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25_1stプロジェクトからの学び 【山の日本語学校物語】

これは、とある町に開校した「山の日本語学校(仮名)」の物語です。ITエンジニアの専門日本語教育、プロジェクト型のカリキュラム、地域との連携などなど、新たな言語教育の実践とその可能性について、当時の記録をもとに綴っていきます。最後までお付き合いください。

この連載を始めるに至った経緯については、「00_はじめに」をお読みください。

「山の日本語学校物語」の執筆を初めて、ついに第25回になりました。

今回は、8回〜24回にわたって追いかけてきた1stプロジェクトから何を学び、何が課題として残ったのかについてまとめてみたいと思います。今回が、1stプロジェクトの最終章になります。

私にとって初めての経験となった「プロジェクト型学習」(PBL)だったわけですが、この実践のプロセスには多くの「学び」がありました。ここでは、その中から以下の3点に絞って書きたいと思います。

- ことばの学び
- 組織としての学び
- プロジェクトを自分ごと化する

ことばの学び

「言語を習得するとはどういうことか」については第2回で詳しく書いているのですが、 「プロジェクト型学習」での言語使用については、以下の考えをもとに進めてきました(第2回の要約です)。

1. 自分のアイデアを言語化する
2. 自分のアイデアを相手に伝える
3. 相手の反応をみる
4. 自分の言いたいことが伝わっているかどうかを判断する
5. 相手の反応を見て、自分の考えを整理し、新たに言語化を試みる

この1〜5の繰り返しによって、言語が習得できると考え、1stプロジェクトのゴールを「チームで一つのアイデアを考え、わかりやすくプレゼンをする」と設定しました。

といっても、対象者は、日本語の勉強を始めたばかりの初学者ですから、母語でも、英語でも、翻訳ツールでも、使えるものはなんでも使用してよいという方針でプロジェクトを進めました。自分のアイデアを伝える際には、言語にこだわりませんでした。イラストや写真や動画などを使用し、自分のアイデアを、とにかく「伝える」ということを初めのステップにしています。

第9回「ふれあいまつり」準備編 にも書いていますが、日本語でのやりとりがほとんどできない状態の授業開始2日目から、このような「使えるものは何でも使う」という方針で、「言語化→思考の整理→言語化」の循環が起きるように授業を設計しました。同時に「複言語環境」を前提とした授業を展開しました。「複言語環境」を前提とした日本語の授業も初めての試みです。これで日本語を習得できるという確信はあったのですが、当時は、非常に悩みながらプロジェクトを進めていました。

様々な課題は残るものの、これまで書いてきたように、学生たちは、様々な経験を通して日本語を習得していきました。そして、第24回でも触れましたが、学生たちはこのプロセスを振り返り、以下のように表現しています。

・チームワークはいいです。でも私たちは別の考えを持っています。
・チームメンバーの意見は異なります。でも、最終的に私たちは同じ目標を持っています。
・自分の意見を理解してもらうのに時間がかかったが、一生懸命説明して、理解しようとすると、新しいアイデアが生まれた。

ここで記された「別の考えを持っている」というのは、プロジェクト中に同じ経験をしていたのに、その経験の捉え方が違ったという気づきを表したものです。また、チーム内のやりとりを通して、「意見の異なり」を調整し、同じ目標にたどり着いたという気づきもありました。説明を繰り返すことによって新たなアイデアが生まれたこともこれらの記述から窺えます。

さらに、第22回に記したように、プレゼンテーション本番では、学生たちの伝えたアイデアが、地域住民に新たな気づきをもたらしています。そこでは、双方にとって、「意味のある」やりとりが行われていたことがわかります。

19〜21回では、チームごとのプロセスについて書いてきましたが、各チームのアイデアは、すんなりとまとまったわけではありません。自分たちのアイデアを一つにまとめるというプロセスには、様々な試行錯誤がありました。チーム内だけでなく、教師である私と学生の間にも、教師間でも、多くの齟齬がありました。しかし、最終的には「自分のアイデアを伝える」という1stプロジェクトのゴールを達成したと、学生自身が実感したのではないかと思います。

これまで書いてきたように、プロジェクトのプロセス自体に「ことばの学び」が散りばめられており、その一つ一つを「これが学びです」と取り出すのは、非常に難しいことです。しかし、私はこのプロセスを通した経験こそ「ことばの学び」だったと言えるのではないかと思います。「日本語の学び」ではなく「ことばの学び」としているのは、学生たちの持っている様々な「ことば」を駆使して調整し合うという経験が、新しいアイデアを考え出すときには、必至だったと思うからです。「ことばの学び」とは、単に、文法や語彙を覚えることではなく、自身にとって意味のある新しい「ことば」を生み出す経験ではないかと思います。

さらに、上述したように、そのプロセスを振り返り、「ことば」のやりとりによって生まれた気づきを学生自身が言語化できたことに、この「プロジェクト型学習」における重要な「ことばの学び」があるのではないかと思っています。

組織としての学び

次に、「日本語学校」という組織としての学びについて考えてみたいと思います。

多くの「日本語学校」は、日本語教育という文脈の中で、「日本語を教える」ことを中心とした組織として存在しています。図にすると以下のような感じです。

山の日本語学校物語.001

社会という文脈から切り離されており、社会との接点があまりない状態で「ことば」を学ぶということに、私はこれまで問題意識を感じていました。

「山の日本語学校」は、開校当時、地域住民からの否定的な意見もあったことから、地域に飛び出すという戦略をとりました。(「戦略」というと、なんだか計算高い印象を与えるかもしれませんが、意識的に地域に関わろうとしたという意味で「戦略」という言葉を使います)入学式に地域の方を招いたり、「ふれあいまつり」に参加したりしました。組織が意識的に地域に関わるという戦略をとったことで、図らずも、自治会との懇親会の機会が生まれたり、「調査発表会」という場が生まれたりという広がりもありました。(記事には書いていませんが、授業外でも様々な交流が生まれていました)

さらに、1stプロジェクトのコンセプトを「みどり町×サービス×IT」とし、「みどり町」について考えることにより、「みどり町」に暮らす地域住民との共通の言語が生まれたと感じています。

例えば、「ふれあいまつり」では、地域住民との交流を通して、地域イベントという文脈を共有します(第10回)。「ふれあいまつり」で行ったアンケート調査の集計の過程で、学生たちは、町と関係の深い「景色、自然、良い、場所」という漢字を学んでいます(第13回)。「調査発表会」では、十分に伝え切れていない、的外れとも言える調査報告に対し、地域の方は、その意味を見出してくれました(第14回)。最後のプレゼンテーションの場では、学生の提案したサービスに対し、住民の気づきが創発されています(第22回)。学生たちが取り上げたサービスは「アウトドア」「買い物」「観光」という、どれも「みどり町」に深く関係するテーマでした。決して流暢とは言えない学生たちの日本語でも、文脈を共有したことで、意味のあるやりとりが成立したと言えます。

これを「コミュニティ」という観点から捉えると、「山の日本語学校」という組織自体が地域コミュニティに入り込んだことにより、学生、教職員、と地域住民とが、同じ住民として文脈を共有し、共通の「ことば」が生まれたのではないかと思います。私自身「山の日本語学校」が、地域コミュニティの一部として認められたという感覚を得ました。

一方で、「山の日本語学校」の最終目標であるITエンジニアのコミュニティには、この時点では、全く届いていませんでした。プロジェクトの進め方、プレゼンの仕方など、ITエンジニアの文脈とは全く異なる「ことば」を使用していたのだと思います。このときの状況を図に表すと以下のようになるのではないかと思います。

山の日本語学校物語.002

「みどり町」の一部として、共通の「ことば」を獲得しつつあったのですが、ITエンジニアのコミュニティには全く踏み込めていない状態です。

しかし、よく考えてみれば、学生は、すでに、ITエンジニアとしてアルバイトもしていました。特に「蜘蛛の巣チーム」は、ITエンジニアとしての仕事の経験があるメンバーがいて、私とチームとの認識に齟齬が生まれていたことにも触れました。

「山の日本語学校」という組織は、ITエンジニアを含んだ一つのコミュニティを形成しつつあったと言えますが、その内実を見ると、ITエンジニアのコミュニティに踏み込めていなかったのは、カリキュラムを作成していた私自身だったのではないかと思います。図に表すと以下のようなイメージです。どこのコミュニティにも属しているようで属していない中途半端な組織だったのではないかと思います。

山の日本語学校物語.003

「山の日本語学校」が、ITエンジニアの育成を目指すのであれば、私自身がITエンジニアのコミュニティに踏み込む必要があったのだと思います。といっても、私がエンジニアになるという意味ではありません。私自身が「山の日本語学校」とITエンジニアのコミュニティとをつなぐ役割を果たす必要があったのだと思います。いかにITエンジニアのコミュニティに近づくかが、次のプロジェクトへの大きな課題だということに気がつきました。私を含めた「山の日本語学校」という組織自体が、組織が目指す方向に変化していく必要があると認識したのです。この変化への気づきが「組織としての学び」と言えるのではないかと思います。

この気づきは、地域住民、エンジニア、ビジネスに関わる会社役員などの多様な立場からのフィードバックによってもたらされました。この多様な視点がなかったら「組織としての学び」につながる気づきは生まれなかったと思います。この組織を捉える多様な視点が意識の変化を生み出す原動力になるのではないかと思います。

プロジェクトを「自分ごと化」する

最後に、1stプロジェクトでの最大の課題について考えてみます。それは、会社役員やITエンジニアからも指摘があった「やらされている感」をいかに乗り越えるかということです。このためには、プロジェクトを「自分ごと化」することが必要だろうと思いました。

1stプロジェクトで編成した3つのチームは、それぞれに特徴があり、「自分ごと化」の度合いにも、グラデーションがありました。そこで、「自分ごと化」という観点で、それぞれのチームをもう一度振り返ってみたいと思います。

プロジェクトの目的が「日本語習得」になってしまったのはなぜか

これは、「日本語学校」という組織が、日本語習得を第一義としないプロジェクトを運営したことによる宿命だったと思います。「日本語を学ぶ」ことを目的として入学した学生たちですから、「日本語を学びたい」と思うのは当然のことです。この点については、学生を責めることはできません。これを打開するには、「組織としての学び」でも触れたように、組織自体が変容する必要があったと思います。

ただし、プロジェクトを「自分ごと化」するには、組織のあり方以外にも、課題があると思います。ここでは「笑笑チーム」を手掛かりに考えてみたいと思います。

「笑笑チーム」については、第21回で詳しく書いていますが、このチームは、アイデアをまとめる段階になっても、なかなかテーマが決まりませんでした。いろいろなことを知りたいからと、テーマを「いろいろ」と設定し、幅広い意見を聞こうとしてきました。しかし、実質2ヶ月という短期間でのプロジェクトでは、幅広いいろいろな意見を聞き、そこから自分たちのテーマを見つけ出すには、時間が少なすぎました。結局、とりあえず「観光」というテーマで進めたのですが、その場しのぎのテーマであったため、そこに思い入れはあまりなく、プレゼンが終わってから、自分たちのアイデアに興味を失ってしまいました。

プロジェクトを進めながら、自分の関心ごとを見つけていくのか、自分の関心ごとを明確にしてから、プロジェクトに入るのかは、状況によってどちらのパターンもありだと思っています。しかし、関心ごとが不明瞭なままプロジェクトを進めてしまったことが、プロジェクトを「自分ごと化」できなかった大きな原因ではないかと思います。

もう一つ考えられるのは「評価」の問題です。「評価」については、第24回で詳しく書きましたが、プレゼンテーション自体が評価の対象として捉えられてしまった可能性があります。実際、「笑笑チーム」は、ゲストからのコメントを「プロジェクトを改善するためのもの」ではなく、「評価」として捉えていました。いい評価を得ることが目的になってしまったことが、プロジェクトを「自分ごと化」できなかったもう一つの要因につながったのではないかと思います。

教師という固定化された役割をどのように乗り越えるのか

次に「教師」という存在と「自分ごと化」の関係について考えてみたいと思います。この点については、「蜘蛛の巣チーム」を手掛かりにします。

「蜘蛛の巣チーム」については、第20回で書いていますが、ITエンジニアとしての経験を持つメンバーの多かったこのチームとは、日本語教師である私の考えとの齟齬も非常に大きかったと思います。本来であれば、その齟齬を埋めるためのやりとりを、教師とチームとで行うべきでした。しかし、なかなかそのようなやりとりは生まれませんでした。20回で私は、以下のように書いています。

ただ、厄介なのは、これが「教室」という空間で行われているということです。「教室」という枠組みでは、「教師ー学生」という関係性があり、力関係が固定されています。私がいくら「対等でありたい」と願っても、カリキュラムを考えているのは教師です。そして、これまで長い間「学生」という役割を経験し、身体化されている学生にとって、この関係性を覆すことはなかなか難しいことだと思います。

「教師」として、プロジェクトに関わるとどうしても権威的な存在になってしまいます。プロジェクトの方向性や答えを教師がにぎっていると、プロジェクトを「自分ごと化」しにくくなるのではないかと思います。

「蜘蛛の巣チーム」に関していえば、チーム内のコミュニケーションも少なかったように思います。ただしこれも考えようによっては、話し合ってチーム内で決めたことが、教師によって否定されてしまうと学生が捉えていたら、コミュニケーションを促すことが難しくなるのではないかと思います。「蜘蛛の巣チーム」の考えたアイデアは、地域の方から評価の高いものでした。「教師ー学生」という関係性だけでアイデアを練るのではなく、第三者の視点を取り込み、地域住民とのやりとりを増やしていたら、アイデアやプロジェクトに対する意識も変わったのではないかと思います。

木山川はなぜ「自分ごと化」できたのか

以上のように「日本語学校」という文脈や「教師-学生」という関係性などを考慮すると、この「プロジェクト型学習」は、日本語学校では、無理なのではないかと思えてきます。私も一時は、とても悩みました。しかし、この点について希望もあります。それは、「木山川チーム」の存在です。「木山川チーム」については、第19回で触れているのですが、このチームは、「来期も、このメンバーでやりたい」というほど、チームの結束が強まり、自分たちのアイデアを「自分ごと」として捉えていたように思います。このチームに限っていえば、次期プロジェクトも、継続して活動することが可能だったと考えています。この違いはどこから出てきたのでしょうか。

このチームは、母語も出身も来日までの経験もバラバラで多様なメンバーで構成されていました。ほとんど日本語が話せない学生ばかりだったので、当初、どうやってコミュニケーションをとるのか、私自身、非常に心配をしていました。しかし、英語(英語が得意でないメンバーもいましたが)や、翻訳ツールなどを総動員してコミュニケーションをとっていました。

このチームは、「アウトドア」をテーマにしていましたが、メンバーを見ても、特に「アウトドア」に関心が深かったわけではありません。このようなチームが、もっともプロジェクトに没入していったという事実は、非常に興味深いです。もともとメンバーが持っていたエンジニアとしての素質ももちろんあると思いますが、チームの話し合いの様子を見ていても、誰か一人が全員を引っ張ってまとめているという感じでもありませんでした。

話し合いの中身を詳細に記録していたわけではありませんので、どのようなやりとりがチームワークやアイデアの創出に影響したのか、具体的に指摘することはできません。しかし、言語の習熟度とやりとりの密度というのは、必ずしも比例するものではない、ということを私はこのチームから学びました。また、個々の持つ多様な経験や複言語環境での話し合いが豊かなアイデアを生み出す土台になったということも考えられるのではないかと思います。

もう一つ言えることは、地域住民との関わりです。このチームのアイデアに対しては、当事者である山岳救助や山岳ガイドに関わる人が、調査発表会にも、プレゼンテーションにも訪れ、当時者でなければわからない、非常に貴重な意見をくださいました。まさに、この当事者の意見を直接聞けたという経験が、彼らのプロジェクトに対する思いを強くしたのではないかと考えています。実際に、第23回「プレゼンテーションの振り返り」でも触れたように、このチームは、次への課題として「フィールドワーク」という点を挙げています。もっと、当事者の声を聞かなければならないという意識が生まれているのです。この点が、プロジェクトの「自分ごと化」に関して、大きな鍵をにぎっているのではないかと思います。また、言語教育という文脈で「プロジェクト型学習」をやることの希望も感じました。

以上、1stプロジェクトを改めて振り返り、「学び」と「課題」について書きました。当時、悩みながら、無我夢中で3ヶ月間を全力疾走しました。この3ヶ月間をこれまでゆっくり振り返る時間がなかったのですが、改めて振り返ってみて、個人としても、組織としても、大きな「学び」を得ていたのだなあと感じています。そして、今回の記事化は、私にとって「プロジェクト型学習」をもう一段高いところから「メタ認知」する機会となりました。

当時は、手探り状態だったので、今から考えると、「おいおい」と突っ込みたくなることばかりですが、やってみなければわからなかったことばかりです。


次の2ndプロジェクトは、今回「課題」としてあげた「自分ごと化」と「組織としての変容」の部分に挑戦することになります。当時の記録の分析に少し時間をいただきたいのと、他に、書きたいことが溜まってきたので、しばらく、「山の日本語学校物語」はお休みします。

その間、「山の日本語学校」を読者のみなさんと深堀してみたいと思います。以下の記事にも書きましたが、自由に書き込みができるpadletを用意しましたので、記事を読んで、気になったこと、質問など、なんでも気軽に書き込んでいただけるとうれしいです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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