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終わらない階段は狂気をおびた紫色に染まる

寝たの?

母はいきなり切り出した

電話もLINEも無視し続ける
一人息子に業を煮やして
弁護士と一緒
会社に乗り込まれた
僕はその日実家に帰った

紫紺の着物姿の母は
僕の生涯見た中で
一番醜い顔をしていた

あんな子供を引き取って

母は吐き捨てる

貧乏人の人殺しの
娘を弄んで
それでお前の気が晴れるのかしら

僕はくちびるを噛みしめた

母の口から君を語られるのは
君に泥を塗り込まれているような
不快感があった

そんなことは
なにもない

僕は事実だけを伝え
そのまま黙る

そう
なにもない

一度、ふれるように
口づけはしたが
僕より13歳年下の
14歳の少女に
なにが出来るというのか

気持ちを確かめ合い
それだけで満たされて
君と世界の片隅で
ひっそりと暮らしていけたら

そんな他愛ない夢は
あっけなく破れられた

あの男、書類送検が終わったのよ

苦々しさを隠さずに
母はうなった

捜査もなにもかも終わり
ひとの夫を殺しておいて
自分だけ楽になるなんて

青みがかったピンク色に塗られた口が
母を年齢よりさらに老けて見せた

ラベンダーの香りで頭が痛い

父が贈った品物だ
あれも、これも

口紅も、香水も
浮気相手に同じものを
贈っていたのを
母はまだ知らないのだろう

哀れみを感じた

あの娘を
どうするつもり

母の問いに僕は答えた

しっかりとした里親を探して
養育をしてもらえるよう
手配しているところだ

離れて暮らすのは僕もつらい
でも、ふたりの未来のために
それが一番いいだろうと
ふたりで話し合った結果だった

たまに、帰ってきていいですか

甘えるように君が言う

もちろん、君が好きな時に

手だけつないで
眠りにつく君を見ている

若紫

あきらかに馬鹿にした声で母が言った

今から自分色に染めるの?
ないがいいの?
あんな貧乏臭い娘の

思い出したように笑う

お育ちがいいようだから
幼いようであっちの方も
意外と育っているのかしら

かっとなって僕は言い返した

彼女と、彼女の母親は、違う

なにが違うの
男を誘惑して
生活の糧を得て
そんな恥知らず

乱れた髪からのぞく
母の目はおぞましかった

私は
おとうさんしか
知らなかった

呪詛のように
部屋にひびく声

私は、お前のおとうさんしか
知らないわ、知りたくないわ
あのひとだけが
私の一生
ただひとりの

母は泣いていた

泣きながら
着物を脱ぎだした

かあさん

僕は顔を背けた

僕は、とうさんじゃない

分かってるわ

衣擦れの音が続いている

お前は
おとうさんじゃないもの
お前は
おとうさんのように
他に女を作って
私をひとりにはしないでしょう

はっと、顔を上げた

全裸になった母の
蛇の腹のように白い
肌が目の前にあった

あの娘が
出来ないような
ことをしてあげるわ

母の手が
僕に伸ばされる

部屋を飛びだそうとする僕を
母の叫びが呼び止めた

お前が

お前が私を捨てるなら
私はお前を殺す

振り返った僕は
母の手に握られた
鈍く光を反射する
包丁を見た

お前を殺して
あの娘も
殺してやる

母は笑いながら
にじり寄った

どうやって殺してやろうか
おとうさんとおんなじように
殴ったけれど死なない
害虫のような娘

そうね
お金を払って
誰かにあの娘を
むちゃくちゃにしてもらって
そうやって
自分で父親の後を
追わせるのが
いいのかもしれないわね

血走った目で僕を見据えながら
言う母は、すでに狂っていた

ねえ、お前がここに帰ってくるなら
私のそばから離れないなら
お前が言うように
あの娘にちゃんとした里親を
探してやって
そうね、留学でもさせてやってもいいのよ

媚びるように言葉を重ねた

なにもかも
お前次第

母が僕の頬を両手で挟んだ

僕は耐えきれなくて
母を強く突き飛ばす

母は絶叫しながら
僕に包丁を突き出して
迫りかかってきた

あの娘を、殺してやる!

…………………

何度目かの
通知の音で
我に返った

君からのLINE

読む余裕など
なかった

母は胸に包丁を突き立てて
モーブの絨毯の上
目を見開いて倒れている

膿切った
夜から逃げ出した

僕は君を
守るため
母を殺した

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