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宇佐見りん『推し、燃ゆ』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2023.05.27 Saturday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

第164回芥川賞受賞の話題作です。私自身、絶賛推し活中ということもあり(笑)、ずっと気になっていた作品で、やっと手に取ることができました。(ネタバレありです。)

作品紹介では、

推しが炎上した。ままならない人生を引きずり、祈るように推しを推す。そんなある日、推しがファンを殴った。

とあったので、いわゆる「推し活」の話で、タイトルの「燃ゆ」は推しが炎上することを指しているのだとばかり思って読み始めたのですが、読み進めば読み進むほど、そう簡単ではないかも……、と用心することになりました。

というのも、主人公の高校生あかりの印象がどんどん変わっていったからです。当初、「推しを愛でる会」の中で「落ち着いたしっかり者というイメージ」で登場するので、

みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

という彼女を、内省的な人物なのだろう、くらいに捉えていたのですが、どうやら、発達障害を抱えていて、現実的に「何気ない生活もままならない」状態であることが分かってきます。そして、学校も中退することになった彼女にとっての推しは、

体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。

まさに唯一の自己の存在意義とでもいうべき深刻性を持つものとなっていくのです。

しかし、物語は彼女に推しに「注ぎ込み続ける」ことを許してはくれません。炎上後の推しは引退し、一般人となってしまうのです。

結末に用意された、「人」となった推しを確認しに行くエピソードこそが、まさに、彼女が自分の「背骨」であった「推し」と決別する(=火葬する=推し、燃ゆ)行為だと理解しました。彼女にとっては、「大人になんかなりたくない」ピーターパンそのものであった推し。その推しを燃やすことで、彼女自身、ピーターパンの世界から飛び出し、大人になることを選んだのでしょう。まだまだ「人間の最低限度の生活が、ままならない」彼女ですが、逃げるのではなく、「これがあたしの生きる姿勢」だと認めることで、「長い道のり」をスタートさせたのです。