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壊れていく記憶の欠片/解離性記憶障害と診断されて





2016年、1月、大雪


7年前、北に引きずられるように病院に連れて行かれた。

そこは、心理カウンセラーもいる精神科のある総合病院だった。

その頃、北と出会って13年目。

北と出会ったときからすでに崩壊に兆しのあった私は、もう誰の目から見ても取り繕うことが出来ないくらい、壊れていた。

北は、調べて行政にも相談し、やっと病院を見つけて、私をベッドから引きずり出し、自分の車に押し込んだ。

1月、大雪の日だった。

荒天で人もまばらな病院で、私はまず、カウンセラーと話をした。

質問の内容はもう覚えていない。

私は聞かれるまま、それに答え、多分、後ろで北が色々補足していた。

カウンセラーは、そのまま奥に行く。

しばらく待っていると、医師が出てきた。

「あなたの症例だと、うちではとても扱えない」

そして、いくつか病院を紹介してくれた。

殺人病院


北は、すぐに紹介された先の病院に向かおうとした。

私は、スマホにその病院名を打ち込んだ。

「○○病院 殺人」

とGoogleで検索候補があがってきた。

私はパニックになり、車の中で「絶対行かない!」と叫び続け、北は折れた。

その日は私は病院に行かず家に帰った。

北は、家に帰ってからもずっと病院を探し続けていた。

「紹介された病院が、一番いいと思う」

「殺人事件があった病院に?嫌だよ」

北の説得にも私は言うことを聞かなかった。

北は、出来たらこのまま私を精神科に入院させようとしていることは伝わってきた。

病棟で殺人事件のあった病院に行くのは、怖かった。

因幡の白ウサギ


しかし、県内で私が通える精神科で、私のような症例を扱ってもらえるような病院はなかった。

北は、心理カウンセラーのいる、ちいさなクリニックを探したようだが、そういうクリニックは、予約が半年くらい埋まっている。

その頃、私は日の半分を、自傷行為と酒を飲むことだけに使っていた。

リスカすると、北に気づかれるので、足の裏の皮を全部むいていた。

血も出るし当然痛い。

厚い靴下で隠して私は過ごしていたが、北もやがて気がついた。

酒を飲むことを禁止しても、一人暮らしの私は自分で買ってきてしまうので、現金も管理されたが、今度はクレジットカードを使って買ってくる。

また、本当にお金が必要な時もあるだろうからと、北は全ての現金とクレジットカードを取り上げることが出来なかった。

酒を飲みながら、自分で足の裏の皮をめくる。

じくじくと血がにじみ、足の裏はいつも真っ赤に腫れていた。

その足で、バスソルトをいれた風呂につかる。

なんだか異常に楽しくなって、私は笑った。

楽な商売をされてますな


どうしても、殺人のあった精神病院しか私を受け付けてくれるところがなくて、北に説得されて私はやっと病院にいった。

長く医療事務の現場にいたが、精神専門病院など来たことがなかった。

問診票を渡される。

私はどうしていいかよく分からなくなって、問診票の質問ひとつひとつに細かく書き込んでいった。

欄からはみ出し、裏面にも、びっしり言葉を書いていく。

その日、初診は院長の当番で、問診票を見るなり

「普通の人は、こんなには書き込まないんだよ」

と、言った。

北が、また色々と私との13年、最近の状態、この間行った病院で医師に言われたことを話していく。

院長は薄く笑って言った。

「そこは、楽な商売されていますな」

なんとなく、この院長なら診てもらってもいいと思った瞬間だった。

解離性記憶障害

診察を終えて、院長が診断したのは

「解離性記憶障害としか言えない」

というものだった。

鬱傾向はあるが、違う。

妄想はないようだ。

子供の頃から断続的、または長期間の記憶の欠損。

パニックになると、数時間から数日単位で記憶がなくなる発作。

「薬を過剰摂取する可能性があるから、安定剤や睡眠薬は出さない」

血圧を測ると200/120。

「血糖値は異常ないけど、まずは血圧を下げなきゃ、死ぬよ」

降圧剤は処方された。

北は、私のアルコール摂取量を気にしていたが

「飲まないと行動できないんのでなくて、飲みたいから飲むんでしょう?500MLを一本?毎日じゃない?今はそこまで気にすることじゃない。降圧剤と一緒に、いくつか薬は出すから、それと一緒には飲まないように」

それだけ。

7年精神科に通って
 

私は未だにこの精神病院に3週に一度通っている。

曜日で担当医が違うので、北の休みに合わせてしか行くことの出来ない私に決まった先生はいないが、基本的に院長と、部長が私の主治医と言えるだろう。

最初はこんなに「ツン」だった院長は、今は完全に「デレ」であり、

「この薬欲しいの?いいよ。どのくらい?」

とか

「正月はなにしたの?ぜんざい?自分で作るの?」

とか

「ラーメンの替え玉やめたら痩せた」

とか、世間話に行くようなものだ。

もっぱら治療は部長先生だ。

最近、北の休みが会わなくてなかなか会えない。

去年だったか、本で知って自分に当てはまるような気がして、私は「境界性パーソナリティ障害」ではないかと、相談した。

先生はまっすぐ私を見て言った。

「なぎさんは、解離性だと僕は診断する」

それから、はにかんだように笑いながら

「パーソナリティ障害かー。僕も一時期はよくその病名つけたな。でも、もうつけない。あれは病気ではないと僕は思う。あくまで僕はね」

そう続けられた。

北は、7年通っても寛解しないことに苛立つこともあるようだ。

私は、もう、「解離性記憶障害」と、一生付き合って行くつもりだ。

私の記憶は正しいの?この記憶はいつまであるの?


自分の記憶のあやふやさは、子供の頃は「知能が遅れているせい」と言われることもあったくらいで、そうとう昔から症状はあったようだ。

どうしても人の顔と名前が覚えられなかったり(数度会えば覚えるけれど)、人見知りで内向的な性格だったので、「人よりのんびりした子供」程度で放置されていた。

最悪な状況からは抜け出して、今はこうやってnoteに毎日記事を更新したり、あさんぽだの、Kindle出版だの、親友とお出かけだの、忙しく、でも楽しく過ごしいる。

けれど、ふと思う。

この、「楽しい私」の記憶は、本当なの?

この、「楽しい記憶」は、いつまで私の中にあるの?

怖い。

今は、酒が嫌いになったから、酒に逃げることさえできない。

だから、私は書く。

毎日、何があったか、それに対してどう感じたか。

些末なことでも、残さずに書く。

昔からつけていた手書きの日記を読み返すと、私ではないような文章を書いていたり、やっぱりこれは私らしい、と感じる文章を書いていたりする。

私は、書くことでしか、「自分」を残せない。

私はどこまで転がって、どこに帰って行くんだろうね。

その顛末を残すのはnoteになるだろうか。

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