【占い】不思議な符号。でも私の望むものは…
内省的の変わり者
16歳の時に読んだ「秘法カバラ数秘術」(斉藤啓一)は、未だに何かっていうと引っ張り出している本である。
私はタロット占いもしたし、ホロスコープも書く人間だったけど、17歳から20歳の頃、「神がかり」っていうか「イタコおろし」のような状態になり、母親から強く「占い」を禁じられた。
私は霊感もスピリチュアルな能力もない、というか、スピリチュアルなことが嫌いなのだけど、あれはなんだったのかな、とは思う。
あの頃の占いはよく当たった。
しかし、当たる分だけ、からだと心、どっちのエネルギーも持って行かれた気がする。
「カバラ数秘術」はあんまり力を使わない気がするし、占い方も簡単。
私は1972年10月5日生まれ。
1+9+……(省略)
まあ、一桁になるまで足していく。(11と22はそこで止める)
出た数字が、「誕生数」になる。
私は「7」。
本によると
時を超えて読み返してみても、長所には多少心当たりがあるような気がするが、短所は大変なじみ深い「自分」である。
今は読めなくなったけれど、昔の自分のホロスコープを解説したノートなど見返すと、同じような象意が現れるのは不思議なものだ。
これは全くその通りで、16の時から感じていた悩みは50歳になっても解決していない。
なかなか面白い。
「7」は孤独な数字だしね。
自己犠牲がすぎるために不安定になっていく
北の誕生数は「9」。
「9」は私にとって「男性」を意味する。
付き合った男が歴代9月生まれである。
また、これが切ないことに、元彼も誕生数が「9」だった。
ああ、分裂的で強情な二人がそろうとどのような化学変化が起きるのか。
喧嘩は多い。
元彼ともそうだったが、会話が成立する前に言い争いになってしまう。
私も頑固だが、北も強情である。
しかし、私は「わかり合えないならもういい」と背中を向けるが、北は「話し合おう」と詰め寄ってくる。
性格合わないことこの上ない。
北は出会った頃の20代、「友達を作ると人間強度が下がるから…」を地で行っているような感じだったが、最近はよく、「愛」を語る。
「どうやったら人間はわかり合えると思う?」
など、自分で自分で問うている。
「誰も傷つかない、平和で安らかな世界を作れたらいいのに」
そういう北をホロスコープを読んだノートを見返す、こうあった。
「人類愛を実践する人」
自分で書いているのだが、忘れていた。
また、北の姓名占いとか、全部9の倍数で構成されている。
自己犠牲が強くて、そして私という爆弾を抱えているので不安定になりやすいが、これを極めたら
「教祖様になれるかも?」
「宗教嫌いだから、それなら福祉か」
などノートにある(一時、福祉課の「心と女性の相談室」で働いていた)。
ガンジーもそうだし、マザーテレサもそうだ。
頑張れ(何を?)
不思議な符号と、書いて残していくこと
スピリチュアルなことが嫌い、占いはあくまで統計学として実践してきた私だが、「占い」と「書くこと」、一致していることがある。
「その瞬間でないと現れないワード」
「書き残さないと消えていく」
タロットをめくって、そのとき現れたイメージは、いつも同じではない。
また、言葉で言っても、それは一瞬で消えていく。
今書いている文章だって、「今の私」が書いたものでなければ、同じテーマでも違うものになるだろう。
数年前、まだ廃人だった私が、なぜかホロスコープを読んで、それを書き残していたから、今日の気づきのひとつになった。
書かなければ、どんなことも消えていく。
もちろん、音声や動画、絵、などで残す人も多いだろうが、私は「書くこと」を選んだ。
手書きでもスマホでも何でもいい、「書くこと」は私を救い、導き、守ってくれている。
カバラ数秘術でも、ホロスコープでも、私は分裂気質で、かなり内省的な人間であることが読める。
また、ネット上で書くことが大好き!人間でもあるのは、占いでも見て取れる。
金運が水物で決まった収入はないがなぜかうまくいってしまうことも、子供の頃から書籍や図鑑を与えられて教養を得やすい環境だったことも、「父親」が欠落した幼少期を過ごしたことも、占いは見せてくれる。
ま、だからってやっぱ、占いにべったりはしない人間である。
占いの本を読むのも、記事を読むのも大好きだけど、それは「読むこと」に含まれる。
「読むこと」
「書くこと」
これがやはり私の軸のなんだろうな。
シルバーウィークは仲間と遠出の予定。
「誕生数9」の男がふたり、「誕生数11」の親友、「誕生数7」の私。
この4人だと、しきり役が私になるのはなぜだろうと思いつつ、楽しい思い出を「書き残せればいいな」と、今から思っている。
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