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38歳。男性。製造業(期間工)から看護師の道へ。

私は、看護専門学校・准看護学校専門塾を営んでいる。営んでいるといっても、実は他にも職業がいくつかあって、看護師になりたい人を応援する仕事は、ライフワークのひとつだ。

なぜ看護学校専門の受験指導塾かといえば、

きっかけは、かつてお世話になっていた看護師さんが過労死されたことにショックを受けたこと。その直後に「看護師不足」という言葉を新聞で目にするようになった。

ひとりでも多くの優秀な人材を看護の世界へ送り出したいという想いがあった。

学生時代は葬儀社でアルバイトをしていた。その頃も、若い女性のご葬儀といえば、ああ、今回もまた看護師さんか、というような時代だったのだ。

そして、いま、いちばんの目的となっているのは、

看護師という国家資格を手にすることによって、あなたの人生を変えられるんだよ。さあ一緒に行こう。

この一点に尽きる。

いやもちろん、これは弁護士でも建築士でもよい。

しかしコストパフォーマンスという意味で、私は看護師を強く勧める。

【かかる費用・労力】:【得られる対価】

という意味で。

例えばシングルマザーで貧困に苦しんでいるとしたならば、自治体や病院の支援(奨学金)を受けながら、学校に通うことができて、その奨学金は、条件さえ満たせば、返済しなくてよいのだ(指定の病院への就職等)。

そのお母さんの経済状態がよくなれば、子どもの将来の選択肢だって増える。母親が一歩を踏み出すことで、そのご家庭の幸せと平和を守ることにもつながる。ぼろアパートから抜け出して一軒家を買うことができたお母さんだって実際にいる。

いやほかにもある、という反論はわかる。ただ私は学生時代からずっと家庭教師や塾講師をしていて、その中でも特に看護学校受験に対しての長年の経験とノウハウがあったのだ。そこに特化した塾をつくった。「ご縁があった」わけだ。

看護学校の入試倍率は年々落ちてきているとはいえ、社会人には狭き門だ。

ましてや、子育て中のシングルマザーや、男性が看護師を目指そうとすると、どうしても「子どもはどうするの?」とか「なぜ女性ばかりの職場に?」なんて意地悪な事を聞かれてしまう。

それだけ、学校に合格するだけでも難しい(学校にもよるが)。

そんな中、成し遂げた男がまたひとり。

Oさん。東北出身だが、期間工で愛知県に来ていた。愛知県といえば、そう。自動車工場だ。

彼は38歳になるまでずっと、機械と向き合ってきた。ただ工場勤務も満了の時期が迫り、この先もずっと製造業で生きていくよりは、もっと人と関わる仕事がしたいと考えるようになった。

だったら、飲食店で接客をしてもよいわけだし、ホテルのフロントでも構わない。介護の仕事だって引く手あまただ。

それでも彼は看護師を選んだ。

じつは、男性で看護学校に合格する人の割合なんて、レア中のレアである。定員40名中、1人か2人いるかいないか。3人いれば、多いほう。

そんな難関を、彼は最初のチャレンジで突破した。

ご本人の許可は得ています。世の看護師を目指す男性たちのパワーになればと快諾してくれました。

ちょっと前まで、志願理由もしどろもどろで、LINEの通話機能で練習していても、途中で詰まって話せなくなるような状態だった。

でも、ありきたりな言葉だけれど「自分を信じてあきらめない」という姿勢は、彼に合格という結果をもたらしてくれた。

それまで流れ作業で黙々と部品と向き合ってきた人生から、誰かの健康や命を支える人生に変わる。職業と人生は別という考え方もあるが、私はそうは思わない。

職業に貴賤は無い。しかしそれでも、彼がほんとうにやりたかったことは「人と関わる仕事だった」と、工場勤務のおかげで気づくことができてよかった。

そして、人生の回り道ができたおかげで、彼は、42歳には新人ナースとして働くおじさんになるのだ。21〜2歳の子たちと同期の42歳おじさん新人ナース。

我々おじさんの星ではないか。

人生は、変えようと思えば、いつからでも変えることができると、Oさんは示してくれた。まだ国家試験はこれからだけれど、彼なら大丈夫と確信している。

これからも、私のライフワークとして、看護学校受験専門塾は続けていく。

人生を変えたい人を、応援したい。

あなたも一歩を踏み出してみませんか。

もう大丈夫。ワシもついとる。

(もし需要があれば、合格までのプロセスを記事化してみようと思う)


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