【これが愛というのなら】その勇気があったなら、あいつを殺して。私も、殺すから。
理恵
何時に来るか分からなかった、森山先生がクリニックに訪れたのは14時過ぎ。
リーダーの心づくしの紅茶もケーキを無視をして、院長と院長夫人と一緒に、院長室に閉じこもった。
食べてもらえなかったケーキでみんなでお茶をした。
「なんか偉ぶった人だねー」
スタッフがこっそりつぶやく。
あんは、フォークでケーキを小さく小さく刻んでいる。
全員で挨拶をしたときに、森山先生があんの全身を舐めるように見ていたことに、私も気がついた。
16時から午後の診察が始まり、森山先生は病院を後にする。
院長夫人が送っていったようだ。
あんは、仕事が終わった後、何も言わずに帰る。
私も帰宅し、そろそろ寝ようかと思っていた時に電話があった。
総合病院のカルテ搬送係のリーダーからだった。
「なぎさん、詩織ちゃんが辞めるのよ」
「詩織さんが?」
詩織は私の後輩であったが、理恵に可愛がられていたせいか、そんなに深い付き合いはない。
19歳で妊娠結婚し、理恵の退職後も外来スタッフとして地道に働いていたはずだ。
「井東先生の病院に勤めるのですって」
「井東先生?開業決められたんですか」
井東先生も、総合病院に勤めていた医師で顔は知っていた。
一緒に働いていた看護師が井東先生の子供を妊娠して、それで実家の病院を継ぐのだそうだ。
「引き抜きですか?詩織さんは実力あるからどこに行っても大丈夫」
「それがね」
カルテ搬送係のリーダーは、声を潜める。
「引き抜きは引き抜きなんだけど…前に医事課にいた理恵さん。彼女が井東先生が開業するならと自分を売り込んで、それで一緒に働くなら詩織ちゃんがいいって無理矢理ねじ込んだみたいで」
井東先生の山羊のように人畜無害な顔と、理恵の整った綺麗な、でも傲慢は顔が交互に頭をちらついた。
「理恵さん…勝手よねえ」
その後、私は、自分がどう返事をしたのか、覚えていない。
自殺
ある朝、あんが始業開始になっても出勤しなかった。
リーダーも病院の電話で連絡をするし、私も個人携帯電話で連絡をする。
しかし、全く連絡が取れなかった。
「こんなことをする子ではないから、体調不良で倒れているんじゃ…」
最近、めっきり痩せてしまったあんを心配してリーダーは眉を曇らせた。
あんは、15時過ぎに、ふらふらとクリニックに現れたのだ。
「あん!」
倒れそうなあんに私は思わず駆け寄る。
「なぎさん…?」
あんは、ここがどこでいるのかよく分かってないような様子で、でも、私の顔が分かったのか、微笑んだ。
「先生に連絡して!あと、点滴の準備!」
リーダーはストレッチャーを持ってきて、あんを運びながら叫ぶ。
「あん、なにがあったの?どうしたの?」
リーダーが気道確保のためにボタンを外した首に胸に、あざとやけどの跡が、あった。
あざは、キスマークにしては大きく、まるで犬に噛みつかれたようだ。
やけどは、子供の頃に読んだマンガに、「たばこの火を押しつけられたらこうなる」という描写があったことを思い出したが、生々しく、灰まで付着していた。
リーダーは数秒固まったが、すぐに処置に入る。
「先生捕まった?」
「今自宅を出られたそうです!15分後に来られます!」
「パートの看護師に電話して、今から来てもえらえるか、聞いて」
リーダーはあんの腕に針を刺しながら低い声で言った。
「午後の診療、手が足りないわ」
あれは、6月4日。
クリニックが開院してから、まだ1ヶ月しか経っていなかった。
あんはそのまま仕事を休み、半月後、自殺した。
「今までありがとう」
そして
「△△さんのお腹の子供は森山先生。井東先生の奥さんの子供の父親も森山先生。理恵さんは、それを知って、脅迫している」
私宛にそんなメールを残して。
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