そんな嬌声が
聞こえてきて
僕は耳を疑った

君は鉢を抱えたまま
うずくまってしまった

父の古い友人なんです

蝉がまた鳴き始めた

君と僕は
夕闇に溶けるまで
そこで立ち尽くした

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