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経験学習モデルをメタ認知したという話

今回は、「経験学習をメタ認知する」というテーマで書いてみたいと思います。私はこれまで、noteのマガジンに、日本語学校で行った「Project-Based Learning(プロジェクト型学習)」について書いてきました。この「実践を振り返って書く」という行為が、結果的に「経験学習モデルをメタ認知する」ことにつながったという話です。

経験学習(Experiential learning)

早速ですが、「経験学習」について簡単に説明します。「経験学習」は、プロジェクト型学習の基盤になる考え方でもあるのですが、以下の図のようなデイヴィッド・コルブがモデル化した経験学習の循環サイクルでよく説明されています。

経験学習モデル.001
(デイヴィッド・コルブ, ケイ・ピーターソン『最強の経験学習』 (p.28)を参照して作成)

プロジェクト型学習では、この「経験学習モデル」の循環が得られるよう、振り返りの時間を意識的にとり、学習を深めるように活動をデザインしていたつもりでした。また、自分自身、プロジェクトをデザインする際には、日々の観察記録をもとに内省をし、そこから新たな学習目標を抽出して、次の実践につなげるというサイクルを回していたつもりでした。

しかし、今回、俯瞰的に自分の経験を振り返ったことで、「なるほど〜、こういうことか!」と、これまで理解したつもりになっていた「経験学習モデル」を実感することができたのです。今まで、何にも分かってなかったなあと思いました。

そこで、今回の記事では、上記のモデル図をもとに、私が経験した「経験学習モデルのメタ認知」を言語化してみたいと思います。

具体的な経験(Concrete Experiences)

私の場合、モデル図の上「具体的な経験」からスタートしてみたいと思います。

これはいうまでもなく、私が行った「山の日本語学校」のプロジェクト型学習の実践が、「具体的な経験」に当たります。自分にとって、初めてのプロジェクト型学習であり、いろんな試行錯誤がありました。もちろん、実践をデザインする際には、様々な理論や文献に当たりました。これまで積み重ねられてきた知見を参考にしながら、カリキュラムをデザインし、実践にもガッツリ関わりました。ここでの具体的な実践経験は、私にとって非常に大きな学びでした。

また、毎日、実践を観察し、記録をしていたことも、経験学習に大きく寄与したと思います。授業で起こっていることを観察し、それを第三者がみてもわかるように記録に残していたことが、内省的検討につながったと思います。

ここまでみると、このサイクルだけでも、結構「経験学習モデル」が成り立っているのではないかと思います。(実際、そう思っていました)

内省的検討(Reflective Observation)

今回の経験が、今までと大きく違ったのは「内省的検討」の部分です。当時の実践記録をもとに「山の日本語学校物語」を書き起こしたことがこれに当たります。当初、せっかくの実践記録をこのまま埋もれさせてはもったいないという気持ちから始めたのですが、この「書く」という行為が思わぬ「内省的検討」を促しました。

これまで記してきた実践記録は、実践が行われている進行中に書かれたものです。これはこれで大きな内省のきっかけになったのですが、実践から離れ、時間的にも距離をおいた状態で、俯瞰的に実践を観察したことが、メタ的なリフレクションになりました。この「メタ・リフレクション」によって、これまで気づかなかった多くのことに気づきました。「内省的検討」は「内省的観察」と訳されることが多いのですが、自分の実践をもう一度俯瞰的に観察し、実践を改めて書き起こすことによって、新たな意味づけを行っていたのだと思います。

抽象的思考(Abstract Conceptualization)

そして、今回の記事でいちばん強調したいのはここです。これまで「経験学習」というと、内省の中から、課題や問題点を見出し、次の実践に生かすくらいの非常に浅い認識でした。日常行われる小さな実践だったら、これでも十分な知見が得られると思います。

しかし、コルブのいう「抽象的思考」(「抽象的概念化」と訳されることが多いです)をもっと大きな文脈で捉えたとき、非常にパワフルな意味があると実感しました。この点について、もう少し、具体的に説明したいと思います。

私は今、「山の日本語学校」から離れ、これまでとは異なる文脈の中で仕事をしています。教育プログラムをデザインするということに関わっているため、様々な文脈でプログラムを考えることが求められます。

しかし、下手に「山の日本語学校」での成功体験があるため、どうしても、この経験を生かしたいと思ってしまいます。言ってみれば、環境が変わっているのに、実践の枠組みは変えずに、そのまま横滑りさせようとしていました。

当然ながら、これではうまくいきません。うまくいかない原因を潰しながら、なんとか新しい文脈に合わせて条件を変えたり、環境を変えたりということを試みましたが、なんだかしっくりきません。このとき、私には「山の日本語学校」での成功体験をアンラーンする必要があることに気がつきました。

そこで、「なぜ、プロジェクト型学習でなければならなかったのか」という問いをたて、「山の日本語学校物語」で書いたことをもとに、「PBL」や「学習」について、もっと広い文脈で学び直すことにしました。このプロセス、ゴールが見えず結構苦しかったのですが、新たな発見もありとても楽しい作業でもありました。

で、先日、下記のnoteを書いたのですが、現時点では、これが自分の中のコアになる部分かなと思うところにたどり着きました(暫定です)。

また、「学び直し」により、自分の実践をかなり解きほぐすことができたように思います。そして、このとき、「あ、これが、抽象的概念化ということか!」と思いました。

積極的な行動(Active Experimentation)

ということで、今私は、「積極的な行動」(「能動的実験」とも訳されます)段階にきています。抽象度をあげ、自ら発見した知見を別の文脈にどう適用するのかを試行錯誤しています。まあ、うまくいかないこともありますが、環境に自分を合わせるのではなく、自分のやりたいと思っていることを「能動的に」実験していると思うと、自分の中からワクワクが蘇ってきます。

これまで、「制約ばっかりでおもしろくないなあ」とか「なんで理解してくれないんだ」とふてくされることもあったのですが、おもしろくしていないのは自分が原因でした。

そして、このサイクルが再び回り始めたとき、「能動的実験」が、次の「具体的な経験」になるのだと思います。経験学習サイクルの回し方のコツをつかめたような気がします。

自分の経験を抽象化するということ

以上、「経験学習」というキーワードで、自分の実践をメタ的に振り返ってみました。今回は、私のフィールドである日本語教育という文脈で「経験学習モデル」を考えてみましたが、これは、どんな文脈にも当てはまるのではないかと思います。

例えば、部署や職場が変わったり、転職したりしたときに、これまでの経験がなかなか生かされないことはよくあることです。そんなとき、「職場が悪い」とか「上司が悪い」とか、なんとなく、環境のせいにしてしまうことが多いのですが(私はわりとこのタイプです)、そうではなくて、まず、一旦自分の経験を解きほぐして、抽象化してみることが必要だなあと改めて思いました。

で、解きほぐすためには、他領域に飛び出して、そこでの知見や実践にあたってみることが必要なのではないかと思います。自分の経験を広い文脈から、メタ的に捉え直してみないと、その実践に埋め込まれた意義や理念みたいなものが見えてこないからです。(この「解きほぐし」を「アンラーン」というのかもしれません)

ただただ経験を重ね、自分の成功体験を別の環境に横滑りさせるだけでは、「這い回る経験主義」になってしまいます。基本となる理論をおさえた上で、自分の経験における中心となる概念とはなんだろうと、ときには立ち止まって思考することが必要なんだなあと改めて思いました。

今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!

【参考文献】

デイヴィッド・コルブ, ケイ・ピーターソン(2018)最強の経験学習 辰巳出版

中原淳(2013)「経験学習の理論的系譜と研究動向」日本労働研究雑誌(No.639), pp.4-14

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