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村上春樹『騎士団長殺し』 第1部: 顕れるイデア編 第2部: 遷ろうメタファー編

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2019.07.06 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

前回の川上未映子さんと村上春樹さんのロングインタビュー『みみずくは黄昏に飛びたつ』に刺激されて、考えずに読んでみたくなって再読した『騎士団長殺し』ですが、やはり、ついつい考えてしまう作品でした(笑)。とは言え、考えずにそのまま受け入れる読者であろうとして読んでいくことで、騎士団長という独特のキャラクター設定や、パラレルワールド的穴というモチーフ、ギャツビーを彷彿とさせる免色さんの存在や、上田秋成の怪異譚の取り込み方……などなど、村上春樹作品らしさにあふれた部分を純粋に楽しむことができたようにも思います。

また、先のインタビューによると、副題にも取り上げられている「イデア」や「メタファー」という言葉には一般的な概念としての意味はないということでしたが、やはりこれも所謂「イデア」や「メタファー」としても解釈できるものになっていて、かなり読者の受け取り方に委ねられているなと感じました。もしかすると、村上さんが意味を限定させずに「その言葉の持っているイメージの一部、ある意味での豊かさ」や「広い範囲の、磁力を持った何か」として使っているからこそ、読者は自由に村上作品と自分をつなぐことができ、読者自身にとっての心地よい物語として解釈していけるのかもしれません。

物語というのは、解釈できないからこそ物語になるのであって、これはこういう意味があると思うって作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなの面白くも何ともない。読者はガッカリしちゃいます。作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』より

まっとうさの中に孕まれている危険を感じ、また、確信をもって断言できることはこの世界にないとしながらも、目に見えるすべてが関連性の産物であると捉えていく受け止め方、そして、(思った以上に)穏やかな結末。また何より、肖像画家である主人公を描けば描くほど、小説家村上春樹が小説でやろうとしていることに近づけているような気にさせてもらえるところなどなど……、読者として嫌いでは“あらない”物語でした。