オリンピックを通して私が改めて思う事
今回は、改めて「オリンピック」や「スポーツ」というものに付いての私の見解を述べています。
多くの方達が、日頃の自分の生活のストレス発散の為に利用するスポーツ鑑賞ですが、その裏に隠された支配層の「思惑」や「洗脳」というものに目を向けられる方というのは、極僅かな気が致します。
ちなみに、支配層が莫大なお金を出すものには、必ずこうした「彼らの目的達成の為の思惑=大衆を大事なものから目を背けさせる様に誘導する」というものが裏にあるので、或る意味「分かり易い」と言えば分かり易いのですが。(笑)
それと共に、彼らがこの地球に降り立った時から元々持っている「この星で神として存在出来るハイテクノロジー」と共に、
自分達がこの地球を支配し続ける事を可能にした「目に見えない波動」というものを、彼らはオリンピックやスポーツという「勝ち負けの世界」を通して、未だに駆使し操り続けていたいという思惑を、
特に私は今回の「奇妙奇天烈なルールを許容したヘンテコリンなオリンピック」を通して、改めて強く感じています。
オリンピックやスポーツというものを通して彼らが持つ目的は、大衆を「興奮させる事」と、そこから生まれる「不満・ストレス・怒りで満たす=この星の波動を上げさせない事」なので、
今までで一番奇妙なルールを生み出した今回のオリンピックは、参加する選手達にも、それを鑑賞する大衆にも「一番ストレスフルな大会」にもなっているのではないかという事を、
望まなくても否応なく自動的に目にしてしまう"巷の喧噪"から、私は改めて感じている一人でしょうか。
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