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経験学習において具体と抽象を行き来する意味 〜セミナーからの気づき

7月6日に奥多摩で行われた👇のセミナーが無事終了しました。

近くは地元から、遠くは、仙台、インドネシアから奥多摩までいらしていただき、また、オンラインでも多くの参加があり、非常に中身の濃いセミナーになりました。今回のnoteでは、セミナーでのやりとりを通して、気づいたこと、考えたことをまとめてみたいと思います。

セミナーでは、「山の日本語学校」の学習環境デザインを行う際、大切にしている私の学習観ということで、はじめに「越境学習」と「経験学習」についてお話ししましたが、今回はその中から「経験学習」を中心にまとめたいと思います。

なお、「越境学習」と「経験学習」については、過去に以下の記事を書いていますので、参考にしていただけたらと思います。(私の経験を中心に書いています)


PBLにおける経験学習

経験学習は、「経験」を通して「学習」するというPBL(Project-Based Learning)の中心的な考え方です。今回は、以下のスライドを使って、「山の日本語学校」では、どのように「経験学習」をデザインしたのかということを説明しました。

セミナー資料

コルブの「経験学習モデル」では、「具体的経験(Concrete Experiences)」の後に、「内省的観察(Reflective Observation)」を経て、別の場面でも応用できるように、「抽象的概念化(Abstract Conceptualization)」を行います。さらに、生起された概念をもとに、別の場面で「能動的実験(Active Experimentation)」を行うことによって、学習が進んでいくとされています。

言語教育の現場でも、多くのプロジェクトが行われていますが、十分なリフレクションがないままプロジェクトを繰り返すだけでは、「プロジェクトワーク」という単なる経験の積み重ねになってしまいます。

PBLは、「Project-Based Learning」であり、「学習」を生起させるためには、十分なリフレクションの時間が必要です。個々人の自然発生的な学習に頼るのではなく、カリキュラムの中に意識的に組み込む必要があると考えています。

そこで、「山の日本語学校」の以下の事例をもとに、どのように授業の中で「振り返り」を行ったのかを説明しました。(以下、この授業で行ったことを「振り返り」と記します)

この記事では、「ふれあいまつり」という地元のイベントに参加した後の「振り返り」を取り上げています。どのように「振り返り」を行ったのか、そのプロセスを詳しく説明していますが、記事の中では、まだはっきりと言語化できていない、学生自身のさまざまな「内省的な観察」や「抽象的な概念化」の断片が記されています。

しかし、セミナー当日は、この「振り返り」の全てを丁寧に説明している時間はなかったため、この中の事例の一つを取り出して説明しました。

この「振り返り」、実は、3日間に渡って行ったものですが、セミナーでは「チームビルディング」というテーマで「振り返り」を行ったときの事例を取り上げました。学生からは、「振り返り」の後に以下のような意見が出されました。

  • コンロを2つ用意すればいい

  • クーラーボックスを持っていけばいい

イベントの反省をもとに出された解決策です。次回も同じようなイベントを行うとしたら、有効な解決策だとは思いますが、別のイベントや今後のプロジェクトに活かせる解決策にはなりません。そもそも「チームビルディング」というテーマで「振り返り」を行っているのに、このような具体的な事例について話し合いを続けても、別の場面で活かせるような学習につなげることができません。

そこで、「振り返り」の際には、「経験学習モデル」にあるように「内省的観察」を十分に行った上で、「抽象的概念化」を意識した学習のデザインが必要だという話をしました。

どのように抽象化を行うのか

参加者からは、このような事例に対して、どのように抽象化を行ったのかと言う質問がありました。

この質問に対し、まず、当時の私の問いかけに問題があったと言うことを説明しました。このときの「振り返り」では、「うまくいかなかったこと」や「難しかったこと」を中心に「振り返り」を行っており、ネガティブな視点で「振り返り」を行ったことによって、「振り返り」ではなく、「反省会」になってしまったという説明をしました。

この私の回答に対し、良かった点について振り返ったとしても、同様に「クーラーボックスがあって良かった」というような具体的な事例に焦点が当たることが想定され、同じような結果になるのではないかと言う意見がありました。

また、具体的な反省点を挙げるのは、別に悪いことではないのではないか。むしろ、具体的な事例から考えることが重要ではないかという意見も出ました。

さらに、抽象化するための具体的な方法についても質問がありました。

この点については、先の記事を見せながら、「原因を3つに絞る」のように、具体的な数を指定して少ない言葉でまとめる(収束する)ことによって、抽象化が可能だという話もしました。

参加者からは、リフレクションのための多くのフレームワークがあるので、そのようなフレームワークを使うこともできるという指摘もありました。確かに、「山の日本語学校」でも、さまざまなフレームワークを使用してリフレクションを行っていました。

また、セミナーでは、十分に説明できませんでしたが、言語教育という観点から考えると、できるだけシンプルな文型を提示して、話し合った内容を簡単な文型にまとめて整理するという作業も、よく行っていました。これも、抽象的に考える際、さまざまに発散した考えを収束させるのに有効な手段だったと思います。

しかし、参加者のみなさんとこれらのやりとりしながら、私の中では答えられたような、何か違うようなモヤモヤとした感覚が残りました。

モヤモヤの原因について考える

セミナーでは、時間も限られていたため、そのモヤモヤを解消することができませんでした。そこで、セミナー後、もう一度、先の記事を読み返しながら、「なぜ抽象化が必要なのか」について考えてみました。

抽象化されたモデルを使用することの落とし穴

今回は、「経験学習」を説明する際、コルブの「経験学習モデル」を引き合いに出しました。しかしこれがかえって、思考の邪魔をしてしまったのではないかと思いました。

このような抽象化されたモデルは、「学習」という複雑な人間の営みをわかりやすく示してくれます。しかし、実際の現場では、モデルに示されたようなきれいなサイクルにはなりません。ときには、途中のプロセスをスキップし、ただ、「具体的な経験」とリフレクション(もしくは、単なる反省)を行ったり来たりしているだけのこともあります。

「山の日本語学校」の学習環境をデザインするときは、この点も考慮して、1年半というコースの中に、3ヶ月ごとのプロジェクトを設定し、「経験学習」が、緩かに機能するようにデザインしています。1回の実践でできるようになる必要はないのです。この点をもっと強調すればよかったと思いました。

先に挙げたイベント参加の後の「振り返り」の事例をもとに、もう一度考えてみます。

このイベントで学生たちは、地域の人たちにインタビューをしているのですが、「日本語で全くやりとりできない」という苦い経験をします。なぜ、うまくインタビューができなかったかという点についても、「振り返り」を行っているのですが、最終的に「もっと日本語を勉強する」という解決策に至っています。

私から見ると、そもそもインタビューの質問が難しすぎるという問題があったように思います。自分たちが聞きたいことをそのままGoogle翻訳にかけて、それをそのまま質問しようとしたので、概念的な質問になってしまい、インタビューを受ける人にとっても答えにくい質問が多かったと思います。当然、質問に対する答えも難しくなります。

当時、学生たちは、そのことに気づかず、自分たちの日本語力が不足していたという結論に至りました。しかし、「もっと日本語を勉強する」という解決策では、「能動的実験」という次の段階への学習は起こりにくいのではないかと思います。

この事例をもっと長い時間軸で振り返ってみます。

「振り返り」から半年後、後から入学した後輩たちが、全く同じ問題に突き当たりました。悩む後輩たちに対して、先輩たちは「そもそも質問が難しすぎる」というアドバイスをしたのです。質問はもっとシンプルにしたほうがいいと。この発言には、私も驚きました。そして、イベントの直後に行った「振り返り」の時間は、決して無駄になっていなかったということに気がつきました。

どこでどのように学習が起こったのか、その瞬間を捉えることはなかなかできませんし、学習は瞬間的に起こるものではないとも思います。経験を通して、じわじわと染み込んでいくのだなあということを実感しました。

このような長期的な視点をもとに、1年半というコースを丸ごとPBLでデザインしたことが、「山の日本語学校」の強みではないかと思います。日本語が上達してから行う期間限定のプロジェクトや、ある特定の授業だけで行うイベント的なプロジェクトとも違います。

そして、長い時間軸でじわじわと進んでいく「学習」の中から、一部の特定の事例を取り出し、わかりやすく抽象化された「モデル」に頼って説明してしたことにより、わかったようなわからないような説明になってしまったのではないかと思いました。

「山の日本語学校」では、長期間にわたり、「具体的な経験」を「抽象化」するという作業を繰り返していたことになります。じわじわと変化する複雑な営みである実践を、シンプルに説明することの難しさも感じました。

経験学習の落とし穴

セミナーでは、「具体的経験」→「内省的観察」→「抽象的概念化」をわかりやすく示すために、「コンロを2つ用意すればよかった」という非常に具体的な学生の発言を取り上げました。具体的な経験に終始してしまい、抽象的な考えに至らなかったという事例として、わかりやすいと思ったからです。

実際に、参加者からも同じような経験が事例として出され、多くの共感を得ました。しかし、先に書いたように、このような事例に対し、どう対応すればよかったのかという具体的な解決策を中心としたやりとりになってしまい、モヤモヤが残る結果となりました。結局、このときに私が提示したのは、具体的な方法論だったということに、今になって気がつきました。

つまり、具体的な事例をもとに、どうすればいいか具体的な方法論を考えている限り、「経験学習」にはなりません。それぞれの現場で「能動的実験」ができるような状態に「学習」を昇華させるためには、やはり、参加者自身の「具体的経験」をもう一度、しっかりリフレクションする必要があったのだと思います。

「経験学習」で起こりがちな「抽象化できない」という落とし穴に、まさにセミナー中にハマっていたのではないかと思いました。

ところで、セミナーの後、「なぜ抽象化が必要なのか」について考えながら、先に挙げた記事をもう一度読み返してみました。この記事で私は、当時の授業記録を読み返し、時間をかけて「内省的な観察」を行い、記事を書くという作業を通して「抽象的な概念化」を行っています。記事中では、ちゃんと言語化できていたのです。

書くという「抽象化」作業をし、言語化していたにもかかわらず、書いたことを忘れてしまっている私もどうかと思いますが、ここにも「経験学習」の奥深さを感じました。

私の認知の特性かもしれませんが、個々の細かいエピソードについては、「ガスコンロ2個」というディティールまで覚えているのに、概念化した「ことば」は、記憶に残りにくいのではないかと思ったのです。

ただし、書いたことは忘れていたとしても、そこで内省し、一旦、言語化したことは事実です。経験による学習というのは、このようなリフレクションの繰り返しによって、直感のようなものとなり、身体化されていくのかもしれないと思いました。

時間が限られたセミナーの中では、十分なリフレクションをすることはできませんでしたが、あの場で出されたそれぞれの事例をもとに、参加者が自分の現場について「内省的な観察」を行い、より俯瞰的に自分の現場を見直すことによって、「抽象的な概念化」ができるのではないかと思いました。そして、個々の現場に戻って、積極的に試してみることによって、新たな学習が起こるのではないかと思います。

そう考えると、セミナーの場そのものが、それぞれの「経験学習」を促進させる場になっていたのかもしれないと思いましたし、そうあって欲しいなあと思いました。

最後に、この記事で取り上げた「振り返り」の事例では、学生も私も非常におもしろい「経験学習」を行っています。興味のある方はぜひ読んでいただきたいです。

ということで、今回のセミナー、参加者のみなさんと非常に濃厚な時間を持てたことに感謝です。PBLから少し離れていましたが、やはり奥が深くておもしろい!「山の日本語学校物語」も、復活させたいと思いました。

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました!

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!