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学級づくり 言葉を届ける ~水やりの“教え”~

前回の「クラス運営をスムーズにするための日常の小さな習慣」には書いていませんでしたが、クラスに運営が難しくなっている学級に共通する最大のことは、ツイートに記したつぎのことです。


若い頃、生活科を研究していて、🪴植物を育てることが大好きな先輩からこんなことを言われ、諭された(叱られた)ことがありました。

放課後、授業を終えて職員室にいると
「花壇に水をあげてきてよ!」と先輩から言われ、
「分かりました。」と言いながらも半ば渋々花壇に水をあげに行きました。
ジョウロに水を汲み、一通り花壇の花に水がかかるように水をあげて
職員室に戻りました。

頼んだ先輩から
「水をあげてきた?」
「ハイ、あげてきました!」と嬉々と答えました。

しばらくすると、
「ちゃんと水をちゃんと撒いたのか💢」と少々語気が強くなって言われました。
「撒きましたよ!」
「○○はしょうがねぇ~な!葉っぱ🌿や花びらは湿っているけど、植っている土は全く濡れてないぞ!あれじゃ、植物に水をあげたことにならないぞ!」と。

水を行き届くように!

草花は、撒いた水がひとつ一つの花に行き届いて初めてイキイキと成長します。
しかし、頼まれて水をあげた時は、確かにジョウロの水をかけましたが、
草花にその水が行き届いてはいなかったことに気付かされました。

このことは、30年以上経った今でも良く覚えています。
なぜなら、「草花にしっかり水💦をあげるのは、教室で言葉をかける時と同じなんだよ!一つひとつの草花に水が行き届くように言葉が届かなきゃ子供を育むことなんてできないぞ。」と教えてもらったことが、私を(定員を満たす人員という意味での)教員から教師へ成長させてくれることにつながる尊い教訓だったからです。

以来、私は教室で語る時、学年や学校全体の子どもに語る時に、“言葉が届いているか”を意識し続けました。学校研究とか授業づくりに熱心とは言えないまま、長い教員生活を続けましたが、それでも“言葉が届くか”どうかを意識し続けてきたことで何とかやってこられたのかも知れません。

校長時代、「朝会の校長先生の話は、不思議と子どもたちが良く覚えているんですよねぇ~」と担任の先生からそんな話を良く聞かせてもらいました。
こうして意識してきたことが少しは実を結んだのではないかと感じました。

言葉が届いているかどうかは子どもたちの目つき、顔つき、表情、仕草、態度を見ることです。話を聞いている時は、やはりそういう心持ちが現れていて届いていないなぁ、伝わっていないなぁと感じるものです。
大事なことは、そのままにしないことです。どうすれば“言葉が届くか”“伝わる”のかを考え、時に立ち止まり、フィードバックをしながら試行錯誤することです。
そうした地味な努力が、言葉を届ける力を高めてくれると思います。

花壇への水やりで諭された同じことが、
学級の運営が難しくなった学級で起こっています。

見る人が見れば、先生の言葉が子供たちに、その心に届いているかどうかは
一目瞭然でしょう。
しかし、そのことを日頃から意識して、しっかり果たすことができているのかは疑わしい気がします。毎年、運営が難しい学年、学級を抱える異なる学校へ支援に行きながら痛切に感じてきたことです。

先生は、言語、非言語とあらゆる手段で、授業を進めたり、子供たちにメッセージを伝えて子供たちを育んでいます。

その時に花壇の水遣りで教えを常に意識し、しっかりと地面が湿るまで水が届いているのかを問うように、自分の伝える言葉が子供たちに届いているのかを見極めてみてください。そう問い続けることが、学級運営の根幹であり、授業研究などの手前にある極めて大切なことではないかと思っています。

どの学校でも、働き方改革が叫ばれ、欠員が生じて学校運営上の破綻をきたしていても熱心に校内研究と言われるより良い授業に向けた研究を行っています。私もそういう中で仕事をしてきました。

ただ、今回、取り上げたように言葉に乗せた先生の思いが子どもたちに届いていなければ、先生の貴重な時間を費やし、より良い授業のことを考えようとしても
それは「砂上の楼閣」になってしまいかねません。

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