平野啓一郎『ある男』
石川慶監督✖妻夫木聡✖安藤サクラ✖窪田正孝で映画化され、第46回日本アカデミー賞でも話題となった作品の原作本です。平野啓一郎さんの長篇作品ということで、映画を見る前のまっさらな状態でぜひとも読んでおきたくて手に取りました。
小説『ある男』の特別サイトでは、次のような読者へのメッセージが載せられています。
考えさせられました。様々な要素が描きこまれているので、解釈の切り口も多様で、とても面白く深く没入しました。それは、ある男が誰か、というミステリーの謎解きの面白さではなく、読者である「私」が、「私」自身として生きていることを問われ続けるような面白さでした。
私たちが、生まれや、国籍といった動かしがたいものを出生と共に抱えてしまっていること。そしてそれが、生きる上でのスティグマ(負の烙印)となってしまう現実があることを突きつけられる物語の中で、望まない過去を、重荷や足枷や負い目としないためにどう生きることができるだろうか? と問われ続けるような読書体験でした。
小説『ある男』を乱暴にまとめてしまうならば、
己のアイデンティティを何か一つに括りつけられてしまう苦しさを放棄して、「私」であり続けるためにもがき続ける「ある男」たちの物語
と言えそうなのですが、最後に究極の「ある男」として存在しているのが、主人公の城戸その人であるのも面白い趣向だと感じました。ある意味、城戸自身が、社会から逸脱しない形で何とか「私」でありたいと模索し続けている点で、最もリアルな現実を生きている「ある男」であると読みました。
小説の中で、正しい生き方や、正解が示されているわけではありませんし、一見救いの見えない未来だけではないか……と考えてしまいそうになるのですが、過去にとらわれずに生きるために本当に必要なものとして「愛」が提示された作品なのだ、と受け取りました。
私たちにできるのは、過去にとらわれるのではなく、目の前にいて変化し続ける者を何度も愛し直すことのみなのだ、と。それこそが揺るぎない大切なものを持ち続ける尊厳ある「私」として生き続けることであり、「私」個人の幸せなのだ、というかすかな希望の光を見せてくれたような小説でした。
このボリュームある小説がどう切り取られて映画となっているのか、さらに興味がわいてきています。