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小説 うどん屋のこと (1)あるいは(上)

 幼馴染の家がやっているうどん屋がとうとう閉店した。数年前にお父さんががんであっけなく亡くなって、それから幼馴染が継いだのかと思ったらどうやらそうではなく、もう百歳近いおばあちゃんと幼馴染のお母さんとでしばらく店を切り盛りしていた。お父さんがうどん打ちから出汁取りから出前から全部やっていて、おばあちゃんやお母さんももちろん心得はあるだろうけれどやっぱり二人でやるのは難しい感じで、お父さんが亡くなってから出前はしなくなった。幼馴染は三十半ばのはずで、高校を中退してから色々なところで働いていたらしいけど、家に戻ってきて手伝っているという。この辺りは高齢化が進んでいるから出前が出来ないのは店にとってはきっとキツい。私の家も最近はもっぱら出前を取っていたが、出前がなきゃわざわざ店まで行くのはねえ、ということになってその店の味を楽しむ機会が減った。うちの家がそうなら他の家もきっと同じ感じだろう。幼馴染は手伝いなんて言っていないでカブを運転すべきなのであって、要するに幼馴染は社会でうまくやれなかったから家で手伝いをしているのだ。おばあちゃんは自分が看板娘であるという自負があるから頑張っていたけど、お父さんが生きていた頃から注文を取る時の聞き間違いが増えていたし、重たいうどんやラーメンのお盆を運ぶのはお母さんの役目で、会計ももちろんお母さん、うどんを作るのもお母さん、週六やっていた店の営業日は段々減った。そのうちお母さんがぎっくり腰をやって、その時一緒に何かが折れたらしい。

 なんで私がこんな細かいことを知っているかというと、ここのお母さんが自分からあれこれ話すのだ。あれいつも気になるのだけれど、自分のことや、他の人のことについて「ここだけの話にしておいてね」と話す人ってどうなんだろう。幼馴染は小学校が一緒だったから小学生の時のことを思い出すのだけど、小学生なんて人の秘密をそんなにしっかり守っていられないから、好きな子が誰か打ち明けられて、うっかり他の子に言っちゃうことがあった。そのことがバレて怒られたり絶交だと言われたりしたんだけど、その子自身が他の子にも「あんただけに打ち明けるんだからね」って言っていたことが後から分かったことがあって興ざめだった。自分が言って広まることは良くても、他の人に広められたくないって凄くわがままなんじゃないんだろうか。デブが自分でデブと言うのはいいけど、他人にデブと言われたくないというやつ。わかるけどもやっとする。

 うどん屋のお母さんは閉店にあたり、ますます活発に色々な人と立ち話をしていて、それだけ元気があるなら店を続けられるんじゃないかと思うのだけれど、「あら、なんでこの話が皆に知れ渡ってるんやろ、皆さん心配かけてごめんなさい」と有名人気取りだったりしていて、そんなお母さんの口に鰹節を突っ込んで黙らせたいなんて思わないけど、瀕死の店に反比例して息を吹き返した感じがしてなんだか気味が悪かった。おばあちゃんは閉店の一年前に亡くなっていて、おばあちゃんはお母さんには義母にあたるから、もう店を続ける義理がなくなったってことなんだろうと思う。というのは、一年前私はお母さんが「最後まで店に立っていたお義母さんのためにも、店は続けます」と道端で住人に向けて涙ながらに語っているのを聞いたことがあるからで、お母さんがしゃべらないことの方に本当のことがあるんじゃないかと思う。じゃあ、あれだけしゃべっているお母さんの人生は嘘だらけなのかという疑問が湧くのだけれど、それはさすがに残酷な指摘だと思うのでこれ以上考えない。雄弁だって銀くらいの価値はあるのだ。

 もうずっとシャッターが閉まっている店の前を通ったら、幼馴染らしき男性がぬるりと裏口から出てきた。当時からどちらかというと太っている方ではあったけど、こんな巨漢ではなかったし、顔だって違っている気がする。でも私は地元の中学を出てからは彼にろくに会っていないのだし、幼さの残る男の子がおっさんになるのは、いも虫が蝶になるようなものかもしれないのだし。愛らしさや清潔感という意味では、蝶がいも虫になるという方がこの場合正しいかもしれないけれどと思い、しかし私にはいも虫と蝶とどっちが清潔かはよく分からないのだった。いも虫は潰されてしまう時に体液が飛び散るのが汚いと感じるだけで、実際は毎日表面は念入りにお手入れされ、ビロードの肌触りかもしれないじゃないか。幼馴染には弟がいたはずだが、ひょろひょろと細かったし生まれつき色素が薄くて髪も薄茶で、この人みたいに重たらしい黒ではないからやっぱりこのいも虫……もとい、お相撲さんみたいな人が幼馴染なのだ。もちろん第二次性徴で髪質なんかも変わるだろうけど、弟は家を出て働いてどこか遠くで所帯を持っているとお母さんも言っていたような気がする。

 私はなんとなく幼馴染のあとをつけることになった。彼が歩いていく先に私の行く先もあるせいだけれど、なんだか気まずい。本当のお相撲さんはアスリートなので歩くのが結構早いのだけれど、彼はいも虫系お相撲さんなので歩くのがゆっくりなのだ。ストーカーみたいで嫌だから追い抜きたいのだけれど、この通りは狭いくせに車がしょっちゅう通るし、歩行者も自転車も多いから、この巨体と車の隙間を縫って追い越すことは危険を伴うが、後ろでじりじりとするのもストレスが溜まる。向こうから二人組の女の人達がやってきた。中学時代の同級生だった。

 私はお相撲さんを追い越さなくて良かったと心からほっとした。この巨体に隠れていれば、彼女らに気付かれる心配はまずないだろう。彼女らは道の反対側にある花屋で何やら物色していた。この二人は中学時代から仲が良かったのだろうか。少なくとも、大人になってもこうして二人で出歩くくらいの関係だったなんて初耳というか初見というか、とにかく意外だ。でも意外と思うほど私は彼女らのことを知らない。

 接触冷感の……へえ、これってどうなのかしら……え、いくらするの、値段が書いてないわ……

 彼女らの会話がとぎれとぎれ聞こえてくる。花屋に接触冷感の何かが置いてあるんだろうか。花屋の斜め前には大きな配送トラックが止まっていて、私はお相撲さんとトラックの死角に入って完全に彼女らから隠れることが出来た。このトラックの荷台部分の後方下部には「街道筋の暴れん坊」という結構大きめのステッカーが貼ってあった。ウイング車っていうんだっけ。ええっ、そこ見せちゃっていいのっていう感じに大掛かりに開くべき荷台の、今は半分しか開いていないから相変らず彼女らから私は見えないはずだ。ウイングっていうことは蝶だからやっぱり彼はいも虫で合っているのだ。良く見ると、信号待ちをしているお相撲さんの着ているTシャツには、背中にこんなことが書いてあった。

 やっぱりお値段が気になります

 街道筋の暴れん坊のトラックの開け放たれた窓から、かけっぱなしのラジオが聴こえてきて、ラジオショッピングの最中だった。片方の人の声はかすれていて変に甘ったるくて、私の元カレに似ている。元カレは周りの女友達からイケボだと言われていたけど、私は彼の声は全く好みではないどころかどちらかというと苦手で、特に恋人らしい言葉を掛けてもらえるような時、本来は自然とうっとりしてしまうところなのに、なんで私はこの声に口説かれているのだろうかと思ってしまうことがよくあった。あの人の名前はなんというんだっけ。あまりにも声が似ているから、もしかしてラジオDJに転職したのかなと思うほどだ。そんなこと有り得ないのにそう考えてしまうのは、この声が私に我に返らせる何かを持っているということなのかもしれない。このラジオDJの声を聴くまでは、元カレのことなんて忘れかけていたのに、なんだか憎い。そうだった、私は今からラジオ局を爆破しに行くんだった。

 接触冷感で……自分の汗の水分も吸収して、熱を逃がします……今日は特別にさらに二本で合計四本……

 「恋に病んで夢は枯野をかけ巡る」とお相撲さんのTシャツの文字。いやいや、私はラジオDJに恋なんてしていないし。大体元カレのことも、その人が好きだったのか、自分より人間ができた完璧な恋人という観念を彼に投影していて好きだったかはもう分からないのだ。だって顔も好きじゃなかったし人の揚げ足を取るところなんて最高に嫌だったし、自分を棚に上げて言うけどもうちょっと背が高い人が良かった。私は交際のきっかけをどうにか思い出そうとして俯いたが、虹色のもさもさが両手も胸も覆っていることに気付いた。そうだった、私は今日くまの着ぐるみを着ているから、中学の同級生に顔を見られる心配はないんだった。となると私は本格的にお相撲さんをストーキングしているように見えることを心配しないといけないことになる。いくら相手は巨漢で私は小柄だとしても、こんな地方都市郊外の生活道路で毛むくじゃらのくまにつけられるのはきっと良い気がしないことは、くまの私にだって少しはわかる。これが青山とか自由が丘とか、あるいは高円寺なら、そういう変なくまが一頭くらい紛れ込んでいても皆そんなに気にしないだろうし、何かの撮影なのかなとか、むしろ案外オシャレなくまだね、ということで一目置かれるのかもしれないけど。私はここが青山であると思おうとしたけれど無理だった。だってやっぱりお相撲さんは私の隣にいるし、ちらりと振り返るとシャッターの下りたうどん屋がある。あれをタピオカドリンクやマリトッツオの店だと思うのは流石に私でも無理があった。私が待っている都会行きのバスが来た。乗車拒否されるかと思ったが、運転手は親切にもくまの私に「ステップがありますから爪をひっかけないように気を付けて」と声さえかけてくれて、私はうっかり持ってきたアーミーナイフをプレゼントしてしまうところだった。いつのまにか追い越してしまったお相撲さんも私の後からバスに乗り込んできて、私たちは出発した。

 (続く)

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