セミでかき消したい 7/15~7/17
7/15
今日は朝から少し寂しいけれど、テレビをつけたり音楽をかけたりしてなんとか紛らわせている。
私は音とにおいに敏感だと思う。
かすかな音を見逃さないし、静かな場所では逆に音が際立ってなかなか集中できない。人のにおいもよく感知して、「あっ、このにおい〇〇さんに似てる」ということがよくある。
イヤホンで音楽を聴きながら自転車に乗る時代になったけれど、私には絶対にできない。音が聞こえないだけでとても不安になる。
というのも、角を曲がった先から誰か来ているかを音で判断している部分が多いからだ。(もちろん目でも確認しますが、、)
昨日くらいから、セミの鳴き声が聞こえるようになった。
夏かぁ、いつもより遅いかな?
嫌になるほどの鳴き声ではないから逆に涼しげでいい。
森がすぐ近くにあるというわけでもないのに、こうやってセミの鳴き声が聞こえたり、木々のざわめきが聞こえたり、風の音が聞こえたり。どこからこの音たちはやってくるんだろう。
来年どんなところに住むのかわからないけど、近くにほっとできる場所があったらいいなぁ。
例えば大きな木があってその下にベンチがあって、あんまり人がいない落ち着いたところとか。例えば小さな川があってその流れを見ながらぼうっとできるところとか。
そういう、いてもいいと思える場所がほしい。
本で読んだことだけれど、日本はお金を払わないとほっとできる場所にいられない。お金がないと楽しいことができない。そういう風になってきている。
都会に行った時の落ち着かなさはこのせいかと思った。田舎だったら道を歩いていても、その土地がそれを許してくれて包み込んでくれている感じがする。
でも都会だったら、みんな足早に目的地にいくための歩行を繰り返している気がする。偏見かもしれないけれど、私は居場所がないと感じてしまう。
どこに住むにしても、私にとって住まいはとても大切だから、きちんと考えて、ほっとできる場所にいよう。
7/16
今日は昨日の夜久しぶりにお酒を飲んで寝るのが遅くなったので、今は夕方に書いています。
今日は大半ハッピーだったけど、一部の消えたくなる状況、感情によってダウンしています。
「我思う故に我あり」という言葉がある。私はこれにあまり共感できない。
私は、人の存在は周りの人から認識されてはじめて成り立つものだと思う。
というのも、自分だけ人の輪に入れないとき、ほかの人は自分を認識していないものとして会話や行動を続ける。こんなとき、私は社会的に存在しているとは言えないと思う。
私は、その存在していない状態から、存在している状態に帰ってくるのが苦手だ。
存在していない状態が生まれているのなら、わざわざ存在をアピールする力はなく、それに従うまでだし、それに従っているときに急に話しかけられても、すぐに声が出ない。
この存在していない感覚を感じる人はどれくらいいるんだろう?
それを感じられるのに、周りの人に同じ思いをさせてしまう人はどれくらいいるんだろう。
なんだか、いろんなことがわーっと頭に押し寄せてきて、消えたい。
自分のことも、周りのことも、こんな社会なことも、こんな気持ちなことも、こんなにみじめで力がないことも、いろんなことが全体的に嫌。
いくら数日満たされたからと言って、私は今いっぱいいっぱいなんだと改めて思う。
7/17
今日は朝からセミ、セミ、セミ!!
一気に夏らしい音が聞こえる。久しぶりに強く照り付ける日差しを感じる。もう今日から梅雨明けかなぁ。
昨日は憂鬱な気分になったので、ドライブに連れて行ってもらった。
この気分を晴らすためだけのドライブなので、特にゆく当てはなく、ただ成り行きに任せて車を進めた。
本当になにもなく、ただ車窓から風景を見ていただけだけど、なんとなく救われた気になった。
その間いろんなたわいないことを話していたからかもしれない。
やっぱり人はいいなと思う。お互いにあたためあえるし、支えあえるし、笑いあえる。
嫌なことがあっても、そんな人がいれば、苦しみから解放されて忘れられる。
こういう、なんでもないけれど貴重な時間を、どんなときも大切にしていたいと思った。
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