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巣立ち

✎𓂃年末に下書きに保存したままだった物を投稿。
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この秋から暫く長男と離れて暮らす。初めての事だ。
(昨年の話)

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『一人暮らしをして一人前。した事がない奴は駄目だ』
それは以前勤めていた職場の上司に言われた言葉だった。

彼は続けてこうも言った。
『君が免許を取ればプライベートでも役に立つだろう?いつまでも息子さん達を家に縛っておくつもりかい? そりゃないだろう。』
頭の芯が熱くなると同時に涙が込み上げて来た。

『なぜ?その根拠は何処に?』
以前の私なら 
『歩んで来た過程も知らそない貴方に言われる筋合いはない 』ときっぱり言えただろう、でも出来なかった。理由無き圧力に行動を起こして立ち向かう力は、その時の私に残っていなかった。情けないけれど。 

経験が無いだけで何故、双方に人間性の優劣が生じると思うのだろうか。
其々が歩んできたフィールドが違う様に、独立心の芽生える時期も十人十色ではないだろうか。

この世にぽんと放り出された日から時間経過と共に成長し、
その人が成し得る経験をし否が応でも社会と関わる日が来る。
"本当の自分を見つけるその時"は、ひとりひとり違っていいと思うのは
おかしな考えだろうか。

自分の子供達がもしそんな心亡い言葉を投げかけられても、永遠に隣に居て守ってあげる事は出来ない。外の世界へ飛び出して色んな場面に遭遇し、自分の色を発揮出来る人になって欲しい。そう思いながらの子育てだった。

味方である筈の上司の『言葉の陰にある思考』に、違和感を感じ日に日に不信感と恐怖心を抱く様になっていったのを今でも忘れられない。

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と、息子の門出をキッカケにずっと蓋をしてきた記憶がカタカタと音を立て零れ出てきた。それは気付かぬ振りをしていた自分の感情と『向き合う時が来たよ』と過去の自分に背中を押されたのと同時に、先に進もうとしている今の自分に引っ張り上げられた感じだった。

中々にずっしりと重い感情だが " 差しのべられた手を跳ね除ける手は無い " 文字になった沢山の感情と色んな自分に出逢いながらそう思った。

_他人からどう見えようが自分で考え行動を起こせる息子に、
心配の山はさて置いて先ずは心からエールを贈ろうと思う。

“いざと言う時は私が守るのだ“と言う時期はとうに過ぎ
“私が居なくなっても自分で考えて行動を起こせる人に”という私の子育てのモットーを
知らないうちに感じていてくれた気がした。
彼の居ない日々が重なるにつれ、じわじわと実感している。

まだ一歩を踏み出せないでいる私に、自分の勇姿を見せて
励ましているかの様に受け取るのは親バカだろうか。
それでもいいと思う。

きっと私が子供から巣立ちの時なのかもしれない。
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2022/01/07-18:00

インプットした物を🧠で咀嚼してアウトプットしてみたくなり自身の脳内整理・創造に書き留めたい事を書いていきます。目に心にとまった方が居たら励みになります◎