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02_なぜPBLを採用したのか? 【山の日本語学校物語】

これは、とある町に開校した「山の日本語学校(仮名)」の物語です。ITエンジニアの専門日本語教育、プロジェクト型のカリキュラム、地域との連携などなど、新たな言語教育の実践とその可能性について、当時の記録をもとに綴っていきます。最後までお付き合いください。

この連載を始めるに至った経緯については、「00_はじめに」をお読みください。

第2回目は、この学校のカリキュラムの基本となるPBLについて書きたいと思います。「山の日本語学校」では、カリキュラムに、PBL(Project-Based Learning:プロジェクト型学習)を取り入れました。PBLについては、他の記事にもいろいろと書いていますが、「山の日本語学校」の実践を連載するにあたり、「なぜPBLを採用したのか」を説明しておこうと思います。

PBLというと、Problem-Based Learning(問題基盤型学習)を指す場合もありますが、「山の日本語学校」で、PBLといった場合、Project-Based Learning(プロジェクト型学習)を意味しています。この辺の違いやPBLに対する基本的な考え方については、最後の「資料編」で詳しく説明しようと思います。

「山の日本語学校」のカリキュラムにおいて、PBLの考え方は非常に重要だと思っています。前回(01)の学校概要では、学校の理念や目標について触れ、「教科書を使わないことにした」ということを書きましたが、「じゃ、教科書を使わない代わりに、PBLにしよう」とすんなり判断できたわけではありません。PBLとは、単なる教授法ではなく、その考え方が非常に重要だと思っており、PBLにたどり着くまでも、様々な試行錯誤がありました。そこでまずは、その前提となる考え方について書いておこうと思います。

言語を習得するとは?

まず、「言語を習得するとはどういうことか」ということについて、私の考えをまとめておきたいと思います。当時は、まだ明確に言語化できていなかった部分もありますが、考え方の基本となる重要な部分なので、はじめに整理しておきます。

私たちが、普段、言語を使用するとき、下の図のようになると思います。(かなり単純化してます)

山の日本語学校物語_02_説明資料.001

まず、何か伝えたいと思うことが頭の中に思い浮かびます。次にそれをどのように表現すれば相手に伝わるのかを考えます。様々な表現方法を使って言語化したものを、相手に発信します。それを聞いた(読んだ・感じた)受け手が、何らかの反応をします。その反応に呼応して、自分の伝えたかったことがどの程度伝わっているかを考えながら、また頭の中に浮かんだことを言語化する…. 言語を使用する時には、このようなことが繰り返し行われると考えました。

これは、外国語を学ぶときだけでなく、自分の母語であっても、同じことが行われているのではないかと思います。大概、言葉を使用するときは、無意識に行っています。

では、日本語学習で教科書を使って「言葉を学ぶ」という文脈では、どのようなことを行っているでしょうか。こちらもかなり単純化して図にしてみました。

山の日本語学校物語_02_説明資料.002

まず、学ぶべき文法や語彙がはじめに提示されます。そして、その文型が使用される場面や文脈も提示されます。これが、前後したり、同時に提示されたりすることもありますが、いずれにしても、図1に示されたような「何か伝えたいことを思い浮かべる」という部分は省略されています。

なぜなら、人によって伝えたいことというのはバラバラですし、言語化されるまでは何を伝えたいのかわからないので、授業で扱うのは難しくなるからです。特に、一斉授業では、個人個人がバラバラなことを思い浮かべて、バラバラな発言をしては授業が成り立ちませんから、その部分はスキップしてしまうことになります。同様の理由で、場面や文脈も統一された方が扱いやすくなります。

さらに、「相手に伝える」という部分も曖昧になってしまうことが多いです。発話の練習がされることもありますが、本当に自分が伝えたいことではない場合も多いので、受け手の反応はあまり重要視されません。伝わっていても、伝わっていなくても、発話者にとって大した問題ではないからです。

このように考えると、普段の言語学習の授業では、実際の言語使用とはかなり異なるステップで、言語を使用していることになります。よく現場で言われる「文法や語彙を勉強しても、なかなか話せるようにならない」というのは、実際の言語使用に即した方法で言語活動が行われていないからだと思っています。

「山の日本語学校」でも、当初、教科書を使った授業を想定していました。しかし、学ぶべき項目がシラバスとして提示されてしまうと、どんなに工夫しても、図2のような言語使用になってしまうという結論に至りました。

そこで、実際の言語活動により即した枠組みを設計するにはどうしたらよいかを考え、さらに01で説明したような学校の理念と照らし合わせた結果、PBLという方法にたどり着きました。

PBLを取り入れた言語学習の枠組み

改めて、図1 をみてみたいと思います。PBLを取り入れた言語学習では、できるだけ、この図1 になるように工夫しました。

山の日本語学校物語_02_説明資料.003

まず、プロジェクト型学習では、一つのプロダクトを完成させるということが重視されます。チームで一つのプロダクトを製作するという営みは、何か新しいものを創造する作業です。これまでにない新しいものを創造するためには、自分が何を創りたいのか、どんなものを創ろうとしているのかをできる限り言語化する必要があります。言語化されない限り、その人にどんなアイデアがあるのか認識できませんし、相手の考えていることが共有されないと、チームで作業するのは難しくなります。つまり、何か新しいものを創造したいというそれぞれの「想い」が図1-2 の ①「伝えたいこと」を生み出す原動力になります。

次に、自分のアイデアを言語化するという作業になりますが、まさにこれが②の作業にあたります。この部分が言語教育という文脈にいちばん付合する部分かと思います。この言語化という作業には、様々な要素が関わってきます。外国語を学んでいる人であれば、目標言語の文法や語彙などの知識が必要になると思います。しかし、誰も見たことがない自分のアイデアを言語化するためには、文法や語彙などの知識だけでは不十分です。

そこで、③の第三者に伝えるという行為が非常に重要になってきます。自分のアイデアを何らかの形で表現し(これは言語に限らず、イラストや図、写真なども含まれます)、それを第三者に伝え、さらに、その第三者の反応をみてはじめて、自分の言いたいことが表現できているかどうかがわかります。相手の反応を聞いてはじめて「自分が言いたかったことはそれなんだ!」と気がつくこともあります。第三者に伝えて、その反応をみるということが非常に重要なのです。

プロジェクトを通して何かを創造するということは、以上のように「言語」によるやりとりの繰り返しであり、言語教育だからこそ、その価値が活かされる枠組みであると考えています。

以上が、私がPBLを言語教育に取り入れようと思ったときに意識し、さらに実践を通して実感した「言語教育」です。初めは、それまで自身が行ってきた言語教育(図2)から、なかなか脱却できず、迷走した部分もあります。しかし、今では、このPBLの枠組みは、言語教育そのものだと確信しています。

この「山の日本語学校物語」の連載では、このような確信に至ったプロセスを、これまでの実践を振り返りながら、記述していきたいと思っています。改めて、振り返りを行うことによって、もしかしたら、また、新たな発見があるかもしれません。その発見にも、お付き合いいただけたらと思います。

以下に、PBLとは何かについて、補足の説明を付け加えます。当時、PBLという考え方を自分自身が咀嚼するために、さまざまな資料や文献にあたりました。その中から、特に参考にしたものを「資料編」としてまとめておきたいと思います。

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